特集:日本企業のアジア進出 「マーケティングに唯一の正解はない」『I.M.Press』2011年7月号

 震災で延期されていたインタビューが、2か月遅れて復活した。『アイ・エム・プレス』の西村編集長の問いに、わたしが答えている。日本企業がアジアに進出するにあたっての心構えを、異文化的な視点からまとめたものである。発売前のフライングなので、数日間だけ公開する。


「マーケティングに唯一の正解はない
 商品・サービスの可否を判断するのは 現地のお客さま」
 『I.M.Press』2011年7月号

リード:

日本で実践されてきたマーケティング・コミュニケーションは、アジア市場にも通用するのか。
国内外のマーケティング事情に精通し、最近『異文化適応のマーケティング』(発売は5月20日)を監訳されたばかりの小川先生に、日本企業が文化の差異を乗り越えて成功するための条件を聞いた。
聞き手=西村道子(本誌発行人)

アジアはひとつのマーケット

日本企業のアジア進出をどのようにご覧になっていらっしゃいますか。

小川:ごく自然な流れだと言えるでしょう。基本的にアジアのマーケットはひとつです。大東亜戦争の苦い記憶がありますから“進出”という言葉を使いたがらない企業は多いですが、進出と言おうが言うまいが、製造、流通、サービス、それからITもすべて含めて、もはやアジアに出て行かなければビジネスが成り立たなくなっていることははっきりしています。
 
――その背景には何があるのでしょうか。

小川:人口の減少などで国内のマーケットが縮小していることに加え、今、何もしなければ、活況を呈しているアジアのマーケットは中国、韓国、台湾などの企業にさらわれてしまう。ユニクロのようにニューヨークやパリに進出している企業もありますが、少なくともアジアでNO.1にならなければグローバルな競争を戦ってはいけません。例えば和民や日高屋などの外食産業では労働力の外国人依存度が3分の1ぐらいと大変高くなっています。農業の分野でも生産の現場には2割ぐらいの外国人の研修生がいます。東日本大震災の後にこれらの外国人の半分ぐらいが帰国してしまったため非常に困った状況になっているのですが、逆に言いますと、すでに日本の産業にそれだけたくさんの外国人が入ってきているということなのです。震災の影響はごく短期間にはいろいろあるかもしれませんが、そのために日本企業のアジア進出の速度が鈍ることはないでしょう。

グローバルに通用するきめ細やかなサービスとモノへのこだわり
 
――グローバルな視点から見て、日本文化の特異性はどこにあるとお考えでしょうか。

小川:イトーヨーカドーが中国に出店した際の話をまとめた、元週刊ダイヤモンド編集長の湯谷昇羊氏の『巨龍に挑む』という本には、イトーヨーカドーは単に日本の商品を中国に持って行ったのではなくて、お客さまへの挨拶のしかたや、催事やプロモーションのやり方などを持ち込んだことが重要だったと記されています。伊勢丹にしても同じです。日本企業が中国に移転したのは、商品そのものよりも、古くから日本の旅館などで実践されていた“おもてなし”のような、質の高いサービスだったのです。日本文化の最大の特徴は、サービスやモノの作り方が非常に丁寧だということでしょう。例えば中国からの旅行者は、日本製の商品そのものにも大きな関心を持っていますが、同時に、日本の百貨店やサービス業などの接客や雰囲気を楽しみたいがゆえに日本を訪れているのではないでしょうか。日本の接客技術は国際的に見ても大変レベルが高いと思います。マクドナルドの店舗は世界中にあり、基本的に同じマニュアルを使っているはずですが、おそらく一番気持ちが良くて一番きれいなのは日本の店舗だと思います。テイクアウト用の包装紙ひとつをとっても、光沢や手触りが良く、高品質です。それからやはり優れているのは接客ですね。
 
――欧米などではチップという文化があるために、スタッフが責任を持ってサービスを提供するという話も聞きます。

小川:欧米ではサービスの質が、それを提供する人の報酬と連動しているのですね。それに対して日本の場合には、インセンティブがなくとも、質の高いサービスが維持されています。江戸時代あたりから、日本人には相手の気持ちをくんで接客するというサービス文化が染み付いています。お客さまに喜んでもらうことが企業の最終的な利益につながっていくということが理解されているので、例えば回転寿司のような値段の安い店であっても、一定レベルのサービスがきちんと提供されます。これは独特の文化だと思います。次が、モノへのこだわりです。アジア諸国もだんだん豊かになってきて、日本のモノ作りの細やかさ、品質の高さに注目するようになってきました。日本も貧しかった時代には着る物が破れても継ぎはぎをして着ていましたが、今では破れたら捨てるという使い捨て文化になりました。モノが十分ある時代になると、人々はより良いものを求めるようになります。
 
