パネルディスカッション
「強いブランドはこうしてつくる」設立35周年記念シンポジウム
小川 「強いブランドはこうしてつくる」のテーマで、パネルディスカッションを進めていきたい。とはいえ、これがわかれば本当に苦労はないと思う重要なテーマだが、本日は先ほどお話いただいた横山先生のほかに、大正製薬の船橋部長とサン・アド/サン宣弘社の若林社長という、広告の世界では非常に著名なお二人にパネリストをお願いしている。
強いブランドをつくるというで、舟橋さんには実際に大正製薬のブランド、また若林さんの場合は多くのブランドと関係している深い経験のなかから、それぞれ強いブランドをつくるポイントということで、まず話していただきたい。
船橋 先ほどのPINS測定法の紹介のなかで、当社の主力商品の「リポビタンD」を取り上げてもらったので、リポビタンDの開発の経緯と広告戦略、何をやってきたかといったことなどを、実務面からお話したい。
リポビタンDはある意味ではマンネリ広告の典型的かと思うが、マンネリも徹底して貫くとそれなりに評価してもらえるのかなということから話していきたい。リポビタンDは一九六二年の発売なので、四十年を迎えたわけだ。医薬品からスタートして、現在は医薬部外品というジャンルに入っている。「タウリン千ミリグラム配合」といったコマーシャルで知られるように、アミノ酸の一種であるタウリンが主成分で、心臓、肝臓、高血圧などに効くとされている。
このタウリンという成分は一九四〇年から手掛けていて、二十年後の六〇年に、現在のようなドリンク剤ではなく、いわゆる錠剤タイプのものとアンプルタイプのものを、リポビタンブランドとして発売した。アンプル剤は当時の高度成長期に疲れを癒すということから需要は根強かった。ただ苦いといった声もあったので、その改善策として単純に水を加えれば苦さも減るのではないかということから、二十ミリリットルのアンプル剤が百ミリリットルのドリンク剤の発売につながった。苦味もフルーティな味付けで解消したし、さらに冷やして飲むというのも、実はこのドリンク剤のリポビタンDがスタートだと聞いている。アンプル剤の時はOTC(オーバー・ザ・カウンター)、薬剤師さんの後ろ側にあって出してもらっていたのを、ドリンク剤は一気に冷蔵庫に入れてしまうという考え方になった。
以来四十年間ドリンク剤としてトップシェアを堅持している。ドリンク剤を収納するストッカーは大変集客力もあるということで、いまは大半の薬局・ドラッグストア、あるいはコンビニエンスストアなどの目立つ場所に置かれている。このストッカーという考え方もリポビタンDがスタートであるが、いわゆる商品と販促活動がかなりうまくいった例だと思う。
小川 私はもうすぐ五十一歳になるが、昔のことを思い出す。四十年とは本当に長いブランドの歴史だ。
船橋 今日のテーマである「リポビタンDの広告展開」だが、六二年の発売時からスタートした。当時の巨人軍選手のエンディ宮本さんに一年間だけお願いしたが、キャッチフレーズは「ファイトを飲もう」ということで、「アンプル五本分のボリューム」「すっきりしたパイン味」「強肝成分だ」などのキャッチコピーがあった。
その後、早実高校から鳴り物入りで巨人軍に入った王選手(現ダイエー監督)と運良く契約でき、十年間お願いしたわけだ。王選手は世界のホームラン王といわれるまでに活躍し、結果的にリポビタンDの販売も非常に伸びていった。社内的にはこれを「巨人軍時代」と呼んでおり、この十一年間に百八十八本のコマーシャルを放映した。
その後行政的な問題も発生し、医薬品メーカーの自粛申合せでスポーツ選手あるいはアクションスターが使えなくなった。そして次の大物俳優時代ということで、七三年、七五年と宝田明さん、高橋英樹さんのお二方を使い、キャッチコピーも「ファイト」という言葉から離れて、「お疲れさん」「やったー」など、いわゆる日常の疲れを解消するシチュエーションのなかで商品を描いていった。
もっとも大変飛躍的に売り上げが拡大していった王選手時代に比べ、大物俳優時代のこの四年間は踊り場的な感じで、宣伝としてもインパクトの弱いものになってしまった。汗だとか力といったものが演出上もできなくなってしまったが、再度その世界へ戻ろうという機運が強まった。そして七七年から「ファイト・一発!」シリーズを立ち上げ、現在に至るまで二十五年にもなったわけだ。
当時「太陽にほえろ」という日本テレビ系列の大変人気のあるお化け番組で、刑事役として活躍していた勝野洋さんと宮内淳さんのお二人をコンビとして起用した(社内ではWタレント呼んでいる)。この際に王選手時代の「ファイト」を復活させ、「ファイト・一発!」の掛け声で現在まで続けている。この二十五年間「ファイト・一発!」しか言わずに、三百二十本のコマーシャルを制作してきた。
タレントに関しては五代目の勝野洋さんから十四代目の現在の滝川英治さんと起用しているが、タレントさんは広告において強くブランドイメージにつながるという意味で重要なファクターだと認識している。従って五年、十年といったなるべく長い期間お願いしたいと思っている。
ただ十年もやってもらうと、タレントを交代した場合にブランドイメージが変わってしまうという反作用も確かにある。そこでリポビタンDの広告がやってきたのは、必ず一人は残しておこうといったような戦略だ。勝野さん時代には弟分として宮内さん、そして真田広之さん、渡辺裕之さんという方。渡辺さんが成長して兄貴分になって野村宏伸さん、倉田てつをさん、西村和彦さん。それ以降は完全に五年ごとに交代になって、西村さんが兄貴分になって宍戸開さん。宍戸開さんが兄貴分になってケイン・コスギさん。現在はケイン・コスギさんが兄貴分になって滝川英治さんということで、ブランドイメージをタレントの交代で損なうことがないように、たすき掛け的な起用戦略を展開をしている。
表現コンセプトに関しては、王選手の時代は「汗と感動、ファイトでいこう!」といったようなコンセプトでやっていた。勝野・宮内淳さんからは「努力・友情・勝利」というコンセプトをベースに、二人で努力して友情で勝利をつかみとるというテーマで「ファイト・一発!」というキャッチコピーを使った。タレント、キャッチフレーズ、ナレーション、シズル、商品カットは長い年月使い続けている。ナレーションは発売当時から矢島さんが変わっていない
汗といっしょにスクリューをはじき飛ばすといスクリューキャップ飛ばしは、医薬品のドリンク剤が飲めなくなった代わりのシズルが欲しいということで生まれ、タワーディスプレーというのは店頭での大量陳列をテレビコマーシャルのなかでも表現していくねらいだ。またリポビタンDのイメージが企業広告にもかなりの影響を及ぼすといったことから、「ワシのマークの」と言ったようなキャッチフレーズは継続して使用している。
こうしたシンボルを使い続けているのは、広告テーマや首尾一貫した表現手法により「安心感・共感」といったものを醸成したいというふうに考えている。「生活の定番として顧客との息の長い関係性を保つ」、これをリポビタンDのテーマだ。
小川 長い歴史を持つブランドを十五分でまとめてもらったが、ブランドを表現するときのエレメント、構成部品が全部変わっていないのはすごいと思う。
船橋 お話してきたリポビタンD、医薬品といったやや特殊なカテゴリーであり、全部のジャンル、全部のカテゴリーに当てはまるとは考えていない。こうした広告は医薬品だからこそできたという面があり、さらにその前に売り上げが堅調に推移したという点も見逃せない。医薬品の特殊性として、昔からある薬がよく効くということが消費者心理に関係するので、そうした安心感が重要である。また日本には総合薬といった考えがあり、流通チャネルとして薬局・薬店様があり、奥様がお買い求めになると、ここでもかなり保守的な心理傾向が働く。
さらには医薬品の場合、広告表現はかなり自主規制といったものが厳しくあって、異質なことへのチャレンジが難しいという事情が絡んでくる。このような状況が重なって三十年間、四十年間と同じようなコンセプトで広告展開をしてきたといったことがリポビタンDであろうかと思う。
小川 それでは今度は若林社長に話していただきたい。長い間広告の世界で活躍されてこられたので、その経験のなかから強いブランドというのはどんなふうにつくられるのか、どういうところがポイントなのかなど、お聞きしたい。
若林 若干自己紹介から始めさせてもらうと、私はサントリーの宣伝部に二十五年間ほどおりまして、最後の六年は宣伝事業部長を務めていた。長くいただけで、必ずしもブランドづくりに成功してきたとは言えないかも知れない。むしろ失敗の数々ではなかったかなと思う。
そんななかで在任中、直接および間接に関与して何とかなったなと思われるブランドを挙げてみると、ウイスキーでは「山崎」「響」、飲料では「ウーロン茶」「CCレモン」「ボス」「南アルプス天然水」「なっちゃん」「DAKARA」などだ。それからコンサートホールのサントリーホールというのがあるが、これもブランドと言えるのではないかと思う。
昨年三月からサン・アドの社長、今年三月から新たにサントリーグループ入りした総合広告代理店サン宣弘社の社長を兼務している。サン・アドは一九六四年に開高健、山口瞳、柳原良平といった面々がサントリー宣伝部から独立してつくった広告制作会社で、日本ではライトパブリッシティ、日本デザインセンターと並ぶクリエーティブ界の老舗ではないかなと思う。現在サントリーの仕事は約四割、六割は他のクライアントさんの仕事だ。しかもクライアントさんとは約五〇%が直にやっている。
