【ドラフト】 「職場の心理学: ヤオコーの人づくり」『プレジデント』2012年

 プレジデント社から依頼されていた原稿のドラフトが、年末にようやく仕上がった。二回取材したわりには、完成まで長い時間を要した。細部が未完成である。あくまでもドラフトである。最終稿の形には変更があるかもしれない。長さもややオーバー気味である。

 『職場の心理学』第29?回(2012年2月号)   (2011年12月31日)
「ヤオコーの人づくり」               法政大学大学院 小川孔輔

1 選択の自由度と働く意欲
 全米ベストセラーになった『選択の科学』(文藝春秋社、2010年)の中で、米国の老人ホームでの実験結果が紹介されている。著者は、盲目のインド人女性心理学者、シーナ・アイエンガ―教授である。
 1976年、米国コネチカット州にある高齢者介護施設を二人の心理学者が訪れて、ある心理実験を行った。彼女たちは、二階建ての介護施設で暮らしている老人たちを集め、看護師に対して各階ごとに別々の説明してもらった。ある階の集まりでは、入居者一人ひとりに鉢植えを配り、鉢植えの世話は看護師がしてくれると伝えた。別の階の入居者には、入居者に好きな鉢植えを選んでもらい、その世話は自分がするようにと伝えられた。
 その後の観察から、驚くべき事実が浮かび上がった。3週間後に、ふたつのグループを比較したところ、鉢植えを自分で自由に選んだグループは、鉢植えを与えられたグループに比べて、生き生きとしており、他の入居者との交流も盛んだった。「選択権なし」の集団では、入居者の70%以上に身体的な健康状態の悪化が見られた。これに対して、「選択権あり」の集団では、90%以上の入居者の健康状態が改善した。
 鉢植えの選択と世話という些細なちがいなのだが、自分で決められる状況に置かれたほうが、人間は結果に対して満足度が高く、生き生きと行動できることを示す研究であった。

 日本の小売業の現場では、たくさんの人が働いている。そのほとんどが、女性のアルバイト従業員である。年齢もパート勤めを始める動機も、彼女たちが置かれている状況もさまざまである。子育ての都合で一日4時間だけ働く若い奥さんもいれば、旦那さんがリタイヤーして手がかからなくなり、フルタイムに近い状態で勤務しているベテラン女性もいる。
 ただし、現場に入って彼女たちを観察していると、会社によってその働きぶりに違いがあることに気づく。老人ホームの事例で見たように、パート社員が生き生きと働いている仕事場もあれば、鉢植えを選べなかった集団のように、与えられた仕事を単に黙々とこなしているだけの会社もある。結果として、自由闊達に仕事に取り組むことができる職場では、労働の人時生産性が高いことが知られている。
 以下では、「自由に鉢植えを選ぶこと」を奨励している代表的な企業を紹介する。埼玉県川越市に本社がある食品スーパー「(株)ヤオコー」である。2011年12月末現在、関東圏で115店舗を展開している同社は、22期連続で増収増益を続けている優良小売業である。
 ヤオコーの川野清巳社長は、「わが社の利益の0・2%~0・4%は、パートナーさんたちの働きぶりによるものです」と雑誌のインタビューで述べている。ヤオコーは、パート従業員にも決算賞与を支給しているめずらしい企業である。売上高利益率が4%を超えた場合は、その一定部分を、正社員と同様にパート従業員にも賞与として支払っている。パート社員たちは、その働きぶりに対する尊敬の意味も込めて、ヤオコー社内では、「パートナーさん」(一緒に働いている仲間)と呼ばれている。
 米国発の標準化されたチェーンオペレーションとは異なり、独自の「個店経営」を標榜するヤオコーの店舗運営は、正社員と一緒に働くパートナーさんたちによって支えられているのである。その実際を見てみることにする。