――モノに対しても、サービスに対しても、豊かになると要求が高まっていきますね。

小川:そうですね。1989年にはじめて中国に行ったときに驚いたのは、レストランで注文した料理を、テーブルにぞんざいに投げてよこすのです。さすがに今では中国でもそのようなことはないと思います。また、メニューに書いてある料理を頼んでも、「それはない」という答えが平気で返ってくるのです。日本なら、書いてあるものは責任を持って提供しますよね。この“約束を守る”ということも、日本文化の特徴と言えるかもしれません。企業同士の商習慣も同様です。例えばいったんオーダーしたものをキャンセルする場合、日本人は「申しわけない」と謝ります。しかし中国人や欧米人は、契約書を交わしていない限り、比較的簡単にキャンセルをします。日本人には、たとえ口約束であっても守ろうとする律義さがありますね。これら、サービスの品質の高さ、モノへのこだわり、約束を守るという3点については、私は十分に国際通用性があると思っています。
 
――一方で、各国の事情に応じてローカライズする必要があるものは?

小川:例えば味です。8~10年ぐらい前にハウスがククレカレーを中国で販売した時、レトルトパウチで簡単に食べられるという点は現地でも歓迎されたのですが、味の面では中国人の好みに合わせて八角を入れるなどのアレンジを加えることが必要でした。製造方法や食べ方は標準化してそのまま移転することが可能だったのですが、味や売り方については現地化が必要だったということです。中国にはいまだに日本に対する敵対感情がありますが、日本企業がいろいろな面でローカライズを加えることで、例えばトヨタやホンダのシェアが2桁に近づいてきているなど、徐々に市場に受け入れられてきているように思います。日本文化は特異だけれども、良い部分については受け入れようという素地がアジアをはじめとする外国にはあるのです。1980年代に寿司店が米国に出店し始めた時、欧米で寿司が一般化するとは誰も思っていませんでしたが、今ではもう欧米では米も海苔もわさびも珍しくなくなっています。

乗り越えなければならない4つの壁
 
――文化の差異がマーケティングに及ぼす影響は?

小川:異文化間でマーケティングを展開しようとする時に、4つの壁が存在すると考えています。ひとつは言語の壁、つまりコミュニケーションの壁です。これはそれぞれが互いの言葉を学ぶことによって乗り越えることができます。2番目は文化の壁です。文化というのは、我々が生活している時に当然と思うものの考え方、ものの見え方、解釈のしかたの基準のことです。文化の違いとはつまり、その判断基準の違いです。正しいか間違っているか、美しいか醜いか、あるいは“当然こうである” という常識が違うということです。これは言語の壁と違って、乗り越えるのが難しい、厚い壁です。3番目が制度や法律の壁です。中国では個人情報については日本ほどナーバスではありませんが、一方で言論統制は非常に厳しいですから、例えば雑誌のタイトルなどは簡単に取れません。ですから女性誌の『Oggi』は現地の『今日風采』という雑誌を買い取って、そこに日本で作ったコンテンツを掲載するという方法を採りました。また、店舗を出店しようと思っても、なかなか都市部に場所を確保することができません。ユニクロが中国で一気に多店舗化を図れないのも、商品が受け入れられないからではなく、このような事情があるためです。トヨタも本当は独自のブランド戦略を推し進めたいと考えていると思いますが、制度上それがままならないために、妥協してジョイントベンチャーで事業を展開しているわけです。しまむらがなぜ中国でなく台湾に出店したかという理由も、制度の問題にあります。中国で商品を販売しようとすると1点1点にすべて許可が必要となります。例えば台湾製の商品は売ることができません。しまむらとしては世界中から原料や労働力を調達して商品を作り、自分のブランドとして売りたい。だからそれができる台湾に出店したというのです。それから4番目には、発展段階の壁、つまり経済力の壁があります。これはいずれその国が豊かになってくれば解決する問題です。
 
“変えられるもの”と “変えられないもの”を切り分ける
 
――異文化間のマーケティング・コミュニケーションにおいて、課題となるのはどのような点でしょうか。

小川:国によって、生活習慣も大きく異なります。例えば日本人の間には、待つ時には“並ぶ”“列を作る” というルールが確立されています。しかし、中国には “待つ”という文化はありません。ですから日本のサービス業が出店する時は、まず、列を作るというルールを浸透させるところから始めなければならないのです。また、日本人が2人で話している時、ラテン系の人が話に割り込んでくることがあります。それは彼らにとって、興味があることを示す態度であって、悪いことではないのですが、日本人にとってはNGです。これは人々に染み付いている文化、習慣ですから、変えてほしいと言っても変えられるものではありません。しかし一方、相手に良い感じを与えるホスピタリティといったことは、説得し、教えることができるので、海外に移転することが可能です。外国でマーケティング・コミュニケーションを行う場合には、そのまま持って行けるものもあるけれども、どうしても変えられないものもあるということを理解しておく必要があります。変えられないものについては現地の人々に倣って、我々が適応するしかありません。変えられるものと変えられないもの…、この切り分けが非常に難しいのです。広告などについては、はじめは標準化したものを持ち込むのですが、徐々に現地化していくのではないでしょうか。コカ・コーラのような一部の特殊な商品では、商品そのものもプロモーションのしかたも標準化できるかもしれませんが、一般の食品などはかなりローカライズが進んでいくのではないかと思います。
 