創立以来非常に自由闊達な雰囲気で、様々なクリエーターたちが育ち・独立をしている。また作家や詩人、映画人、イラストレーターなど諸々の文化人を多数輩出してきた。十月には銀座グラフィックギャラリーで「サン・アドの今、昔、未来」をテーマにしたサン・アド展という展覧会を開催する。さらに最近『サン・アド・アート・ワーク』という歴代手掛けてきた作品を掲載した本も出版した。
一方、サン宣弘社は創業六十一年の老舗広告会社である。民放草創期には「月光仮面」「隠密剣士」「ハリマオ」あるいは「サザエさん」などの人気テレビ番組を自主制作した会社だ。また銀座で最初の屋外広告ネオン塔をつくっている。サン・アドと同じ社長ということで、大いにクリエーティブ力に磨きをかけていこうではないか、さらには旧宣弘社の歴史と実績に裏打ちされた屋外広告力、アンビエントメディアに強いということを武器に、クリエイティブ・アンド・アンビエントをコンセプトにして、小さくてもキラリと光る集団でありたいと、奮闘している。
このように私は広告制作会社、それから広告会社、それからまだサントリーの籍を抜けていないので広告主と、三つの顔を持っている。ちょっと他にない存在であって、現在は希有な体験している。
ただ欧米ではよくあると聞く。広告主と広告制作会社とメディアの広告部門が自由に行き来し、それが広告界の活性化につながっているというケースがあるようだ。この背景には企業の広告セクションが非常に確固たるポストとして確立されているからではないかと思う。日本の場合は残念ながら、長いこと広告主にいたが広告セクションはちょっと弱い。人事交流も少ないが、もっと自由闊達に行ったり来たりすると、さらに強いブランドづくりができる環境が整うのではないか。
小川 若林社長はいわゆるアートとサイエンスということで言えば、アートの世界のなかでブランドをつくってこられて、さらに強いブランドをつくるためのコミュニケーションの戦略に取り組んでこられたと思うが、そのあたりはどうか。
若林 実は八年ほど前、サントリーの宣伝事業部長に就任した際、当時のサントリー副会長(現名誉会長)で日本マーケティング協会の会長でもあった鳥居道夫さんから突然呼び出しを受け、「おい、若はん、広告ってなんやねん? 十字以内十分以内で答えろ」と聞かれた。もし答えられなかったら、宣伝事業部長の辞令を取り消すぞ、ということで、苦心惨憺、冷や汗タラタラしながら、かろうじて「販売の最強の手段である」と答えた。これ漢字も使って表現するとちょうど十字にたまさかなって、事無きを得たわけだ。ただひょっとしたらそのときに「広告とはブランドをつくるもの」といった答えもあったかもしれない。そうは言っても「広告というのは売れてなんぼのもの」という点があり、売れてこそブランドがつくれるという面もある。
では、売れる要素とはいったい何だろうか。これも長い間アドマンをやってきた実感から言うと、やはり売れるということはどんな中身か、どんな名前か、どんな顔か、そしてどんなメッセージかという、こうした要素が有機的にミックスされ、トータルパワーを発揮したときに、初めて売れるという結果になると思う。もちろんその根底には商品、サービスや企業を通してお客さんや世の中に役に立つのだというトップとしての強烈な思い、あるいは企業家魂とでもいうものが流れていなければならない。この商品の良さを一人でも多くの人に伝えわかっていただきたい。そして、生活に役立てていただきたいという確固たる意思、情念、ロマン、哲学、そういったものが全体を貫いていることが必要だと思う。その上での中身、名前、顔、メッセージではないだろうか。
どのような中身か、または機能かと言えば、これは絶対に他に真似のできないユニークなオリジナルなものであればあるほどいいと思う。最近はUSP(ユニーク・セリング・プロポジション)という言葉が日本のマーケティング界を席巻しているようだが、これはユニークな売りの特徴がどれだけあるかということだろう。
次に名前、ネーミングだが、これは言うまでもなく核心を突いたもの、わかりやすいもの、ユニークなものでなければならない。これも私の経験からすると、濁音があるネーミングは結構いいようだ。濁音があると何となく品質感を感じるとか、ひっかかりがあるとか、こだわりを感じるとか、そんな感じがある。たとえばボス、ジョージア、DAKARA、リポビタンD、アコード、レジェント、アルファード、山崎、響、スーパードライ、ラガー、一番絞り、黒ラベルなどいっぱいある。もっともこれもよく考えると、ターゲットにもよると思う。例えば男性向けの商品はとりわけ濁音があるといいようだ。
次にどんな顔、つまりデザインである。中身がよくて、名前がよくて、顔がよければそれだけで売れるのではないだろうか。大げさに言うと優れた顔づくりというのが、ブランドをつくっていくと思う。少なくともその第一歩だろう。
小川 なんと言ってもオリジナルな中身、分かりやすく核心を突いたネーミング、優れたでデザインが不可欠というわけですね。
若林 中身、名前、顔の三拍子が揃うと、商品を擬人化すれば、世に出たいという思いでいっぱいになる、期待感で膨らんでくる。あとは広告という針をちょっと刺すだけでプチンとはじけると思う。
さて次にどのようなメッセージかということだが、これはどんなクリエーティブかということと同時に、PRも含めたどんなメディアプランニングかということになる。中身と名前と顔がしっかりできていれば、広告づくりは大変やりやすい。ひょっとしたらやらなくても済むかもわからない。あるいはちょっとやるだけで、また針を刺すだけでいいかもしれない。
つまりここで言いたいのは、広告づくりに入る前に中身、名前、顔にUSPはあるかという総点検、再点検が必要であるということだ。なければやらない。あるいはもしなかったら、自分たち広告サイドの人間がクリエーターも含めて出向いていって、USPをつくってくるぐらいの気概が必要ではないかと思う。最近商品開発にクリエーターなどが参画するようになったのもその現れではないか。
デザインと広告の関係について述べたい。広告は時折見聞きするものなのに対し、パッケージデザインなどデザインは使うたびに手にする。デザインとしての輝きがあると、お客さんとの間に体験を通した物語が生まれる。つまりエモーショナルな関係性というのが出てくるわけだ。その結果この商品は「私にとってとても大事なもの」になる。
感動の力学という言葉がある。「このデザインはすばらしい!」と感動すると、一人が七
人に伝える。七人が四人に伝えて、四人が二人に伝える。計算すると七×四×二だから五十六の効率にもなるわけだ。いまはネット社会だからもっと大きな効率を生むか知れない。逆に「なんてつまらないデザインだ」など失望すると、そのマイナスの効率はその倍ぐらいになって行き渡っていくだろう。
最近右脳ビジネスという言葉がよく言われる。ロジックで迫ることも大事だが、やはりエモーションに訴えるということも非常に大事だと思う。右脳ビジネスという言葉に象徴されるように、デザイン重視の傾向がビジネス界の所々で現れてきているようだ。ブランドエクィティという言葉があるが、デザインエクィティの時代ではないかとも言われる。デザインがいいものが売れる。デザインがいいことがブランドをつくる第一歩ではないかと思う。
最近の日産自動車さんが売り出したマーチのデザインはすばらしかった。復活したフェアレディZもすばらしい。一連のソニーさんの商品もいいデザインだ。まずデザインが優れているが大事ではないかと思う。
デザインを考えるときに忘れてならないのは、ロゴタイプの重要性だろう。名前を開発するときには一緒にロゴも考えるべきではないかと思う。ともすると、ロゴタイプというのはデザインに包括して考えられがちであるが、いかにいいロゴをつくり出すかがデザインの第一歩だろう。ということは、ロゴタイプはブランドづくりの原点かもしれない。
サン・アドが制作したサントリー以外のロゴについてご紹介すると、NTTドコモさんのiモードのマーク、リクルートさんのCI(亀倉雄策さんの後のもの)、ユナイテッドアローズの一連のロゴ、ソニーさんのベガ、東京FMさんロゴマークなどがある。サン・アドには副社長の葛西薫というアートディレクターがいるが、彼はいつも「デザインは百の言葉よりも速く、強く、直接に人間の知覚に触れる」ということを言っている。
小川 船橋さんのリポビタンDのお話では、タレント、キャッチフレーズ、ナレーション、シズル、商品カットは長い年月使い続けているということだったが、そのあたりはどうだろうか。
若林 広告表現というのは絶えずベストを求めるべきだと思うが、ベストというのはなかなか生まれない。何がベストかもわからないわけだ。結局その時点でベター、そこそこいいと思ったら続けるべきで、その継続パワーがブランドをつくっていくのではないかと思う。
サントリーウーロン茶は発売以来二十一年になる。ずーっと同じトーン・アンド・マナー、つまり中国を舞台にした自然観、健康観、美しさ観でやってきた。しかもまったく同じクリエーターだ。これは極めて希有な例である。先ほど紹介し葛西薫はウーロン茶の仕事に取り組んだときに三十二歳で、現在五十三歳になっている。この間の軌跡はサントリーのウーロン茶とともにあったともいえる。ウーロン茶を成功させて、それがサントリーの飲料事業の中核になって、そこで得たノウハウや利益がさらに様々な新製品やブランドにつぎ込んでいったというのが、サントリーの飲料事業の成功の原点になったのではないかなと思う。