2 働きがいのある売り場
 斉藤福子さん(60歳)は、浦安東野店のクッキングサポート・コーナーで働いているパートナーさんである。2002年、千葉県にはじめて出店した浦安東野店に、POPライターとして採用された。県内の大手小売業の二社で10年ほど働いた経験がある斉藤さんは、従業員募集のチラシを見た旦那さんの勧めで、ヤオコーのパート社員に応募してみた。「最初の説明会のときから、自由にやらせてくれそうで、いい会社じゃないのかなと思ったのです」(斉藤さん)。
 開店後しばらくはPOP書きの仕事を担当していた斉藤さんが、現在のクッキングサポート・コーナーを任されるようになったのは、担当者が異動でいなくなってしまったからだった。浦安東野店の木村店長(32歳)は語る。
 「千葉県内ではほぼ無名の会社でしたから。開店当初からいまでも、パートナーさんの募集にはとても苦労しています」(木村店長)。
 浦安地区は、東京都心のオフィス街に通勤する人たちのベッドタウンである。近くには、東京ディスニーリゾートなどもあり、住宅地としての利便性も土地のイメージも格段に高い。東日本大震災の液状化で、住宅と道路が大きな被害を受けるまでは、千葉県でもっと住みたいと思われている町のひとつだった。
 パート勤務を希望する主婦にとって、20分もあれば東西線で大手町に通うことができる。浦安のあたりは働き口を自由に選べる場所である。それにもかかわらず、多くのパート従業員がヤオコーに長く定着してくれているのは、店舗での働き方と職場の雰囲気が独特だからである。
 「前に勤めていたスーパーでは、勤務が4時間と短かったこともあって、言われたことをそのままやるって感じで。ここは、どっちらかというと、自分で考えて自分でやっても許してくださる。だから、やりがいがありますね」(斉藤さん)

 クッキングサポートは、夕食などの料理メニューを調理して、見本品として展示してあるコーナーである。各店舗には、斉藤さんのようなパートナーさんが、最低でも一人は専任者として配置されている。斉藤さんは、平日で4~5皿、土日は7~8皿のメニューを調理して提案する。
 もちろん本部からは、プロモーションで推奨すべき食材が伝えられる。しかし、どの食材を使ってどのような料理をお客さんに提案するかは、斉藤さんに任されている。野菜・肉・魚などの生鮮品から出汁に使う調味料まで、調理用の食材はさまざまな売り場から集めて来なければならない。
 「ここのお店の人は、やさしいんです。他の店では、(正社員に)あんまり聞くことなんかになかったのに。でも、今日の食材はどうなっているのか、どこにあっていくらなのかとか。コミュニケ(-ション)しなきゃならないことが多々あるので、忙しいときでもついなんでも聞いてしまうんですけど、みなさん嫌がらずに丁寧に受け応えしてくれて」
 斉藤さんと木村店長の話を横で聞いていると、正社員(17名)とパートナーさん(約130名)の間での、部門を跨いで横のつながりが強いことがわかる。
わたしが取材に伺った日は、クリスマス前だった。午前中に斉藤さんが作ったクリスマスケーキの見本を、小学生くらいの男の子とお父さんが興味深そうに見つめていた。斉藤さんに「常連さんですか?」とたずねると、「はじめてのお客さんですね」と返事が返ってきた。ヤオコーのパートナーさんたちは、近所に住んでいるので、お客さんの顔を覚えている。
 「平日の来店客が3000人から4000人です。斉藤さんは、そのうちの半分くらいの方を覚えていますよね」(木村店長)。
 食品スーパーは、セルフサービスを基本としている。商品が置かれた場所など、聞かれたこと以外、従業員から来店客に先に声掛けすることはない。しかし、ヤオコーは例外のようだ。たとえば、クッキングサポート・コーナーでは、良い意味の「雑談」が許されている。むしろ会社としては、積極的に顧客とコミュニケーションをとることを推奨している。伝統的なセルフサービスの考え方は、ヤオコーでは通用しない。

3 パート従業員は会社の資産
 昨年から、ヤオコーでは、パートナーさんの定年を5年間延長することした。65歳定年制に変えたのは、斉藤さんのようなパートナーさんが職場を離れることで、せっかく築いてきた顧客との良好な関係を失うからである。
 「60歳とはいっても、ここの女性たちは元気ですよ。まだまだお若いですし」(木村店長)。
 木村店長のような若手の社員は、担当する店舗や売り場が3年くらいで異動になる。お店のことをいちばんよく知っているのは、パートナーさんたちである。元気なうちは引退させずに、継続して働いてもらうほうが日本の社会にとっては望ましいことだ。
 実際にその町に暮らしているので、パートナーさんたちは、小学校の運動会や花火大会、ダンスの発表会がいつあるのかなど、地元の行事やローカルな情報にも精通している。浦安は漁師町だったせいもあって、お祭りがとても好きな土地柄なのだそうだ。
 「花火大会や地元のお祭りのとき、晩御飯を作るための食材はだめです。お弁当や総菜なんか、すぐに食べられるものが売れます。そういった話はパートナーさんたちから出てきます」(木村店長)。 

