日本政策金融公庫(AFCフォーラム)から依頼された原稿が完成した。元ネタは、「チェーンストアエイジ」6月号である。原稿を大幅に書き直して、食品産業の文脈で説明してみた。いま法政大学とコラボレーショをしている松川弁当店の林社長を「掴み」に持ってきた。
「大震災後における食品流通加工産業のパラダイムシフト」
法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科教授 小川孔輔
見出し:
日本の食品供給の安定と安全のためには、アジアへのグローバルな企業機能の移転と国内でのローカルな産業振興を同時並行的に促進すべきである
<米沢の老舗弁当店の苦境を救うために>
米沢駅前に、明治32年創業の「松川弁当店」という老舗の弁当製造工場がある。松川弁当店は、山形ではよく名前が知られた店で、奥羽本線の開業と同時に米沢駅で駅弁の販売を開始している。看板商品の「米澤牛焼肉重松川辨當」(1500円)は、おいしい米沢牛をふんだんに使った逸品である。東日本大震災の前は、百貨店など地方物産展を含めると、全国で一日2000本(個)ほど売れていた。牛肉弁当以外にも、「牛肉道場」(1100円)や「米沢牛炭火焼特上カルビ弁当」(1500円)など、国産牛を使った約30種類の駅弁を、山形新幹線「つばさ号」の車内のほか、東京駅や大宮駅構内の駅弁コーナーなどでも販売している。
東日本大震災は、同社の経営にも深刻な影響を与えている。地震発生の翌日から東北新幹線が不通になった。当然のことながら、一日100~200本あった車内販売の売り上げは、ゼロになった。首都圏の駅構内で販売するための駅弁も、早朝の山形新幹線で運べなくなった。そこで、地元山形の弁当店2社と共同で、駅弁を東京方面にトラックで輸送することになった。
そして、今度は、放射能汚染による牛肉の買い控えである。2000年代のBSE(牛海綿状脳症)問題も深刻だったが、今回のセシウム汚染では、国産牛を使った東北の食品産業の被害が甚大である。全頭検査で、不安感は払しょくされはじめたが、いつなんどき再び放射能汚染や風評被害が広がるかもしれない。最近になって、東北地方の店舗を中心に、ガストが食中毒事件を起こしている。松川弁当店にとっても、この事件は他人ごとではない。
実は、原発事故で食品への汚染が深刻になる3月末に、松川弁当店の7代目・林真人社長(45歳)は、現在のような放射能汚染を予知して、次の手を打っていた。多角化事業として2店舗営業していた「米沢ラーメン店」を急きょ、被災地の仙台市(震災前に計画)と福島市に出店したのである。米沢の店は、さらに一店舗増やして3店舗にした。
牛肉を中心にした駅弁事業(+焼き肉店)だけでは、従業員約50人を抱える地方の中堅企業にとって、事業リスクが大きすぎる。牛肉以外の素材を使ったラーメン店を展開することで、「牛肉依存の“一本足打法”から脱却しないと、老舗弁当店といえども将来はない」と林社長は考え、大震災の真っただ中にあって積極果敢な行動に出たのである
米沢の老舗弁当店の話を長々と書いたが、それは、自然災害などで完成品(駅弁)の需要が変動してしまうリスクと、突発事故で素材(国産牛肉)の調達ができなくなる不安を、老舗企業の経営者の行動(事業多角化)から想像していただきたいと思ったからである。東日本大震災後の食品産業の置かれた現実を、老舗弁当店の対応が象徴的に示しているのである。
<大震災で何が変わったのか?>
筆者は、東日本大震災の直後、ある商業誌から寄稿文の依頼を受けた。「大震災によって近代マーケティングの枠組みは根本から変わってしまったのかどうか?」という依頼内容だった。筆者なりの見解は、<表1>に整理してある。
ここでは、食品産業を対象に、そのときの論旨をさらに噛み砕いて解説することにしてみたい。大震災後に変容するとみられるマーケティングのパラダイムの変化を、わたしは、(1)天然資源の制約、(2)取引関係と調達のネットワーク、(3)消費者心理の変化、(4)マーケティングの計画と実行、の4つの視点から議論してみた。
表1 大震災がもたらしたパラダイムシフト
出典:小川孔輔(2011)「新しい現実: 大震災下におけるマーケティングのパラダイムチェンジ」『チェーンストアエイジ』(ダイヤモンドフリードマン社)6月号
(1)効率一辺倒の時代は終焉した: 食材の一部は国産やローカルに回帰すべき
わたしたちは生活者として、新しい現実に直面している。企業活動にとって生命線ともいえる「電力やガソリンなどのエネルギーや、安全な水や空気などの天然資源が、いつでどこでも無制限に入手できる」という前提条件が失われてしまったのである。
おいしく安心して食べられる食材の供給については、福島第一原発からの放射性物質が広範囲に飛散したことで、不安感はさらに助長されることになった。お金さえ支払えば、エネルギーや安全な食料品をいつでもどこでも、素早く手に入る時代は終わったのである。