いろんな危機もあったが、ずーっと同じトーン・アンド・マナーでやってきた。この継続パワーが大事なんじゃないだろうか。同じようにサントリーのウイスキー「山崎」だがが、「何も足さない、何も引かない」、これで十八年やってきた。これもほとんど表現は変わっていない。京都の山崎蒸留所を舞台にしたウイスキーづくりの真摯な姿勢を表している。またサントリーが輸入をしている「ジャック・ダニエル」というウイスキーも米テネシー州リンチバーグの蒸留所を舞台にモノクロトーンで継続している。アサヒのスーパードライさんもそうだろうし、リポビタンDさんも「ファイト・一発」で二十五年、すごいと思う。
サントリーにDAKARAという商品がありますが、小便小僧というクリエーティブを使っている。私が宣伝事業部長のときに始めたが、賛否両論あった。口に入るものがなんで小便なんだ、おかしいじゃないか。タブーですよ、普通は。しかし、それを何とか乗り越えてやっている。理屈じゃなく、感性の問題でやっていて、何とかポカリスウエットさんの牙城に少しずつ迫らせていただいてるのか思う。船橋さんのお話にもあったように、売れるから続けるのか、続けるから売れるのか、どちらが先か大変難しいが、少なくとも続かないものは売れないし、ブランドにならないと思う。
さてブランドを壊すもの、これも雑感ですが、「担当者の命は短い、されどブランドの命は長い」ということがある。いまブランドの担当者とか企業の広告宣伝部員はポジションがよく変わる。変わると、どうしても自分らしさを出したいとか、新しさを出したいとか、考える。私自身もそうだった。表現とかデザインを変えたがるが、本当は継続パワーの一貫性が必要なのではないか。ブランドづくりにはペイシャンス・アンド・コンテニュイティ、辛抱と継続性が大事だとつくづく思う。
もちろんブランドは生き物だから、市場環境ですとか競合状況により、刻々変化している。細かい目配り、メンテナンスが絶えず必要だ。例えばそのブランドが導入期なのか成長期なのか成熟期なのか衰退期なのか、あるいは競合環境からみてリーダーなのかチャレンジャーなのかフォロワーなのかニッチャーなのか。その見極めが大切だろう。
私自身も何度も変えたいという衝動に駆られて変えてきたし、あるいはトップから「変えなさい」と言われてそれに従ったこともあった。しかし、その際いつも古い言葉を思い出していた。それは「不易流行」という言葉である。変わらざるべきものと変わるべきものと、こういうことではないかと思う。いま世の中は押し並べて変革だとか革新だとか改革ばやりだ。しかしそうした美名のもとにブランドを壊してはいけないと感じている。行き過ぎた改革というのは、ともすると破壊につながる。改めてブランドづくりの問題提起をしたいと思う。それは「変えない」という確信だろう。
一つ言葉を紹介したい。「一に新しきこと、一に珍しきこと、一に面白きこと」、これは室町時代に能の基礎を完成させたとされる世阿弥がその著『花伝書』で言っている言葉で、芸事であれ、世の中の諸事万端であれ、絶えず新しいこと、珍しいこと、面白きことに対する積極果敢な挑戦が必要なのだ。そういうものがイノベーションを巻き起こしていくし、完成の域に達するのだと言っている。行き詰まってしまって変えようというとき、あるいはまったく新しい新製品を世に問おうというときには、この精神が大事じゃないかなと思う。それは新しいですか、珍しいですか、面白いですかと、この問い返しであり、自問自答である。
私自身も自ら数多くのプレゼンテーションをしたり、されたりしてきた。一年間にコマーシャルだけで百五十本つくったときもあった。私の目の前を通過したグラフィックの点数は四千点数えるだろう。その際常に自分に問いかけておりました。「それは新しいですか、珍しいですか、面白いですか」と。それからこれからが大事なことだが、「そして売れますか、やがてブランドをつくっていけますか」という自問自答だ。見方を変えると、先ほど
来再三言ってきたUSPを日本風に表現しているのではないかと、はたと気がついた。USPは大事だ。USPがもしないとしたら、USPが見つかるまで世に出さないという決然とした姿勢も必要ではないだろうか。
ところが最近、短期的な数字狙いのための新製品がよく目につく。つまり差異性のない中身とか、ありふれた名前とか、チープなデザインとか、こういう新製品が目立つ。確かに事業を担当しているものにとっては、一年ごとに売り上げと利益を問われる。短期的に数字をつくることも必要かもしれないが、その結果ブランドや、そのブランドを送り出している企業のイメージを損なうことになりはしないだろうかという視点も大切だと思う。
実際、USPというのがないまま無理やり広告すると、表現だけの新しさとか、珍しさ、面白さで何とかカバーしようという気持ちで躍起になる。ともすると話題性やインパクト、もっと言うとどぎつい表現に走りがちであって、そこに破綻を来す要素が潜んでいる。
小川 広告と調査の関係はどうか。
若林 ブランド担当者や広告責任者は非常に調査好きの人が多い。拠り所を求めたがるからだ。商品の中身、名前はともかく、デザインとか表現に至るまでおびただしい調査をやる。しかし時として調査する側に確固たる信念とか仮説もなくて、ただやみくもにやるケースも多い。むしろそういう自信がないからやるのかも知れない。これはともすると大衆迎合になり、ポピュリズムに陥りやすい。
消費者に聞くという美名に溺れやすいわけだ。自分が決めるのではなく、多くの消費者という集団が言うからこれに決めるという話になる。やはり優れた調査というのは調査をする側に信念とか哲学があって、それを確認するためにやることが必要なのではないか。その調査の結果、さらに自分の信念、仮説に自信を深めて、堂々としたマーケティングや広告につながるということが重要だろう。
先ほどサントリーホールの話をしたが、サントリーホールは調査したらできなかったかもしれない。サントリーというのは利益三分主義を重んじている。会社である以上当然利益を上げよう。上げた利益の三分の一は当然のことながら再投資に向けようじゃないか。あと三分の一は社会還元、そして三分の一は社内のために返そう。これが利益三分主義であって、そういう経営理念が根底に流れていた。さらにサントリー音楽賞だとか、サントリー音楽財団をつくっていた。こういう素地があって、サントリーホールをつくろうじゃないかということになったわけだ。あの時にこの場所にサントリーホールをつくるのがいいか悪いかなどという調査をやったら一向に生まれなかったはずだ。やっぱりトップが「やるんだ」と決め、そしてやるからには世界最高の響きを求めて、かつサントリーがやるからにはバーのあるコンサートホールをつくろうという思いがあったから生まれた。
そうした大衆迎合の結果、みんながいいという平均単一的なものになりやすい。表現、デザインで言えばせっかくのとがった石も丸い、何の特徴もないものになりやすい。大体世の中のことは二〇%ぐらいは方法論とかロジックで説明できる。だけど現実は八〇%のよくわからない部分で成り立っていて、この八〇%に価値があるのではないかと、私は思っている。デザイン、広告表現、アート、映画、芝居などおよそ右能ビジネスと言われるものが調査でほんとに神髄に迫れるだろうか。とりわけ日本には曖昧なものに対する美意識がある、詫(わび)とか寂(さび)とか。
光と陰という言葉を思い起こして欲しい。西欧では光に対し「影」という字を当てるが、日本は「陰」で表現する。光と影は、生と死がくっきりし、善と悪がはっきりしている。イエスかノーか明確で、絶対的であり、客観的だ。例えばスペインの闘牛場やギリシャのパルテノン神殿などを想像してもらえばわかるが、一方は光輝いていて、反対側は影となっている。このコントラストが西欧的な美意識だ。
ところが、日本の陰というのは法隆寺の柱の陰のようにもやい。これは曖昧とした美しさだろう。こういうものが調査で本当に如実に出てくるのだろうか。ともすると、行き過ぎたグローバルスタンダードではなく、日本独自の文化と感性を生かしたブランドづくりでありたいと思っている。真にナショナルなものこそがインターナショナルになるともいわれる。もう一回こういうことに立ち返ってみたらどうだろうか。
とりあえず最後になったが、「それでも明日リンゴの木を植える」という言葉を紹介したい。世の中が傷んでいて、今日の明日もわからない。それでも少しでも明日の可能性を信じてリンゴの木を植え続けるべきだというのは開高健、すなわちサン・アドの創業者の言葉である。いま日本は大不況が続いているが、不況のときこそブランドは威力を発揮するのではないか。しっかりしたブランドがあれば、デフレ競争にも巻き込まれないで済むはずだ。流通の皆さんから値下げしろという要求が出て大変だと思う。あるいは価格保証という名前の販促費がいかに飛び交っていることか。みんな広告費がそっちへ向かってしまう。そうなると結局ブランド投資にならない。いまこそ日本独自のブランドで世界に発信することが必要なのではないだろうか。そのためには不易流行の視点で、どんな中身か、名前か、顔か、メッセージか、絶えず見つめ続けることが必要だと思う。そして明日のために、たとえ小さくてもいい、確固たるブランドの木を植えていきたいというのが、私の実感、雑感だ。