――成功事例をお聞かせいただけますか。

小川:最も成功しているのは資生堂の中国進出ではないでしょうか。もともと資生堂は、美を生み出す薬効のある原料や技術を中国に求めていました。ですから 1985年に現名誉会長の福原義春氏が中国でジョイントベンチャーを始めた時にも、心から中国をリスペクトし、謙虚に学ぶ姿勢を示し、中国の経済界や政治家とも良い関係を築きました。そして百貨店の1階の最もいい場所に出店することができ、中国の人口の7%に当たる富裕層をターゲットに、日本とまったく同じ美容部員によるカウンセリングセールスで商品を販売したのです。重要なことは、同社は資生堂というブランドを前面に出さずに、中国仕様の、フランス語で「with you」という意味の「AUPRES(オプレ)」というブランドを作ったことです。あくまでも中国のお客さまのための商品であることを打ち出し、“日本”を押し付けなかったことで現地に受け入れられました。さらに同社は北京に工場を作り、研究所を作って現地の大学院生などを雇用し、大学に研究費などの支援も行いました。そして第2ステージとして地方進出を行う際には、花椿会の制度を採用してチェーン展開をします。美容部員の教育、店舗デザイン、什器レイアウト、カウンセリング、それから顧客台帳を作って顧客情報を管理する方法もすべて日本と同じシステムです。ロレアルなどの欧米の高級化粧品が中国では百貨店出店に止まっているのに対し、資生堂は日本ではおなじみの花椿会の手法で見事に地方進出を果たしました。マーケティングに唯一の正解はない
 
――アジアで事業展開する日本企業が特に留意すべき点はあるでしょうか。

小川:現地のスタッフの使い方には注意が必要です。例えば中国は欧米諸国と同じように個人主義の国で、企業に対する忠誠心は非常に薄いのです。自分のキャリアアップを第一に考え、転職もします。そのことを咎めてはいけません。またタイ人は総じてあまり働きませんが、そのことを責めてもしかたがないのです。それを前提として受け入れた上で、ビジネスを組み立てていく必要があります。しかし往々にして、日本の優秀なマネージャーと言われる人たちはそこでつまずきますね。人が使えずにノイローゼになって帰ってくる…。
 
――日本的な付加価値の高いサービスを提供しようとするからこそ、忠誠心が高く、勤勉な人材を求めたくなるのだと思いますが…。

小川:お客さまに喜ばれるサービスには国際通用性がありますから、それは教えて実践していけばいいのです。しかし文化の差異は受け入れなければなりません。日本企業はともすれば、昔の米国人と同じように、自分たちの商品やサービス、ビジネスのやり方が最高だと思い込み、それを他国にも押し付けようとします。しかしその可否を最終的に決めるのは現地のお客さまであり、現地の従業員です。現地の人々が望んでいるもの、望んでいないものをきちんと見分けることができるのが、成功するマネージャーです。またよく言われるのは、日本人のマネージャーを現地に赴任するのは3年くらいという企業が多いことです。現地のスタッフに、「あの人はあと3年で日本に帰るんだろう」と思われているようなマネージャーはたいていうまくいきません。その国に骨を埋めるつもりで、場合によっては中国人やタイ人と結婚して、現地の人々のために一生懸命働いている人は総じて成功しています。
 
――日本人の価値観を押しつけず、現地の価値観を重んずることが重要だということでしょうか。

小川:ある程度豊かになってくると、文化が違っても、人々が求めるものにはあまり大きな差はないのだと思います。良い服を着たい、良いテレビが欲しい、良い車に乗りたい、良い教育を受けたい…。ただ、何を「良い」と考えるかは文化に依存しますから、それぞれに違います。しかし誰にとっても「良い」ものもあるかもしれないし、そういったものが説得によって作れる可能性もありますね。価値観の共有です。日本人も、数千年前に中国の文化を、65年前には米国のライフスタイルを取り入れました。先般、私が監訳した『異文化適応のマーケティング』の主旨でもあるのですが、マーケティングは決してカルチャーフリーではなく、文化や制度の制約を大きく受けているのです。マーケティングに唯一の正解はありません。各企業が試行錯誤し、切磋琢磨しながら、それぞれの正解を見出していくことが大切でしょう。