商品開発と販売管理の技術である「近代マーケティング」は、150年前に米国の東海岸で誕生した。その背景にあった社会的な条件は、産業革命後の生産性の向上であった。大量に作られた工業製品をさばくために、米国の大手メーカーは新たな販路を開拓しなければならなかった。そのために、大規模なチェーン小売業が立ちあがり、テレビ局や新聞社、専門誌や広告代理店など、商業メディアを支えるための産業インフラが整備された。
食品産業の近代化も、ほぼ同じ時期の同じ場所、米国の五大湖周辺ではじまった。イリノイ州のトウモロコシ畑や、ミシガン州の麦畑で収穫された農産物は、5つの湖の周辺で産声を上げた食品加工産業を育くんだ。ゼネラルミルズ、クエーカーオーツなどの食品メーカーが製造した加工品や、カーギルなどの穀物商社が取り扱う農産物は、その後、マクドナルドやKFC(ケンタッキーフライドチキン)がフランチャイズビジネスを展開するときの基礎となった。安価で品質が均一化された食材が利用できたのは、品種改良された農産物を、多量の農薬と化学肥料と灌漑用水で、低コストで生産できたからである。その場合、原材料とエネルギーは無限であることがマーケティング活動にとっての前提だった。
しかしながら、食糧を含む資源や加工品の供給は、価格メカニズムが働く市場原理だけでは解決できないかもしれない。そのような恐怖感を、東日本大震災は教訓として残した。「自然条件の変化が、マーケティング活動の制約になりうる」というパラダイムシフトはすでに起こっている。大震災後も、米国はハリケーンに襲われ、日本は台風による洪水に苦しんでいる。水害に襲われる国があるのとは対照的に、アフリカや中南米の発展途上国は、水不足による飢餓に苦しんでいる。「良質な商品を低コストで大量に作り、それをグローバルに調達する」という近代マーケティングの成立要件は、リスク管理と資源確保のために大きく制約を受けはじめている。
米沢の老舗弁当店の行動は、フードビジネスの未来を暗示している。駅弁だけに集中し、単品で安い商品を供給しつづける道もないわけではない。たしかに、20世紀の後半に優勢だった経営のパラダイムは、「事業の一点集中」と「商品の絞り込み」だった。しかし、メインの食材(牛肉)は、数量の安定供給と品質の安全性に関して万全ではない。「割れやすい卵をすべて、同じひとつのバスケットに入れて運ぶこと」は、危険きわまりのない行為である。
多少コストが高くついても、国産の農産物や地場の産品を、グローバルに調達した量産品にミックスして使うことも、安全のためには必要である。なお、この場合の「安全」とは、自分たち企業に対しての事業の「安全性」と、消費者に対して「安心感」の両方の意味を含んでいる。過度な商品の絞り込みは、事業経営にリスクをもたらすこともある。大震災がもたらした第一の教訓である。
(2)市場取引は万能ではない: 安定的な取引関係と互助ネットワーク組織の大切さ
大震災直後のことを思い出していただきたい。自動車メーカーや家電メーカーは、直後から半年ほど部品不足に見舞われた。組み立てラインの大部分が、被災した協力工場からわずか数点の部品が入手できないため、稼働できなかった。被災地の小売・飲食店では、ライフラインが寸断されたことで、生活必需品の供給がままならなくなった。
被災の程度や補給・調達の条件に関しては、どのメーカーもどの小売チェーンも、震災直後は同じようなものだったはずである。ところが、いち早く部品や仕入れ商品の調達に成功した企業がある一方で、商品の陳列棚がいつまでも空っぽな店舗もあった。その違いは、いったいどこにあったのだろうか。
考えられる理由は、ふたつである。一つには、その企業が商品の代替的な調達ソースを持っていたかどうかである。メーカーについても、小売業についても、その事情は同じである。商品や部品の調達と物流に関してリスク分散ができていた企業は、供給面での立ち直りが早かった。あるいは、ふだんからの付き合いで、仲間企業からの支援があった会社は、原材料調達面で被害が最小限にとどまっている。東北地方の被災地で、工場の立ち上がりが比較的早かったのは、グループの関連会社や取引先から手厚い支援があった会社だった。
二つ目は、ふだんの取引の中で、誠実で正直な商売をしていたかどうかである。PB商品開発や調達ルートの開拓で、企業同士が協力的に取り組んでいた企業ほど、調達に苦労をしていない。ディスカウント体質の企業で、従来からベンダーに対して厳しい取引条件を要求してきた企業は、必要な商品を揃えることができなかった。
その分岐点は、商売上で良好な関係を築けていたかどうかがであった。商売上では競合していたはずの山形の大手駅弁メーカー3社(松川弁当店、新杵屋、森弁当部)が、大震災以降は、物流面で共同行動をとるようになった。さらにその後は、仙台の弁当店(こばやし)が山形の3社に加わって、販売面でも互いに助け合っている。東北の駅弁メーカーとして、全国で開催される産地フェアに順繰りに参加するなど、駅弁販売ではいまや共同歩調を取っているのである。