小川 多くの結論と問題提起をしてもらった。非常にいい話を聞いた後で、司会をしているとちょっとつまんないような気もしてやりにくい。若林さんのお話の中にあったが、確かに日本は現実として広告業界とクライアントの側の人事交流は少ないということだが、それはブランドづくりにも影響しているというふうに考えてもいいのだろうか。
若林 やはり広告主の側の広告セクション、それは直接広告部という名前だろうが、あるいは宣伝部、マーケティング部、事業部という名前だろうが、やはりそこのセクションの力が少し弱いかなという感じがする。とりわけ広告部や宣伝部と言われるところの力が少し弱くなってきているように思う。そこがしっかりしてさえいれば、目先の数字を上げて、とにかく売り上げをつくるという、そういう短期的な流れとは異なったポジションをとることができるのではないか。
小川 そこを強化するためには、どういうことを考えなければいけないだろうか。
若林 大変難しい問題だが、まずやはり広告を当てる、ブランドをつくるということだろう。そのためには商品開発力というのがものすごく大事だ。優れた中身、優れた顔、そして優れた名前のものがあれば、ひょっとしたらそれだけで売れていく。これは広告部の役割じゃないかもわからない。しかし、そういうところにもどんどん乗り込んでいく必要があるのではないだろうか。この状態では広告できないと思ったら、できるための提案をすべきだろう。
このシンポジウムの始まる前に船橋さんと、中身がすばらしく、名前がよくて、デザインが優れていたら売れるよと話し合っていたら、同席者から「何か例があるか」と質問が出て、船橋さんが「当社で言えばリアップだ」とおっしゃっていた。私も最初のサンプルをもらったとき、これは多分広告しなくて、口コミでかなり当たると感じた。私も相当吹聴したので、その口コミ部隊の重要な一翼を担ったかなと思うが。
小川 それからもう一つのポイントは、やはり継続性、一貫性、辛抱ということだった。そこを結局変えないというのは、一つはトップの意思というお話だ。一般には変えたくなるが、それを抑えるものは何だろうか。
若林 トップにしても事業部にしも、絶えず売り上げの最高を求めがちだ。だから、そこそこであればいいじゃないかという割り切り、そのへんがやはりポイントだろう。先ほどから言っているが、ベストを求めてもなかなか得られないし、大体何がベストかもわからない。ベターでそこそこだったら続けましょうよ。少なくとも三年は続けさせてくださいよと。それが、いま私が担当している私の責務だというやりとりだと思う。
英国に「せっかくいい犬を飼っていながら、自ら吠えたがる飼い主」という諺ある。いい犬を飼っている。餌も上等なものを与えているわけ。犬の機能というのは吠えることでしょう。その犬に吠えさせず口をふさいで、飼い主が勝手に吠えちゃうと。これひょっとしたら事業部だったりトップだったりするかもしれない。せっかく飼った犬なんだから、犬に縦横無尽に吠えさせよう、少なくとも三年は、五年は。この辛抱も大事だと思う。
小川 若林さんのほうから中身、ネーミング、顔というコミュニケーションの仕方というか、重要なポイントを挙げてもらったが、船橋さんにこの点をお尋ねしたい。先ほどのリポビタンDの例でも結構だが、そういう枠組みのなかで解説をしてもらえればと思う。
船橋 医薬品の特殊性を申し上げると、いわゆるトレンドを追っかけて商品をつくり込んでいき、早く商品化する、そこで生活者のニーズに合わせるといったことが比較的難しいジャンルだと言えよう。やはり薬の開発には相当な期間と金額も要するわけで、したがって「出したからには」といったものが前提としてあると思う。一般に出したからには、いまの言葉で言ってそこそこの商品であれば十年間は我慢するというスタンスがわが社にはある。このため広告表現も一年、二年でその結果を見ずに、十年間は同じポジションで頑張ってみようといったような考え方になる。
さらに付け加えると、やはりどちらの会社でも同じかと思うが、宣伝部のパワーが弱まっている言った事情がある。ローテーションといった人事で、スペシャリストではなくゼネラリストを求めるといった会社全体の流れのなかで宣伝部のパワーが落ちていると。そうするとそれなりの結果を出さなきゃいけない、期間も短いとなれば経理的な話になってコストダウンとか効率化ばかりに目がいき、結局中長期的な話や先行投資といったものができなくなる。
小川先生の話にもあったが、それをどうやって打ち破ったらいいのかというのは、やはりトップの熱い思いだろう。やっぱり広告宣伝という先行投資に対する期待も含めた哲学というものがないと、いまはなかなかこういう環境が苦しいなかではクリアできないかなと思う。トップがそのブランドに対して熱い思いがあり、その熱い思いがだれを宣伝部長に据えるかといったことにもつながっているのかなと思う。したがって若林さんのような方を宣伝部長に据えれば、これは熱い思いにつながるし、商品に生かされ、広告にも生きていくはずだ。逆にそうではなくて、経理畑の人間というか――そういう方がいらっしゃったら大変失礼だが、そういう方が責任者になればどうしたって結論はいくらいくら安くできたとか、効率化が進んだ、データではこうだといった話になる。これはやや極端な話で、オール・オア・ナッシングということではないが、そのあたりも非常に関与しているかなと考える。
小川 広告とかブランドづくりということが、先ほど若林さんも指摘されたが、一つの専門領域として社会的に認められているという背景がないと、ちょっとやりにくいという面がやはりあるだろう。私が知っている例では、ナイキやスターバックスのブランドをつくったスコット・ベドバリー氏は、元々は広告代理店でクリエーティブ、コンセプトをつくっていた。その人場合は自分の持ってる専門性を実際のクライアント側の立場に立って生かすとか、また戻ったりするといった具合に、そうした人事交流が優れた広告づくりの背景にあるようだ。どうもやはりこうしたことがいいブランドをつくるポイントのような気がする。日本でも、若林さんは広告主から広告制作会社、広告会社のトップに就くといった例だろう。
ところで横山先生にお尋ねするが、いまのお話のなかでいくつか言語学的なポイントも出ていたが、何かコメントは。
横山 一つは企業側の、商品開発をした側の哲学というか、熱い思いというか、言葉を変えれば志というものが消費者にどういう形で伝わっているのか。それをチェックする。それが調査の一つの使い方かなという気がする。例えば船橋さんや若林さんのような優れたクリエーターの方がいるような企業はいいが、そうでない場合やはり優れたクリエーター、優秀な人材というのは育成に非常にコストがかかってしまう。また名人芸的なところがあるので、これを何とかできないかなと考える必要があるだろう。
確かにベストのものをつくる、本当に強いブランドをつくるというのは、アートだと思う。そうでなくても、まずそれなりのものをつくってみたいとか、あまりコストをかけずにやりたいという時、いまはIT(情報技術)で電子化された言語データが野ざらしになっているという会社もいっぱいあるのではないか。それはパソコンのなかにテキストの形でいろんな調査データとかが入っているのだろうが、それをどう扱ったらいいのかわからないで、そのままほったらかされているというケースも多いはずだ。
何か調査をやろうとしたときに、ちゃんと計画をしてやらないとダメだということを若林さんは言われたが、その計画をする、何かをデザインするというのは、もうそこでセンスが非常に問われ、誰でもできるわけではない。言葉を変えれば、デザインをするところに大変なコストがかかる。それをなんとかコストパフォーマンスの関係で、つまりコストはあまりかけずにそこそこのものをやれないかというふうに考え始めたのが、このテキストマイニングとかブランド連想の研究という流れのきっかけだと思う。
決してテキストマイニングとかブランド連想研究というのはクリエーターの方々の優れた能力、名人芸的な、職人芸的な技を否定しようというものではないが、企業側の熱い思いが消費者側にそのメッセージが空回りではなくて、ちゃんと伝わっているのかどうか。それをチェックするというときに、あまりコストをかけずにやれる方法として、このブランド連想とかPINS測定法というのがある程度の有効性があるのではという気がする。
船橋さんや若林さんにお尋ねしたいのは、今日説明があったブランド連想法、それからPINS測定法のような形でその連想法に対する人間のエモーショナルな方向性、そういうものを量的なものだけではなくて、質的な情報も集めて分析することにより、「新しいですか、珍しいですか、面白いですか、他のものとはどういうふうに違いますか」という、ユニーク・セリング・ポジションと言うか、USPを駆け出しの、またはマーケティングにそんなに詳しくない世界の人々でもそうした情報をこうした調査法で得られることはできそうなのか、逆にももう全くお話にならないのか、ということだ。お二人とも今日はパネリスト言う形で呼ばれているので一応持ち上げているが、内心は「まぁ、あんなものはダメだよ」ということなのか、そのあたりをお尋ねしたいなと思う。
それともう一つは、確かに若林さんはクリエーティブなものをつくろうとすると、方法論とかロジックは二〇%しか役に立たないと話された。しかし二〇%役に立つのであれば、そこを最大限まで利用したいというふうな考え方もできないだろうか。二〇%も役に立つのだったらやってみようという発想もあるのではないか。
