日本みらいキャピタルの20周年記念パーティー@パレスホテル(大手町)

 大学時代のゼミの4年後輩、安嶋明君から電話が来た。「創立20周年記念パーティーで、スピーチをいただけませんか」というお願いだった。あいさつは苦手である。逃げたいと思ったが、彼が企業再生ファンドの会社を起こしから20年間、アドバイザーを引き受けたりで、陰ながら応援してきた。断る理由があまりない。引き受けることにした。

 

 2日前が、創立記念日の会だった。

 彼の会社「日本みらいキャピタル」については、安嶋君が4月に出版した書籍の紹介(安嶋明(2022)『「学びほぐし」が会社を再生する:企業とファンドの組織変革物語』岩波書店(https://kosuke-ogawa.com/?eid=5758#sequel)で詳しく紹介している。

 簡単に言えば、事業再生ファンドの会社である。大企業で業績がよくない部門をカーブアウトして(買収により切り出して)、再生させるスキームである。ハンズオン(社長を派遣して会社に入り込む)で、赤字の事業を再生する。

 

 パレスホテルには、安嶋社長と事業運営で関係をもったビジネスマンが、200人ほど参集していた。本人のオープニングの開会スピーチによれば、社員は現在13名だそうだ。創業20年で、平均勤続年数が13年。再生ファンドの事業が安定していることの証左ではある。

 実際に、投資効率はIRR(内部収益率)で年30%超。資金回収効率は2.4倍で、事業再生ファンドとしては、かなり立派なパフォーマンスである。

 

 旧日本興業銀行で超エリート社員だったが安嶋くんが、ある日突然、研究室にやってきた。「事業再生ファンドの会社を立ち上げたいと思っているのですが、ご協力のほどを」と挨拶だか相談だかわからない訪問だった。「もちろん協力は惜しまないよ」と答え。それでも、本音を言えば、ずいぶん思い切った決断をしたものだと驚くとともに、感心もしたものだった。

 わたしも、前年(2000年)の5月に、「日本フローラルマーケティング協会」を立ち上げていた。逡巡しながら熟慮の上、花業界の友人たちの協力を得て、一般社団法人を立ち上げたばかりだった。わたしは49歳、安嶋君は48歳の起業だったと思う。ぎりぎりのタイミングだった。 

 頭脳明晰な彼は、いたってまじめな性格である。構想力と努力と実践力のおかげで、20年間、倒れずに事業を完遂できた。彼ほどではないが、わたしのJFMAも、そこそこの社会貢献ができていると思っている。

 

 感謝の会のスタートは、17時半だった。わたしのスピーチは、20時半近くである。時間は5分くらい?そのくらいになりますよと、秘書の井上さんからは伝えられていた。パーティーの後半になるまで、落ち着いて食事とワインが飲めない順番である。

 特別講演は、前日銀総裁の白川さんだった。日本経済の問題点を上手に説明してくれる講演内容だった。わたしもほぼ合意の結論だった。高齢化より子供の数が減っていることの方が、日本経済にとって根本的な問題である。グローバリゼーションと国際競争力を高めないと、日本の将来はきびしい。1990年代の円高、2020年代の円安はともに、日本経済の課題ではない。もろもろの活動の結果である。100%合意だった。

 8時半になって、わたしにスピーチの順番が回って来た。安嶋君との関係(ゼミの後輩で一緒に調査などをしたこと)を話した。その後で、安嶋君の近著について最大限持ち上げた。最後に、「ふたりとも20年間、よくぞ持ちこたえて、いまに至っている」と話してスピーチを終えた。

 

 この会では、とても感心したことがある。それは、白川さんの前日銀総裁、福井さんが会の最後を締めてくれたスピーチのことだ。80歳になるとはとても思えない風貌で、好々爺になられていた。淡々とご自身のキャリアを話され、白川さんとは異なり、周囲の生活の中から、日本の在り方について訥々と問うていた。

 福井さんの言いたいことは、明確だった。未来を悲観することはない。過去を振り返って、現在をどのように生きるべきか?優しい話し方で弁舌が爽やかだった。教訓である。年齢を重ねたら、スピーチの内容はそれほど大切ではない。そのひとの姿勢と声の出し方、つまりいでたちと話し方が重要なのだ。

 勉強になる先輩諸氏のスピーチを聞かせてもらった。わたしなど、まだまだ「ひよっ子」である。

 

 <追記>

 パーティーは、コロナのいまを反映して、立食ではなく着席で行われた。わたしのテーブルは、B席だった。主催者の安嶋君と白川元総裁、二人の著名企業支援家に交じって、5人目が元大学教授のわたしだった。全員が東大の卒業生。73歳から67歳までのほぼ同年代である。経済学部卒が主である。

 3時間ほどの間に、透明アクリル板の衝立ごしに、いろいろなことを話すことができた。日本を代表する賢者たちである。自慢でもなんでもなく、やはり「東京帝国大学の卒業生はすごいなあ」と思った次第である。