9月27日(土)に開かれた「ブランドマネジメント研究会(JIMS)」の拡大セッション「広告の今とこれから」から、今回は、主催者あいさつ(小川孔輔、法政大学)と基調講演(岩崎達也、日テレ、法政大学)の講演録をアップする。残りは逐次発表していく。
日本マーケティング・サイエンス学会(JIMS)
ブランドマネジメント研究部会・拡大版セッション
「広告の今とこれから」
主催者あいさつ
法政大学イノベーション・マネジメント研究科 教授
小 川 孔 輔 氏
日時:2013年9月27 日13時30分~13時40分
於:法政大学経営大学院IM研究科101教室
今日は、ご出席ありがとうございます。今日の企画は、2か月ほど前、私の主催する勉強会「土葉会」(マーケティング・サイエンス学会、法政大学部会)で、「広告は現在、どうなっているのか」という質問が出たことから、スタートしました。
皆さんはそれぞれ、大学院生、メディアやコミュニケーションに興味のある方など、いろいろなソースから情報を得ていらっしゃいます。一方で、広告研究者の中には、「(アカデミックな」広告研究が、メディアの実際やクリエイターの考えとかけ離れてしまっているのではないか?」という疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないかと思います。
広告には、視聴者、メディア・代理店、クリエイターの3つのプレーヤーがいます。土曜会のメンバーには、コピーライターの岩崎さんやフリーアナウンサーの八塩 圭子さんなど、視聴者の側に立った研究をされているグループと、ビデオリサーチご出身の木戸茂さん(現、法政大学大学院教授)のように、広告やSNSの効果など、メディア・代理店側からアプローチされているグループがあります。
その中で欠けているのは、クリエイターの部分でした。そこで、今日は、クリエイター側の若手・中堅の方に来ていただいて、お話ししていただこうと思いました。こちらからお願いして、講師としてお集まりいただきました。学会としては、今日の結果を煮詰めて、いずれ、規模の大きな特別セッションにしてみたいと思います。
以上が、今日の会を開いた理由です。
もう一つ、お話ししておきたいこととして、私が岩崎先生と共同でまとめた研究があります。お手元に、来週発行される原稿のゲラが配られているかと思います(小川孔輔(2013)「テレビを“聞く世代”の発見」『日経広告研究所報』10月号、60-61頁)。この話は、今日の会の趣旨と重なりますので、かいつまんでお話しします。
4~5年前から、岩崎先生とテレビ広告の研究を始めました。その前は、八塩さんなどと一緒に、視聴者の行動調査を研究したこともあります。岩崎さんとは、ビデオグラフィーや、視線計測など、従来とは異なる調査手法を使った研究を行っています。テレビは本当に見られているか、クリエイターの思いが伝わっているか、ということを知るのが目的でした。
テレビの視聴の仕方を、世代別に分類しています。1950年代は「受け身世代」、1970年代は「ながら世代」、1990年からは「聞く世代」として分けてみます。
私の世代(1950年代生まれ)は、受け身の世代です。我々一般庶民にとって、テレビ番組は貴重で、情報や番組がまさに天から降ってくるようなものでした。当時、「街頭テレビ」というのがありました。私が生まれて初めて相撲を見たのも、テレビでした。白黒で、しかも自宅ではなく、向かいの家の電気屋さんの店先に、40~50人も集まってみていました。情報が上から降ってくる、受け身視聴の時代です。
こういう視聴の仕方は、必ずしも日本だけに限ったことではありません。学術的にも証拠があります。エレンバーグの研究によれば、イギリスでも、テレビ登場後のしばらくは、受け身視聴の時代でした。
次は、1970年代の「ながら世代」です。リモコンが出てきてからテレビを見た、ザッピングの世代です。僕の世代では、チャンネルに触ることは許されませんでした。次正大の「ながら世代」は、複数のチャンネルの中から、自分の好きな番組を選べる選択権を得た時代です。
1990年代以降に生まれた人たちは、テレビを見なくても、代替的な手段があり、テレビを主体に情報を取ったり、番組を見たりする世代ではありません。私は、この世代を「聞く世代」と呼んでいます。テレビは、以前は、まず目から先に入って、視線を釘づけにするものでした。しかし、若い世代は、携帯でメールを書いたり受けとったり、他のことをしながら、テレビは見るというより聞いている世代です。つまみ食いしながら、盛り上がる場面になると、目でも追いますし、ドラマのストーリーも理解しています。
我々は、こういう研究をしております。