言語データベースというものがいろいろな企業に蓄積されているわけで、例えば日経新聞社テキスト情報が山になってあるだろう。そういうものをいろいろ分析することによって何か見つけられないか。ここでまた「何か見つけられないかな」という後付け的なちょっといい加減な発想なのだが、先ほど述べたようにちゃんとした発想、ちゃんとした志を持ってる人材を育てるというのはものすごくコストがかかる。そうではなくて、それなりのことをやりたいときに、いまのコンピューターのパワーに依存して、何かできないかなというふうな、そういうアプローチの仕方というのは本当にダメなのかどうか。その二点をお尋ねしたい。
小川 確かにわれわれが目指しているようなものというのは二〇%のポテンシャルがあって、それで役に立つかどうかは興味のあることだ。若林さんはどう考えるか。
若林 私もけっしてデータを嫌いとか、軽視しているわけではまったくなく、データは大事なものだと思っている。ただ気をつけなければいけないのは、数字はウソをつかない。だけどウソつきは数字を使う。こういう事実がある。あるいはまったく考えもなく、やみくもに調査していて、先ほど言ったような輩は消費者がこう言っているから、あるいは調査の結果こうなっているからと言って、調査という怪物に振り回され過ぎる。そのへんを十分気をつけたら、これ問題はないだろうと。むしろ大いに活用すべきだと思う。
私はいつもサントリーの宣伝事業部時代に宣伝部員に言っていたのはデータ・アンド・クリエーティブということだ。やはりデータは大事にしよう、いろいろなデータがとれるようになったじゃないか。様々なお客様のデータがとれるでしょうと。
とにかくいろいろ問題があるが、様々なメディアのデータもとれるようになり、売りのデータもPOS(販売時点情報管理)というリアルタイムなデータがとれるようになった。こうした各種のデータを十二分に活用しながら、そのうえに大いなるクリエイティビティーを発揮しようではないかということを言ってきた。そういう意味でいまのPINS測定法みたいなものが見事に成就したら、大変うれしいと思う。もっともその通りにはやらないだろう。それを大いに参考にしながら、自分たちのジャッジの糧にさせてもらおうということではないか。
小川 広告のクリエーティブとやや違うが、私も知る限り、非常に優秀な起業家はよくデータを見ている。直感ではやっていない。いまのは多分そういうお話だと思うけれども。
若林 それから先ほど来アートという言葉が盛んに出ているが、私は広告とか表現、デザインはアートではないと、思っている。アートというのは制限がない表現で、自分のやりたいことを勝手にやる、その結果大勢の人たちの心を動かしたり喜ばせたりしたら、それがアートだと思う。広告の表現でありデザインというのはあくまでビジネスという大きな商行為のなかでやっているわけで、これはアートではないと思う。むしろいろいろなルールがあるなかでのアートだから、ゲームだと思う。
小川 実際にブランドをつくって維持している立場からして、どうだろうか。
船橋 今日ご紹介いただいたPINS測定法、これは新しいということだけで魅力がある。この業界にいると、それはもう知っているとか、その方法では何度もやったというのがよくあるので、新しい方法であり、かつ手法として非常にわかりやすいといったことが大きなポイントだと思う。パソコンというものが普及してきて、なかなか調査そのものがわかりにくくなった部分もある。相変わらずフォーカス・グループ・インタビューの方を重用し、そこのなかで生の声を聞きたいという人も多い。
定量調査はわかりやすい半面、どちらかというと、数字集めになってしまうような傾向がある。その点では今日のPINS測定法はわかりやすい。つまり自分がわかりやすいことは他にも説得しやすいということだし、仮説も検証しやすいわけで、これは利用できるのではないかというような直感はある。
横山 調査はたしかに販売促進の手段、それからデータを得るための手段という見方もあるかと思うが、調査というのは企業と消費者のコミュニケーションの手段の一つだというふうな見方も必要じゃないかなという気がするが。
PINS測定法をどのように評価するかということだが、言語学的にというか、記号論的な観点から考えてみると、いままでのテキストマイニング、それから何らかの連想調査というのは、シンタックスのレベル、つまり文法というか、テキストだけを眺めていた、データだけを眺めていた、そういう時代のものだったと思う。それをもう少し意味を考えてみよう。やはり言葉には意味というものがあって、意味というのは記号とそれから外の世界との関係を見ていくというだろう。
PINS測定法というのはやはり意味を読み解く、意味を解読する。今日は少し暗号解読などというふうな言い方をしたが、データのなかに込められている意味をより正確に、つまり人間との関係のなかで読み解こうとする、そういう新しい流れではないかなと思っている。つまりテキストマイニングというのがやっと意味論の世界、シマンティックスの世界に入ってきた。もっと言えばプラグマティックスの世界にこれから動いていくのではないか。そういう連想を発した人の意図は何なのか、目的は何なのか、どういう場でそういう言葉が使われたのか、どういう世界にその人は生きているのか。そういうのを読み解くための一つの手がかりとしてデータがあるのかなという気がする。
ITが非常に進んで、コンピューターも進化してきたが、これはあくまでも道具だ。先ほど人材育成にはコストがかかると述べたが、人材育成をせずして何をするかということもある。より良く人材を育成するために不要なコストをカットして、そっちへ回せという発想もあるかと思う。したがって二〇%方法論でロジックと簡単なツールで押せる部分があれば、そこは最大限押し切っていって、浮いたカネをちゃんとした人材育成に回せばいいというような考え方もあるのではないか。現在の経済不況は土地にカネを突っ込んでしまったところに原因の一つがあるが、そこが大きな間違いで、人にカネをかけなかった。志がないところに経済の浮揚はないというふうに考えている。
小川 言語学者から非常に力強い言葉をいただいたので、われわれ経営分野に関連している人は頑張らなきゃいけないかなというふうに思う。
ここで話題をちょっと変えたい。先ほどからブランドをつくるときのいろんな時代的な制約だとか環境という話が出ているが、中長期的な側面と短期の相剋と言うか、それから変える・変えないという問題だ。若林さんの言葉で言えば、一般には「変えることを善しとする」風潮があるされるが、ブランドを取り巻く環境について、われわれ考えなきゃいけないポイントがあったらいくつか挙げて欲しい。
船橋 私が言うまでもなく、いまは悪い環境にある。GDP(国内総生産)の前年比を見れば、それが広告予算に大きく影響しているのは一目瞭然だ。中長期と短期という事柄とともに、やはりグローバルスタンダードみたいな話があって、それがさらに声高になって増幅されているような気はする。短期、短期で利益を確保したいという機運が強いが、利益という言葉も実はここ数年前面に出てきた言葉ではないだろうか。それまでは売り上げという言葉を使っていたのが、利益が重視され、株主のためだという話があって、株主のために仕事をするみたいなのがここ数年の傾向になってきた。そこには商品だとか、企業に対するアイデンティティ、愛着みたいなものが薄くなって、中長期的な視点から見るべきものが外されてしまったのかなというような気もする。
そこはまた曖昧な言葉でしか表現できないが、哲学みたいなもの、すなわち志を持ってやっていかなければならないのではないか。短期的なものやグローバルという名の米国基準ばかり追っかけていると、日本の広告業界全体がダメになってしまうなというふうな気がする。したがってそこに立ち向かっていくためにも、その企業の確固たる信念を持ちながらブランドを育てていくといったことを、宣伝部が率先して新しい手法を見つけてやっていくことが大切のように思う。
ただ、こうした景気の状況下では、企業のなかに身を置いている人間としては、実際にはカッコいいことが言えるかというと、まったく言えないわけで、「売り上げが落ちたからやめましょう」みたいな話になっていく。しかしそれでは本当にじり貧になってしまい、最悪の事態を迎えることにもなりかねない。先行投資である点をもう一回認識しながら、ヒトとモノが一体化になって訴求をしていくことを考えたい。
小川 先ほど説明してもらったリポビタンDの四十年間のケースがあるが、ブランドをマネジメントするという点では基本路線には変化はないのだろうか。
船橋 基本的には「努力・友情・勝利」といったコンセプトを変えるということはない。ただ、そこのなかで陳腐化といったものもあるし、競合メーカーからの大変強力な商品というものが発売されたりするので、ユーザーとのパイプを傷つけないように微妙に軸をずらすといったようなことはある。それは商品そのものであったりもする。商品が未来永劫強いわけではないし、現実にリポビタンDでも多分過去に十回程度味について変えているのではないか。
ここ二、三年は医薬品から医薬部外品への変更になったこともあり、いわゆるクローズドキャンペーンと呼ばれる、よく飲料メーカーさんでやっている手法が部外品にもとれることになったので、最需要期の夏場に実施している。これについては、キャンペーンなのである期間が来たら終わる。未来永劫こういうキャンペーンを続けますよと言うと、やはり今までのユーザーの方が離れていってしまう懸念がある。期間を限定して一カ月なら一カ月間だけ行い、またすぐに今までのコマーシャルに戻すといったような、深く静かに軸足をズラすというのと、短期に急激にキャンペーンをやってまた速やかに終わるといった、この二つをうまく使いこなしている。