 昨年3月11日、東日本大震災で浦安東野店も大きな被害を受けた。
 「当日は、それはもうたいへんでした。(液状化で)床から泥水があがってきて、もうクッキングサポートのあたりなんかも、ホコリで真っ白」(斉藤さん)
 当日は来店客を安全に避難誘導して店を閉めたが、ヤオコーの店舗だけは、浦安地区ではもっとも早く翌日には営業を再開している。他店とのちがいは、パートナーさんたちが持っている「当事者意識」の差なのではないかとわたしは感じた。
 浦安東野店のパートナーさんたちの多くは、自らも被災している。それでも、店舗や売り場を心配して、命令されてもいないのに出社して、翌日の営業にこぎつけられた理由は、斉藤さんがインタビュー中に話してくれた言葉によく表れていた。
 「ここは、自分の店、自分の職場です。自分の仕事だから責任あるんです」(斉藤さん)
 パートナーさんたちがこれほどまで仕事に熱意をもって取り組んでいるのは、人材育成の仕組みにあるではないかと思った。実際のところを、川越本社で、中村人事部長(55歳?)に伺うことにした。

4 ヤオコーの人づくりの考え方
 先にあげた決算賞与の配分以外に、ヤオコーには、パート社員のモチベーションを高めるための仕組みが存在している。
 そのひとつが、パートナーさん向けの「技能検定」である。ヤオコーの百数十店舗では、お惣菜やお寿司、インストアベーカリーなど、品質を安定させることが必要なアイテムがある。その多くは、パートナーさんたちが店舗で素材に手を加えて完成させている。技能検定は、そうした単品の商品化技術を向上させるために設けられて仕組みである。
 「各部門ともに商品化技術には4つの段階があって、(パートナーさんの)名札の下にシールを貼っていくのです。4つとも取得するとマイスターというふうに」(中村部長)

 二番目は、5年前から始まった「感動と笑顔の祭典」である。ヤオコーの全店舗は、10か所の販売地区(ブロック)に分かれている。毎月の第3木曜日には、各地区から一店舗ずつ代表として選ばれた、パートナーさん(チームの代表者)と店長がペアになって、店舗での新しい取り組みや改善提案を発表する。
 南古谷の研修センターで開かれるこの発表会には、ヤオコーの川野幸夫会長と清巳社長も同席し、優秀賞の選考に加わる。年間最優秀賞の受賞者には、米国視察研修ツアーへの参加というご褒美もある。徹底的に、ほめて実力を伸ばそうとする人事政策であり、研修制度である。「感動と笑顔の祭典」のような表彰制度によって、パートナーさんたちに適度な緊張感を与え、目に見えない競争原理を働かせる。そして、仕事に対する充実感と自己実現を確認させる場を提供している。
 こうした職場の雰囲気は、ヤオコーの社風から来ているように思える。
 中村部長に「パートナーさんの採用基準はどうなっているのですか?」と伺ったところ、「そのひとの人柄とご本人が働ける時間帯ですかね」とのお返事だった。採用は完全に店舗に任せてある。「まあ、面接は10分か15分の短い時間ですから、そのひとの能力を正確には判断はできないですよね」(中村部長)。
 だから、パートナーさんの採用基準は「人柄」ということになるのだろう。人間の能力を固定したものと考えるのではなく、「才能は伸ばすもの」という前提に立っているのである。ヤオコーの経営者が職場環境のデザインで重視するのは、指揮命令系統の確立ではない。

 ヤオコーの川野幸夫会長が、困難な問題の解決方法を問われたときの「きまり文句」を紹介して本稿を終えたい。このエピソードは、ヤオコーの社風=「社員を信頼して、全面的に仕事を任せる」をよく反映している。
 「会長、こんな問題があって困っているのですが、どうしたらいいでしょうか?」と部下から問われた川野会長は、いつも同じ答えを返すのだそうだ。
 「自分の頭で考えなさい!」