それでは、今日はこれから、クリエイター側の視点を中心に、「広告の今とこれから」というテーマで、お話をお伺いしたいと思います。いま言った通り、広告の技術も、テレビ視聴の仕方も、変化しています。そんな中で、現場ではどんな思いで、クリエイティブ、コピーや番組を作っていらっしゃるのかを知りたいと思い、皆さんにお声をかけました。
その後、土葉会の皆様にもご発表いただきますが、普段と違う視点からお話しいただければと思います。
基 調 講 演
「マス広告は、どこへ向かうのか。
-マスメディアの広告とマスへの広告-」
㈱日テレアックスオン執行役員
岩 崎 達 也 氏
日時:2013年9月27 日13時40分~14時30分
於:法政大学経営大学院IM研究科101教室
講 演 要 旨
1.テレビ広告の歴史
私は、現在、広告製作会社に在籍しています。法政大学イノベーション・マネジメント研究科で、講師もしています。お手元に配ったのは、今年の夏、吉田秀雄記念事業財団のアドスタディの中で、マス広告の特集の際に書いた原稿です(岩崎達也(2013)「マス広告は、どこへ向かうのか-マスメディアの広告とマスへの広告」『AD STUDIES』8月25日号、10~15頁)。マスに携わる人自体、SNSが出てくる中で、自信を失っています。それで、こういう特集になったんでしょう。そして、私にもお声がかかりました。
今日は、まず、コマーシャルとは何か、考えてみました。社会学者の吉見俊哉さんの研究や、『アド・スタディーズ』に掲載された広告の変遷を参考に私がまとめました。
歴史を追ってみますと、1950年代は、街頭に集まって視聴する世代でした。その後、神武景気や岩戸景気の時代が来て、物に価値を置く、三種の神器の時代が来ました。日本で最初のテレビ広告は1953年の8月28日、服部時計店の正午の時報でした。
1950年代の代表的広告は、「くしゃみ3回、ルル3錠」、「なんである、アイデアル」などです。生活者は、「衣装中の確保・生活の安定」を求める「大衆」でした。この頃の研究は、広告やテレビが、どのように視聴者に影響するかというアメリカ流の社会心理学的アプローチが主流でした。
1960年代は、高度経済成長の時代です。4マスメディアの時代が到来しました。東京五輪が1964年で、新三種の神器の時代が来ました。まだ、物にあこがれや力があった時代でした。この頃は、深夜放送がよく聞かれていました。広告では、JALの「ジャルパック」、「イエイエ」、「大きいことはいいことだ」などのコピーが出てきました。猛烈サラリーマンの時代でもありました。
60年代の生活者は「人並みの豊かさを求める人たち」でした。クーラーや車などがよく売れました。学術的には、60年代後半から70年代にかけて、吉見さんが書いておられますが、心理的アプローチから、日本の文脈の中で広告を捉える文化的アプローチに移行します。
1970年代には、大阪万博が開催されました。生活者は、「よりよい生活を求める大衆」になりました。円が、360円から変動相場制に移行しました。沖縄が返還されたり、オイルショックが来て、「モーレツからビューティフルへ」、「ディスカバー・ジャパン」など、価値観の変換が起こった時期です。今までは、商品機能の告知CMが多かったのですが、消費者の生活を意識した、「金曜はワインを買う日」というような生活提案型広告が出てきます。
1980年代に入ると、顕示的消費の時代に入ります。私は1981年に博報堂に入社しました。記号的消費の時代で、広告の全盛時代です。多品種少量生産で、「欲しいものが、欲しいわ」(糸井重里)という時代です。1983年にTDLがオープンしました。田中康夫の「何となくクリスタル」が発表されたのもこの頃です。広告研究も記号論的アプローチが取り入れられました。生活者は「大衆」から、「分衆/小衆」と呼ばれるようになりました。都市自体が広告空間になり、歩く人が自分自身を広告塔として意識する時代に入りました。
1990年代は、戦後から50年経ち、「戦後」というカテゴリー自体が崩壊しました。東西ドイツ統一もこの頃です。Windows95の登場で、インターネット時代が到来し、生活者は、「分衆」から、ネット上で「個」と「個」がつながる「網衆」の時代になりました。バブルが崩壊し、「日本を休もう」などのコピーも登場、自傷的な風潮もありました。「モノ」の豊かさから「心」の豊かさへ価値観がシフトしたのもこの頃です。
2000年代以降は、人々がスマートメディアでつながる「スマートマス」がキーワードになります。リアルとバーチャルの境界線が消失した時代です。デジタル技術による大量データ処理が、広告のあり方を変化させるかもしれません。広告では、「変わらなきゃ」(カローラ)や「白戸家の人々」(ソフトバンク)などが出てきました。