小川 キャンペーンの位置づけというのは、そういう意味では基本路線に変化をつけるための位置づけみたいなものというふうになるわけだ。
船橋 それも含まれる。
小川 それからあまり製品の話では出なかったが、顔っていうのはどうなのだろうか。つまりデザインだが、リポビタンDのパッケージだとかロゴだとか少しずつ変わっているような気がするが。
船橋 パッケージは、これも非常に変えたくなるような気にさせられるが、パッケージを変えてうまくいった例は極めて少ないような気がする。過去にいろんな成分的な問題があったり、それからターゲットとしていた層が変わってきたりした場合に、一番手っとり早い方法はパッケージで変えるというのがあるが、これは意外と成功したことがないと思う。やっぱりプロダクトがしっかりからんだ場合ではない限りは、パッケージをいじるだけムダかなというふうに感じる。
小川 これはリポビタンDだけでなくて、いろんな商品でもそうなのだろうか。
船橋 そうだと思う。
小川 若林さんに短期、中長期の問題をお尋ねしたい。
若林 やはり二つの視点が絶えず必要だと思う。短期的に売りにつながる広告という視点と、それから同時に絶えず中長期的にブランドをつくっていくための広告だ。一つの広告をやろうというときに、両方の視点を持たなければならないのではないか。例えば「今度こういうキャンペーンがあるから広告やってよ」と言われたときに、当然それも大事だが、忘れてはけないのはそればっかりに走りすぎないことだ。適度なバランスのとり方が必要なのではないかと思う。ともすると、いまは短期的に売りにつながる広告、販促的な広告、それに対する動きがちょっと強いようだ。
キャンペーンには二つの意味があると思う。短期的な販促キャンペーンと中長期的なブランドをつくっていくための広告キャンペーンだ。そのキャンペーンという言葉が渾然一体となって使われてすぎているのかと感じる。
小川 その分かれ目というのはどのへんにあるのだろうか。つまり言葉として同じキャンペーンであるわけだが。
若林 短期的な売りにつながるキャンペーンをやっていても、それが中長期的にブランドをつくるという視点に合致しているかどうかという検証を絶えずしながら、短期的なキャンペーンを組んでいくべきだろう。先ほどウーロン茶の話をしたが、ウーロン茶も短期的にいろいろなキャンペーンをやっている。今年も上海を舞台にして孫悟空が出てきたり、上海ブギウギの音楽に合わせて広告展開をしているが、一方でアイボが当たるという短期的なキャンペーンをやった。しかし、そのキャンペーンが全体のブランド構築を覆すようなキャンペーンではなく、むしろその枠のなかに入っていて、短期的なキャンペーンを流すことが中長期的にもブランドづくりにつながっていくのだという視点でないと、広告づくりをやってはいけないのではないか。
小川 最後に一言ずつお願いしたい。
横山 いまの短期的なキャンペーンと中長期的なキャンペーンのことをちょっと若林さんにお尋ねしたい。例えば短期的な集中的にキャンペーンを行うのは、新しい消費者というか、購買層を新規獲得する目的で使われているのかなというふうに感じた。もう一つの中長期的なキャンペーンは、その商品に馴染みを持ってもらい、馴染みがあるから好みが合って安心感も持ってもらうのがねらいなのではないか。ただマンネリということもあるだろうが、リピーターと言われる消費者をつなぎとめるためのキャンペーンが中長期的なものなのかなと思う。
小川 最近の言葉で言うと、お客さんという立場に立つということだと思う。最初は顧客獲得という部分があり、その後はいわゆる顧客維持という部分でのキャンペーンということになるだろう。
横山 もう一つ、若林さんのお話のなかで商品は中身、コンテンツが重要で、コンテンツはいろいろな経営者の哲学とか企業の哲学、志がそこに反映されているユニークなものでなければならない。二番目に名前が大事だが、名前も言語的な音のつながりだけではなくて、視覚的なロゴもそのときに一緒に考えるべきだということだった。これはある意味ではイコンというか、シンボルというか、日本人は漢字を使うので表意文字――意味を表すような文字、一種の漢字のような働きをするものなのかなという気がする。名前というのは音なので耳から入ってくる情報だが、ロゴは目から入ってくる情報、いわばイメージ情報だ。イメージ情報と音声情報が心のなかで一体化されて、それが無意識のなかにがっちりと深く浸透していく。それが先ほどの意味ネットワークの話のなかで言えば、何かの概念と非常に太いリンクをつくっていくことになるのかなというふうな理解をした。
小川 多分若林さんが言われているのは、両方でつかめという話だと思う。どちらかというと、ネーミングはネーミングで、ロゴのほうはロゴのほうというふうにバラバラにやっていたのを、それをデザインというキーワードだろうか、一緒に考える。それの方が心のなかに刺さりやすくなるという意味ではないか。
横山 言語と視覚的なものとをミックスさせた、いろんな感覚をミックスさせて、様々なチャンネルから人間の心のなかにある情報の環境を構築していこうというだと思う。
小川 われわれがブランド連想分析研究会でやってきたことは、五感で僕らが感じている世界のものを、ネットを含めた調査で検証するのは結局言葉でとっている。その限界みたいなものを、横山先生にお尋ねしたい。
横山 言葉でデータをとっているので、そこに制約はあるが、人間の心の奥底にあるイメージというものをある程度支えているのは言葉だ。したがってフロイトやユングは自由連想法、つまり言葉を通じて患者とコミュニケーションをして、コミュニケーションのなかでその患者の心の状態をつかんでいく。なにか夢を見たとして、夢というのは視覚的なものだ。内容的には結構メチャクチャな内容で時系列もメチャクチャだし、因果関係も変だったりとかいろいろあるが、それを言葉というフィルターを通じて意識化させる。無意識のものをそのままダイレクトにつかめられればいいが、その場合は絵を描いてもらうとか、いろいろな方法があるとはいえ、やはりそれはあとでデータを解析したりするときの手法がまだまったくないので、そこで言語データというものを解析することによってイメージのデータにも迫っていこうというわけだ。イメージに迫るための一つの手がかりとしてPINS測定法というものもあるなと思っている。
小川 多分多様な方法のなかの一つという位置づけになるだろう。
横山 ええ。今までのテキストマイニングというのは、イメージということはまるで捨象していて、さっき申しましたように記号列のつながりをどうしたこうしたと分析していた。それをコンピューターで切った張ったして計算したいうようなものばかりだったと思うが、そこにイメージ的な視覚的なものをちょっと取り込んでいこうという、そういう流れもこれからは必要ではないかという気がする。
若林 最後に一言だけ申し上げると、広告とは販売の最強の手段であると同時にブランドをつくっていくものであると思う。ともに新しいこと、珍しいこと、面白いものに対する挑戦をしていこう。以上です。
小川 これは皆さんに対するメッセージでもあったと思う。船橋さん、お願いします。
船橋 ブランドに関しては徹底的なこだわりが必要だと思っている。当社のリポビタンDは発売が四十年も前ということがあって、いまふうにターゲット的にという当たり前の話をすれば、珍しくオールターゲットということになる。ユーザーの男女比が半々であったり、二十歳代、三十歳代、四十歳代がそれぞれ一〇%ぐらいの比率になるなど、特にフォーカスは合っていない。しかしながら、広告表現は「ファイト・一発!」の男性的な路線であり、そういったことをいま変えようと思っていない。
リポビタンDのなかでどうしても表現ができない、つまりいまのあの路線をやる限り違ったオケージョンはできないといったものは新聞、雑誌、ラジオ等でチャレンジする。ただ、そこのなかでも「努力・友情・勝利」というコンセプトが必ずあるといったことを大前提にしている。必ず「努力・友情・勝利」があるかないか。そこだけにわれわれは徹底的に吟味し、それがあるものについては積極的にテレビ以外の媒体でも広告展開をしていく。いわゆるユーザーとの接点の部分ではすべてそこがあるといったことを宣伝の最大の使命と考えている。これは風邪薬、胃腸薬、そして先ほどお話ありました発毛剤のリアップも基本的には全く同じ手法だ。
横山 ブランド連想と広告戦略というタイトルで今日のシンポジウムが始まったわけですけれども、ブランドを考えるということは、つまりは文化とは何かとか、社会とは何かとか、人間とは何かということを考えていくことなのかも知れない。私はブランドってどこにあるのか、教えてくださいというふうなことをよく言うが、それをよくよく考えていくと、社会とは、文化とか、人間とは、ということにやっぱり関連していくのだなというふうに思う。つまりいろいろな学問領域の壁が縦割りになっているがが、そういう壁を取り崩して、いろいろな新しい試み、新しくて、珍しくて、おもしろいチャレンジをやっていく、そういう一つの試みなのかなという気がする。
