本日のHPは、来春高校を卒業するわが息子の進路について書くことをお許しいただきたい。子供の頃から、東海道新幹線の運転手を志望してきた次男・真継(まつぎ)のことである。
9月のその日、真継はえらく緊張して家を出ていった。3年前、彼は県立高校の入試に失敗した経験があった。お姉ちゃんとお兄ちゃんは、それぞれ偏差値上位の県立高校に入り、一浪はしたがどちらも有名私大に入学できた。
3番目の本人はといえば、第2志望の私立高校に進学はしたが、勉強でもスポーツでもいまひとつ自分の思い通りにことが運ばないことが多く、次男はだんだんと臆病で弱気な子になりつつあった。家族や親戚の猛反対にあって泣く泣くあきらめたが、本当は上野にある岩倉高校の輸送科(鉄道運転手の養成学校)に進学したかったのである。
JR東海の本社(品川)で、筆記と面接試験を受けた前日も、ほとんど眠れなかったらしかった。夕方になって家に戻ってくると、「面接の担当者を自分のペースに引き込めなかったから、面接で落ちたかもよ。JR東海の株価も調べていったのに・・・」。アルバイトでためたお金で株を購入している彼は、ずいぶんとしょげて帰ってきた。こんなご時世だから、高卒で就職する学生への門戸は一般的にかなり狭まっている。高校の先生たちの推測では、それでなくとも人気が高いJR東日本やJR東海の新幹線事業部ともなれば、合格して入れる可能性は、競争倍率で10倍以上ではないかと言われていた。
真継の通っている学校は、千葉県では成績中位の普通高校である。ほとんどの生徒は、首都圏の私大に進学する。これまでは、JRに就職した実績が皆無だった。少ないながらどうにか来ている求人先は、事務系の職種ばかりである。当然のことながら、普通高校へは、JR東日本からは求人票も推薦依頼も回ってこない。JR東海の、しかも、新幹線事業部ともなればなおさらのことである。
新幹線の運転手(本人は駅勤務でも乗務員もよいと言っている)になることをあきらめ切れずに、それでも親の手前は来春の受験に備えて夏期講習に通っていた次男が、その一方でこっそりと企んでいることがあった。JR東海の本社に電話をして、「新幹線の運転手になりたい」という自分の希望と、「指定校になっていないので、特別に学校に求人票を回して欲しい」という窮状を人事部のひとに直接伝えることであった。
高校の先生を通さないで本人が直に「求人票を送ってくれ」と直訴してきた前例はなく、最初はまったく相手にされなかったらしい。後に本人から聞いたところによると、3度目の電話でやっと話を聞いてもらえるようになったという。その間に、受験指導で頭がいっぱいだった先生たちを説得して、JR東海の人事部と直接折衝するように頼んでいた。
学校の友人もわたしたちも、その間に真継はおとなしく予備校に通っているものとばかり思っていた。これが食わせ物で、実は「小論文の書き方」のクラスを集中的に取っていたのである。やけに真剣だったわけである。願書を提出する数日前になって、それまでのいきさつを本人から聞かされた。そうなるとわたしも親馬鹿なので、高校進学の際には本人を馬鹿呼ばわりして泣かせたが、小論文の書き方を丁寧に指導してやった。面接の受け方や論文試験の対応については、まちがいなくプロの指導ができる。
志望動機を記入した出願書類が完成したのは、締め切り日の一週間前であった。その前後に、JR東海からは「出願の締め切り日が迫っているのに提出がない」という問い合わせがあったらしい。わざわざ特例として指定校にしてあげたのに、いつまでたっても郵便で願書が届かないのを不審に思ってのことである。
ところが、真継は品川の本社に書類を持参するつもりでいた。自分が働くことになるかもしれない職場を、自分の目で直に確かめておきたいと思っていたからである。彼はとても用心深いところがある。
一方で自分は特別な問題を抱えていた。小学校から真継は無遅刻無欠席だった。書類を直に届けるとなると、学校を休むか、早引きするか、あるいは、遅刻しなけれがいけない。無遅刻無欠席の記録を絶やさないために、わたしも何度か車で彼を高等学校まで運んであげたことがある。知恵を絞って考えたぎりぎりの解決方法は、願書の提出を前期の定期試験まで待つことあった。試験の初日が、願書締め切り日にあたっていた。どうにか学校を休まなくて済みそうだった
JR東海本社人事部の窓口に書類を届けた彼は、そのまま無駄に帰ってきたわけではなかった。願書を受け取ってくれた採用担当の若い女性(京都大学卒のお姉さん)とそれとなく話をして、倍率や受験状況などについて情報を集めてきている。運の良いことに、面接の割り振りを担当したのがこの女性であった。特別枠だったので、当日の面接は一番最後に回されたが、その間に彼女が真継の相手をしてくれたので気分的には楽だったにちがいない。援護射撃があってもまだ堅くなるのだから、真継はやはり意外に心臓が弱いのかもしれない。
2週間後、無事合格を通知する電話が学校にあった。卒業して就職する子がほとんどおらず、めずらしいのか学校をあげて真継を応援してくれた。合格の知らせが届いたとき、職員室中が大騒ぎになったらしい。その数日後に、合格通知書をわざわざ直接高校に届けてくれたのは、なんと!陰で合格するようにプッシュしてくれていた例のお姉さんであった。
ちなみに、同じJRでも、勤務地が東京になりそうな「東日本」になんでしなかったのかを本人にたずねてみた。その答え方がふるっていた。「東海」にしたのは、”確実に”東海道新幹線が運転できるからである。「東(日本)だと、東北新幹線や上越新幹線があるでしょ。東北や上越は”新幹線”じゃないからね」
その昔、国鉄の蒸気機関車をとても運転したかった大学教授の息子が、数年後には東海道新幹線を運転することになりそうである。世代を越えて血と思いが伝承していく。それを聞いていちばん喜んだのが、毎日踏切まで汽車狂いの坊やをおぶって蒸気機関車を見せに連れていってくれた、わたしの実母だったことがもっとうれしかった。