以上で、広告の歴史的な全体像が見渡せたかと思います。これからは、ビッグデータをいかに使いこなすかということが、広告代理店にとっても、メディアデザインにとっても、次の課題になると思います。
現在は、メディアの多様化とコミュニケーションの変化により、「広告というラブレターは届かない」時代になりました。届かない、届いても信じてもらえない、信じてもらっても思いは届かない、思いは届いても行動してもらえない、という時代です。いろいろな角度から攻めないと、なかなか物事が動きません。
これまで、マスメディアの広告には集中したまなざしが注がれていましたが、いまはメディアが多様化し、一つのメディアに注意が注がれる時代ではありません。
とはいえ、先週の半沢直樹の視聴率は、48%に達しました。コンテンツがよければ、メディアにはまだまだ強いまなざしが注がれることがわかりました。この結果を見て、「まだ、マスは強いんだな」ということが確信できました。
テレビや新聞からではなく、ヤフーからニュースを取る人も多い一方、プッシュ型メディアであるTVもまだ見られています。普通、視聴率はF1、F2とT女、といった女性で稼ぐのですが、半沢直樹の場合、サラリーマンが見て溜飲を下げ、週明けには元気になって出社するというサイクルで見ていたため、普段はあまりテレビを見ない男性の視聴者が増えたことで、40%を超える番組になりました。
2.広告とは何か:カンヌ受賞作から
(1) 広告とは何か
ここで、ベースに立ち返って、広告とは何?ということを考えてみたいと思います。
カンヌの国際広告祭は、国際的な広告賞の場として知られています。以前はAdvertisingという言葉を使っていましたが、今は、creativityという枠組みに変わり、カンヌ 国際クリエイティビティ・フェスティバルという名称に変わりました。
広告を構成するのは、「広告表現」、「場」、「見せ方」です。これからは、この要素を掛け合わせて、「場が表現になる」面、「表現が場になる」面などを考えてみるべきでしょう。
そこで、いま「伝わる」表現とは何かを考えてみると、カンヌの受賞作には、社会性、ニュース性、ストーリー性、参加性、などの共通する要素があります。もちろん、コンテンツがおもしろいということが大前提ですが。
(2) カンヌ広告
ここで、カンヌ広告賞の受賞作品を見ていただきましょう(以下、CM映像上映)。
最初は、5冠を取った広告です。はオーストラリアのMetroによる、自殺防止のCMで、アニメーションの絵もかわいく、若い子からお年寄りまで、幅広く支持されました。
(オーストラリア、メトロ「Dumbs Ways to Die)」、オーストラリア/McCANN,Melbourne)
http://www.youtube.com/watch?v=IJNR2EpS0jw)
次は今年の受賞作で、アレックスという人間の話です。16話もある広告です。映画のようなCMになっています。
ミルクのCMは、エンターテイメント風の作りになっています。アメリカのスーパーボールの試合のためだけに、男性にターゲットを絞り、お金をかけて作られたものです。
最近は、人を泣かせるような広告や、メディアがクロスするところで、コンテンツも連動・クロスさせるものが出てきました。去年のトヨタの新型クラウンのCMは、メディアミックスではなく、自社のCMどうしを連動させる「コンテンツミックス」をしていて、新たな手法と言えます。
3.これからの課題:「表現」「場」「出会い」を演出する広告へ
私は、コミュニケーションをマス化すること、お祭りをどう作るかということが、これからのメディアの課題ではないかと思います。コミュニケーション自体をマス化するという、発想の転換が必要だなと思います。人々は一緒に盛り上がれる「お祭り」を求めており、一緒に担げる「神輿」を欲しています。このたびの東京オリンピック招致もそうでしたが、こうした方向性においては、メディア・ニュートラルな発想が重要になります。
日本テレビでオンエアした「天空の城ラピュタ」の放送の際、主人公が「バルス」と唱える場所で、同時刻に14万人が「バルス」とツイートしました。また、今年のアメリカのスーパーボウルの場合、視聴率が46%ですので、視聴者数は1億870万人にのぼります。30秒CM枠の値段は、3.5億円という高価なものですが、多くのクライアントからのオファーがあり争奪戦になります。さらに、高価な制作費がかかりますがそれだけ高い広告高価があるということです。その後、youtubeにアップされると、何百万回も再生され大きな話題になります。
結論としては、「表現」「場」「出会いの演出」をどう有機的に組み合わせるが、これからの広告においてが重要になってくるということです。