もう一つは強いブランドというのはある意味では型を持ってると思う。先ほど若林さんはアートというのは自由だ、ブランドというのはゲームだといわれた。なぜかというといろいろ制約があるからということだが、私はちょっと逆の発想を持っていて、アートというのは型なんじゃないかなと考えている。たとえば短歌は五七五七七で、この型がもう千年以上にわたって受け継がれている。その型は何をしているかというと、その時代時代の新進気鋭の歌人の歌詠みの生き血を吸って、その型が生き延びていっている。芸術というのは型なのかも知れない。強いブランドというのはある意味で型を持ってる。それが型にはまるんじゃなくて、型に入れる。そういうフレキシビリティを広告部の人たちは持っていて、そういう手段もいろいろ繰り出すことができる。そういうのが強いブランドをつくっている、維持させている、継続させているんじゃないかなというふうな気がしている。
小川 最後にいまの横山先生の言葉を受けると、例えば柔道や柔術、絵でもそうだと思うが、その型を常にある意味で基本を残しながら、壊している。そしてそのなかから前と違うモノをつくりだすというのも、これは先ほどサントリーの飲料の話をされたときお話にあったが、新しい山脈みたいなものをつくっていくという作業も、また一つあると思う。おそらく非常に革新的なものというのは、多分そうした型を壊すところからできてくるのではないか。
今日は認知心理学とブランド連想を連携して話してもらい、それから具体的な新しい手法としてのPINS測定法の話を紹介してもらった。それからその後強いブランドをつくるということで、実務の若林さん、船橋さんのお二方からお話をいただいた。さらには皆さんで強いブランドと、それからPINS測定法というのがどのくらい可能性としてあるのかという議論に発展した。三十五周年記念ということで、非常にたくさんの方にお集まりいただきき、長時間お付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。(終了)
強いブランドをつくるというで、舟橋さんには実際に大正製薬のブランド、また若林さんの場合は多くのブランドと関係している深い経験のなかから、それぞれ強いブランドをつくるポイントということで、まず話していただきたい。
船橋 先ほどのPINS測定法の紹介のなかで、当社の主力商品の「リポビタンD」を取り上げてもらったので、リポビタンDの開発の経緯と広告戦略、何をやってきたかといったことなどを、実務面からお話したい。
リポビタンDはある意味ではマンネリ広告の典型的かと思うが、マンネリも徹底して貫くとそれなりに評価してもらえるのかなということから話していきたい。リポビタンDは一九六二年の発売なので、四十年を迎えたわけだ。医薬品からスタートして、現在は医薬部外品というジャンルに入っている。「タウリン千ミリグラム配合」といったコマーシャルで知られるように、アミノ酸の一種であるタウリンが主成分で、心臓、肝臓、高血圧などに効くとされている。
このタウリンという成分は一九四〇年から手掛けていて、二十年後の六〇年に、現在のようなドリンク剤ではなく、いわゆる錠剤タイプのものとアンプルタイプのものを、リポビタンブランドとして発売した。アンプル剤は当時の高度成長期に疲れを癒すということから需要は根強かった。ただ苦いといった声もあったので、その改善策として単純に水を加えれば苦さも減るのではないかということから、二十ミリリットルのアンプル剤が百ミリリットルのドリンク剤の発売につながった。苦味もフルーティな味付けで解消したし、さらに冷やして飲むというのも、実はこのドリンク剤のリポビタンDがスタートだと聞いている。アンプル剤の時はOTC(オーバー・ザ・カウンター)、薬剤師さんの後ろ側にあって出してもらっていたのを、ドリンク剤は一気に冷蔵庫に入れてしまうという考え方になった。
以来四十年間ドリンク剤としてトップシェアを堅持している。ドリンク剤を収納するストッカーは大変集客力もあるということで、いまは大半の薬局・ドラッグストア、あるいはコンビニエンスストアなどの目立つ場所に置かれている。このストッカーという考え方もリポビタンDがスタートであるが、いわゆる商品と販促活動がかなりうまくいった例だと思う。
小川 私はもうすぐ五十一歳になるが、昔のことを思い出す。四十年とは本当に長いブランドの歴史だ。
船橋 今日のテーマである「リポビタンDの広告展開」だが、六二年の発売時からスタートした。当時の巨人軍選手のエンディ宮本さんに一年間だけお願いしたが、キャッチフレーズは「ファイトを飲もう」ということで、「アンプル五本分のボリューム」「すっきりしたパイン味」「強肝成分だ」などのキャッチコピーがあった。
その後、早実高校から鳴り物入りで巨人軍に入った王選手(現ダイエー監督)と運良く契約でき、十年間お願いしたわけだ。王選手は世界のホームラン王といわれるまでに活躍し、結果的にリポビタンDの販売も非常に伸びていった。社内的にはこれを「巨人軍時代」と呼んでおり、この十一年間に百八十八本のコマーシャルを放映した。
その後行政的な問題も発生し、医薬品メーカーの自粛申合せでスポーツ選手あるいはアクションスターが使えなくなった。そして次の大物俳優時代ということで、七三年、七五年と宝田明さん、高橋英樹さんのお二方を使い、キャッチコピーも「ファイト」という言葉から離れて、「お疲れさん」「やったー」など、いわゆる日常の疲れを解消するシチュエーションのなかで商品を描いていった。
もっとも大変飛躍的に売り上げが拡大していった王選手時代に比べ、大物俳優時代のこの四年間は踊り場的な感じで、宣伝としてもインパクトの弱いものになってしまった。汗だとか力といったものが演出上もできなくなってしまったが、再度その世界へ戻ろうという機運が強まった。そして七七年から「ファイト・一発!」シリーズを立ち上げ、現在に至るまで二十五年にもなったわけだ。
当時「太陽にほえろ」という日本テレビ系列の大変人気のあるお化け番組で、刑事役として活躍していた勝野洋さんと宮内淳さんのお二人をコンビとして起用した(社内ではWタレント呼んでいる)。この際に王選手時代の「ファイト」を復活させ、「ファイト・一発!」の掛け声で現在まで続けている。この二十五年間「ファイト・一発!」しか言わずに、三百二十本のコマーシャルを制作してきた。
タレントに関しては五代目の勝野洋さんから十四代目の現在の滝川英治さんと起用しているが、タレントさんは広告において強くブランドイメージにつながるという意味で重要なファクターだと認識している。従って五年、十年といったなるべく長い期間お願いしたいと思っている。
ただ十年もやってもらうと、タレントを交代した場合にブランドイメージが変わってしまうという反作用も確かにある。そこでリポビタンDの広告がやってきたのは、必ず一人は残しておこうといったような戦略だ。勝野さん時代には弟分として宮内さん、そして真田広之さん、渡辺裕之さんという方。渡辺さんが成長して兄貴分になって野村宏伸さん、倉田てつをさん、西村和彦さん。それ以降は完全に五年ごとに交代になって、西村さんが兄貴分になって宍戸開さん。宍戸開さんが兄貴分になってケイン・コスギさん。現在はケイン・コスギさんが兄貴分になって滝川英治さんということで、ブランドイメージをタレントの交代で損なうことがないように、たすき掛け的な起用戦略を展開をしている。
表現コンセプトに関しては、王選手の時代は「汗と感動、ファイトでいこう!」といったようなコンセプトでやっていた。勝野・宮内淳さんからは「努力・友情・勝利」というコンセプトをベースに、二人で努力して友情で勝利をつかみとるというテーマで「ファイト・一発!」というキャッチコピーを使った。タレント、キャッチフレーズ、ナレーション、シズル、商品カットは長い年月使い続けている。ナレーションは発売当時から矢島さんが変わっていない
汗といっしょにスクリューをはじき飛ばすといスクリューキャップ飛ばしは、医薬品のドリンク剤が飲めなくなった代わりのシズルが欲しいということで生まれ、タワーディスプレーというのは店頭での大量陳列をテレビコマーシャルのなかでも表現していくねらいだ。またリポビタンDのイメージが企業広告にもかなりの影響を及ぼすといったことから、「ワシのマークの」と言ったようなキャッチフレーズは継続して使用している。
こうしたシンボルを使い続けているのは、広告テーマや首尾一貫した表現手法により「安心感・共感」といったものを醸成したいというふうに考えている。「生活の定番として顧客との息の長い関係性を保つ」、これをリポビタンDのテーマだ。
小川 長い歴史を持つブランドを十五分でまとめてもらったが、ブランドを表現するときのエレメント、構成部品が全部変わっていないのはすごいと思う。
船橋 お話してきたリポビタンD、医薬品といったやや特殊なカテゴリーであり、全部のジャンル、全部のカテゴリーに当てはまるとは考えていない。こうした広告は医薬品だからこそできたという面があり、さらにその前に売り上げが堅調に推移したという点も見逃せない。医薬品の特殊性として、昔からある薬がよく効くということが消費者心理に関係するので、そうした安心感が重要である。また日本には総合薬といった考えがあり、流通チャネルとして薬局・薬店様があり、奥様がお買い求めになると、ここでもかなり保守的な心理傾向が働く。