(3)生活者の心理が変わった: 社会的な役割を果たすことが消費者の支持を得る
被災地の消費者でなくとも、われわれの日常生活の過ごし方が変わってしまった。しかし、同じくモノ不足を経験した、1970年代のオイルショック時とちがう点がひとつある。それは、いまの状況が10年から20年は続くだろうということを、日本人が自覚していることである。復興はこの先も長期にわたり、この国で暮らす限りは、大規模な自然災害や原発事故の影響から逃がれることができない。
厳しい生活環境の変化を経験しながら、商品の安全性と環境破壊を防ぐための努力には、継続的に貢献していかなければならない。そのために、国民の一人として、国家が背負い込んだ多大なコストの一部を負担することになるだろう。その意識と覚悟を、日本人のほとんどが認識している。地域に基盤を持つ食品加工業者と流通サービス業者(小売店、卸店、飲食品)は、生活環境が激変してしまったコミュニティに住む生活者たちを支援していく役割がある。安心できる食品の供給だけでなく、雇用を確保することにも責任がある。
わたしたちには、モノやサービスを利用する消費者としての立場から離れて、ひとりの市民として社会的な責任を果たすことが求められている。節電への協力や被災地でのボランティア活動、復興資金への募金協力などを、世界中のメディアは高く評価している。「日本が二等国に成り下がった」と自分のことを棚にあげて批判する輩もいるが、日本人も捨てたものではない。
もしかすると、「消費者」という言葉は、死んでしまったのかもしれない。それに代わるラベルだった「生活者」という概念によっても、いまの消費社会の変化はうまく表現できない。近代産業社会の大前提だった「消費と生産の分離」は、昔物語になりかけている。モノやサービスの「消費」や「消費生活」という言葉は、わたしたちの意識や活動の中心にはもはやない。突発的に思いもかけず苦境に陥った時、われわれは他社からの無償の縁居で救われる。社会的に支援のネットワークの中で、われわれはどうにか生かされている。その結果として、安心できるものをおいしく食べるという行為がある。そのための供給の仕方は、安く作り、安価な輸送手段を探すことだけではない。
<マーケティング・プランと実施の方法>
食品流通に関して、マーケティングの方法は変わることになるだろう。東日本大震災では、物流ネットワークと在庫の持ち方に注目が集まった。日本企業の十八番(おはこ)だったジャストインタイムの生産物流方式が、震災では裏目に出たように見えたからである。しかし、JITシステムそのものを変える必要はないように思う。
日本のJITシステムの問題点は、別のところにあったからである。すなわち、①特殊な部品の点数が多すぎたこと、②それが業界共通の部品だったこと、③調達先のトレーサビリティが確保できていなかったことが原因である。いずれもが、部品点数を減らし(完成品を単純化する)、部品や材料の発注に関しては、取引データベースを確立することで回避できるだろう。
ただし、メーカーも小売業者も、大震災への対応では大きな教訓を得ている。これまでは効率的だと考えられてきた「全国一律のマーケティング活動」の再考である。日本全体を、効率一辺倒の標準化されたオペレーションではなく、ある程度独立した複数のエリアに分割(デカプリング)することを考慮したほうがよい。
総合小売業グループのイオンなど、オペレーションの地域分割を考える企業が現れてきている。そうすることで、緊急時に被害がより軽微な地域からの支援で、被災地域の復興が迅速かつ円滑に達成できる。全国市場のデカプリングを正当化することは、近代マーケティングの基本パラダイムを部分的に否定することである。しかし、リスク分散という観点から、業務効率の低下とマーケティング活動の分割は正当化できるのである。
きわめて皮肉な事態がいま進展している。大震災後に、日本の製造業と小売業がアジア地域に急速に活動の場をシフトさせているからである。多くの経済評論家やマスメディアは、この動きに対して懸念を表明している。しかし、わたしは「日本企業のエクソダス(日本脱出)」の批判は、根本的にまちがっていると主張したい。
日本企業が、完成品の製造や部品生産、マーケティング機能の一部をアジアに移すことは、コストの観点だけから議論すべきではない。アジア全体として、国内生産の安全と安定を考えてみても、日本企業のアジア機能移転は、最終的には、日本と日本人の生活を救うことにもなるからである。
一方で国産品の重視や地産地消を推進しながら、他方で海外にもセーフティネットの輪を広げておくことを、感情的に批判すべきではない。食糧安全保障の観点からも、世界中に供給の拠点を持つことは、日本の国益にかなっている。食料品の生産や流通に関して、正しい解答は、グローバル調達一辺倒にも、ローカル生産一辺倒にもない。その適度なバランスが、わたしたちのフードシステムには求められているのである。