さらには医薬品の場合、広告表現はかなり自主規制といったものが厳しくあって、異質なことへのチャレンジが難しいという事情が絡んでくる。このような状況が重なって三十年間、四十年間と同じようなコンセプトで広告展開をしてきたといったことがリポビタンDであろうかと思う。
小川 それでは今度は若林社長に話していただきたい。長い間広告の世界で活躍されてこられたので、その経験のなかから強いブランドというのはどんなふうにつくられるのか、どういうところがポイントなのかなど、お聞きしたい。
若林 若干自己紹介から始めさせてもらうと、私はサントリーの宣伝部に二十五年間ほどおりまして、最後の六年は宣伝事業部長を務めていた。長くいただけで、必ずしもブランドづくりに成功してきたとは言えないかも知れない。むしろ失敗の数々ではなかったかなと思う。
そんななかで在任中、直接および間接に関与して何とかなったなと思われるブランドを挙げてみると、ウイスキーでは「山崎」「響」、飲料では「ウーロン茶」「CCレモン」「ボス」「南アルプス天然水」「なっちゃん」「DAKARA」などだ。それからコンサートホールのサントリーホールというのがあるが、これもブランドと言えるのではないかと思う。
昨年三月からサン・アドの社長、今年三月から新たにサントリーグループ入りした総合広告代理店サン宣弘社の社長を兼務している。サン・アドは一九六四年に開高健、山口瞳、柳原良平といった面々がサントリー宣伝部から独立してつくった広告制作会社で、日本ではライトパブリッシティ、日本デザインセンターと並ぶクリエーティブ界の老舗ではないかなと思う。現在サントリーの仕事は約四割、六割は他のクライアントさんの仕事だ。しかもクライアントさんとは約五〇%が直にやっている。
創立以来非常に自由闊達な雰囲気で、様々なクリエーターたちが育ち・独立をしている。また作家や詩人、映画人、イラストレーターなど諸々の文化人を多数輩出してきた。十月には銀座グラフィックギャラリーで「サン・アドの今、昔、未来」をテーマにしたサン・アド展という展覧会を開催する。さらに最近『サン・アド・アート・ワーク』という歴代手掛けてきた作品を掲載した本も出版した。
一方、サン宣弘社は創業六十一年の老舗広告会社である。民放草創期には「月光仮面」「隠密剣士」「ハリマオ」あるいは「サザエさん」などの人気テレビ番組を自主制作した会社だ。また銀座で最初の屋外広告ネオン塔をつくっている。サン・アドと同じ社長ということで、大いにクリエーティブ力に磨きをかけていこうではないか、さらには旧宣弘社の歴史と実績に裏打ちされた屋外広告力、アンビエントメディアに強いということを武器に、クリエイティブ・アンド・アンビエントをコンセプトにして、小さくてもキラリと光る集団でありたいと、奮闘している。
このように私は広告制作会社、それから広告会社、それからまだサントリーの籍を抜けていないので広告主と、三つの顔を持っている。ちょっと他にない存在であって、現在は希有な体験している。
ただ欧米ではよくあると聞く。広告主と広告制作会社とメディアの広告部門が自由に行き来し、それが広告界の活性化につながっているというケースがあるようだ。この背景には企業の広告セクションが非常に確固たるポストとして確立されているからではないかと思う。日本の場合は残念ながら、長いこと広告主にいたが広告セクションはちょっと弱い。人事交流も少ないが、もっと自由闊達に行ったり来たりすると、さらに強いブランドづくりができる環境が整うのではないか。
小川 若林社長はいわゆるアートとサイエンスということで言えば、アートの世界のなかでブランドをつくってこられて、さらに強いブランドをつくるためのコミュニケーションの戦略に取り組んでこられたと思うが、そのあたりはどうか。
若林 実は八年ほど前、サントリーの宣伝事業部長に就任した際、当時のサントリー副会長(現名誉会長)で日本マーケティング協会の会長でもあった鳥居道夫さんから突然呼び出しを受け、「おい、若はん、広告ってなんやねん? 十字以内十分以内で答えろ」と聞かれた。もし答えられなかったら、宣伝事業部長の辞令を取り消すぞ、ということで、苦心惨憺、冷や汗タラタラしながら、かろうじて「販売の最強の手段である」と答えた。これ漢字も使って表現するとちょうど十字にたまさかなって、事無きを得たわけだ。ただひょっとしたらそのときに「広告とはブランドをつくるもの」といった答えもあったかもしれない。そうは言っても「広告というのは売れてなんぼのもの」という点があり、売れてこそブランドがつくれるという面もある。
では、売れる要素とはいったい何だろうか。これも長い間アドマンをやってきた実感から言うと、やはり売れるということはどんな中身か、どんな名前か、どんな顔か、そしてどんなメッセージかという、こうした要素が有機的にミックスされ、トータルパワーを発揮したときに、初めて売れるという結果になると思う。もちろんその根底には商品、サービスや企業を通してお客さんや世の中に役に立つのだというトップとしての強烈な思い、あるいは企業家魂とでもいうものが流れていなければならない。この商品の良さを一人でも多くの人に伝えわかっていただきたい。そして、生活に役立てていただきたいという確固たる意思、情念、ロマン、哲学、そういったものが全体を貫いていることが必要だと思う。その上での中身、名前、顔、メッセージではないだろうか。
どのような中身か、または機能かと言えば、これは絶対に他に真似のできないユニークなオリジナルなものであればあるほどいいと思う。最近はUSP(ユニーク・セリング・プロポジション)という言葉が日本のマーケティング界を席巻しているようだが、これはユニークな売りの特徴がどれだけあるかということだろう。
次に名前、ネーミングだが、これは言うまでもなく核心を突いたもの、わかりやすいもの、ユニークなものでなければならない。これも私の経験からすると、濁音があるネーミングは結構いいようだ。濁音があると何となく品質感を感じるとか、ひっかかりがあるとか、こだわりを感じるとか、そんな感じがある。たとえばボス、ジョージア、DAKARA、リポビタンD、アコード、レジェント、アルファード、山崎、響、スーパードライ、ラガー、一番絞り、黒ラベルなどいっぱいある。もっともこれもよく考えると、ターゲットにもよると思う。例えば男性向けの商品はとりわけ濁音があるといいようだ。
次にどんな顔、つまりデザインである。中身がよくて、名前がよくて、顔がよければそれだけで売れるのではないだろうか。大げさに言うと優れた顔づくりというのが、ブランドをつくっていくと思う。少なくともその第一歩だろう。
小川 なんと言ってもオリジナルな中身、分かりやすく核心を突いたネーミング、優れたでデザインが不可欠というわけですね。
若林 中身、名前、顔の三拍子が揃うと、商品を擬人化すれば、世に出たいという思いでいっぱいになる、期待感で膨らんでくる。あとは広告という針をちょっと刺すだけでプチンとはじけると思う。
さて次にどのようなメッセージかということだが、これはどんなクリエーティブかということと同時に、PRも含めたどんなメディアプランニングかということになる。中身と名前と顔がしっかりできていれば、広告づくりは大変やりやすい。ひょっとしたらやらなくても済むかもわからない。あるいはちょっとやるだけで、また針を刺すだけでいいかもしれない。
つまりここで言いたいのは、広告づくりに入る前に中身、名前、顔にUSPはあるかという総点検、再点検が必要であるということだ。なければやらない。あるいはもしなかったら、自分たち広告サイドの人間がクリエーターも含めて出向いていって、USPをつくってくるぐらいの気概が必要ではないかと思う。最近商品開発にクリエーターなどが参画するようになったのもその現れではないか。
デザインと広告の関係について述べたい。広告は時折見聞きするものなのに対し、パッケージデザインなどデザインは使うたびに手にする。デザインとしての輝きがあると、お客さんとの間に体験を通した物語が生まれる。つまりエモーショナルな関係性というのが出てくるわけだ。その結果この商品は「私にとってとても大事なもの」になる。
感動の力学という言葉がある。「このデザインはすばらしい!」と感動すると、一人が七
人に伝える。七人が四人に伝えて、四人が二人に伝える。計算すると七×四×二だから五十六の効率にもなるわけだ。いまはネット社会だからもっと大きな効率を生むか知れない。逆に「なんてつまらないデザインだ」など失望すると、そのマイナスの効率はその倍ぐらいになって行き渡っていくだろう。
最近右脳ビジネスという言葉がよく言われる。ロジックで迫ることも大事だが、やはりエモーションに訴えるということも非常に大事だと思う。右脳ビジネスという言葉に象徴されるように、デザイン重視の傾向がビジネス界の所々で現れてきているようだ。ブランドエクィティという言葉があるが、デザインエクィティの時代ではないかとも言われる。デザインがいいものが売れる。デザインがいいことがブランドをつくる第一歩ではないかと思う。
最近の日産自動車さんが売り出したマーチのデザインはすばらしかった。復活したフェアレディZもすばらしい。一連のソニーさんの商品もいいデザインだ。まずデザインが優れているが大事ではないかと思う。
デザインを考えるときに忘れてならないのは、ロゴタイプの重要性だろう。名前を開発するときには一緒にロゴも考えるべきではないかと思う。ともすると、ロゴタイプというのはデザインに包括して考えられがちであるが、いかにいいロゴをつくり出すかがデザインの第一歩だろう。ということは、ロゴタイプはブランドづ