大学院イノベーション・マネジメント研究科オープン講座、シリーズ企画「女性のキャリアと生き方を考える」2010年度第2回、講演録「ネットPRと出会うまで」をアップします。セミナー講師は、株式会社ニューズ・ツー・ユーの神原弥奈子氏でした。
第2回「ネットPRと出会うまで」
株式会社ニューズ・ツー・ユー
神原 弥奈子氏
日時:2010年10月8 日19時00分~21時00分
於:法政大学経営大学院101教室
講 演 要 旨
講師紹介
神原 弥奈子(かんばら みなこ)氏
広島県生まれ。1993年、学習院大学大学院修士課程修了。同年、ウェブサイト企画制作 会社カプスを創業。企業ウェブサイトや映画・音楽の企画制作、オンラインマーケティング等を手掛ける。
2001年、株式会社ニューズ・ツー・ユーを設立、代表取締役に就任。ネットPRの分野では、先駆者かつ第一人者。国内初のリリースポータル「News2u.net」の運営やネットPR支援サービス「News2uリリース」「News2u電子社内報」「News2u社長ブログ」の提供を通じて、インターネット時代の企業の情報流通を支援している。2010年ネットPR発想のウェブソリューションを提供する株式会社パンセ設立、代表取締役に就任。
著書に『宣伝費をネット広報にまわせ』(時事通信出版局、共著)、『マーケティングとPRの実践ネット戦略』(日経BP社、監修)『ウェブPR力』(翔泳社、監修)などがある。2003年からブログ「minako’s blog」をほぼ毎日更新している。IT系企業の経営者である夫と長男の三人家族。
講演要旨
1. 自己紹介
自己紹介
最初に、簡単に私自身の自己紹介をさせていただきます。私は、1968年広島生まれ、学習院大学の大学院を卒業直後、1993年にホームページの制作会社(「カプス」(KAPS))を起業しました。2001年に、現在のネットPRの会社「ニューズ・ツー・ユー」を設立し、代表取締役に就任しました。
2. キャリア
HP制作会社~ニューズ・ツー・ネット創業まで
1994年頃、日本でネットの商業利用が始まりました。大学時代、文芸同人誌の発行に携わっており、ずっと憧れで本を出したいと思っていましたので、インターネットを通じて、自分の意見を世界中に発信できるということは、私にとって大変な驚きでした。ホームページの制作会社を始め、会社の請求書を発行するのも忘れるくらいネットにのめり込み、仕事に楽しく熱中していました。
私はいろいろ新しいことに取り組みました。成功例をいくつか挙げてみます。
一つは、映画のHPです。伊丹十三監督の映画『スーパーの女』(1996年)のHPを私たちの会社が作成し、話題になりました。この映画の撮影現場を、インターネットで生中継しました。これは、1996年当時としては快挙で、ネットで見てくれた視聴者は、たった200人でしたが、やりがいのある仕事でした。大がかりでお金のかかるイベントだったので、スポンサーを募って行いました。
大手企業にメールを送り続けたところ、NECから、「ビジネスショウTOKYO 1996」で、同社のブースの仕事をいただくことができました。これが、大きな仕事で初めてお金をもらい、ネットがビジネスになると実感した瞬間でした。
JALがネットで国内線予約サービスを始めた時、そのインターフェースを手掛けたのも、私たちの会社でした。インターネット・エクスプローラーはまだ一般的でなく、「ネットスケープ・ナビゲーター3.0」の時代でした。コンペには、大手広告代理店はじめ大企業がたくさん参加していました。まだ私の会社の社員は7,8人しかいませんでしたので、せめてコンペでは、面白い企業としてインパクトだけでも残そうとして、スクロールせずにチケットが買える仕組みのアイデアを出したところ、その企画が採用されました。
当時、私の会社は、「女性だけの」ホームページ制作会社として、話題になりました。でも、自分としては、「女性だけの会社」を作るという気はなかったのです。人材募集は、いつも『とらばーゆ』の一番安い広告枠に出しており、『とらばーゆ』は女性しか読みませんから、結果的に女性だけの会社になったに過ぎませんでした。
女性経営者であり、かつインターネット分野での事業ということで、メディアに紹介され、当時、私は、実力以上の「下駄」ならぬ「ヒール」を履いていたと思います。あるとき、冷や水を浴びせられました。大手経済新聞の方から電話あり、ネット関係の会社の経営者を集めた特集に、私の記事も入れたいというお話でした。他の方はそうそうたるメンバーです。電話口でその方が、「一人くらい女の子がいてもいいかと思って(私を)選んだ」と言われたのが、自分としては、ショックでした。それ以降、「女性経営者」であることに焦点をあてた取材などは、しばらく避けていました。実は、私は、女性だけを対象にした今日のような講義はあまり経験がなかったのですが、それはこういう事情があったからです。
ネットビジネス 大きな変化の時代
インターネットユーザーの推移を見ますと、2001年には5,593万人、それが2008年には9,091万人にまで増えました(総務省 平成20年『通信利用動向調査』)。この間、インターネット、そしてその関連ビジネスは大きな変化の時期を迎えました。
今の会社ニューズ・ツー・ユーのビジネスモデルは、1998年に考えたものです。でも、その時は、新しい会社を作るという考えはありませんでした。21世紀に入り、新しい世紀に新しいこと、いちばんやりたいことをすることにして、今のビジネスを立ち上げました。
私は、物まねが嫌いです。ニューズ・ツー・ユーは、世の中にそれまでなかったもの、まったく新しいもの、ネットだからできるものとは何かを考えて作りました。
かつて、ホームページ制作会社を始めた時は、最初は「ブルーオーシャン」状態でした。そういう会社は当時は少なかったので、私たちのところに次々に仕事が舞い込みました。ところが、そのうちWindows95が普及し、PCが安くなってくると、同じ仕事を安く請け負うところがたくさん出てきて、ホームページ制作業界は、あっという間にレッドオーシャン状態になってしまいました。この経験から学んで、今度は、長く続けられるサービスを考えました。
新しいサービスとしては、当時、3Dやボイスチャットなど、いろいろな可能性がありました。でも、技術はどんどん変わっていきます。ですから、技術に依存しすぎない事業にしようと思いました。しかも、ウェブ制作会社のときのように、24時間同じ仕事という状態は避けて、開発があったり、コンサルティングがあったり、オペレーションの手伝いをしたりと、社内にさまざまな職種があり、いろいろな人たちが長く働ける環境を作ることにしました。
ニューズ・ツー・ユー
それでは、ニューズ・ツー・ユーのサービスについて、簡単にご説明します。
ニューズ・ツー・ユーでは、「News2u.net」というリリースポータルを運営しています。これは、国内初のリリースポータルで、企業のプレスリリースよりも話題の豊富なニュースリリースが、掲載されています。TVCMと連動したキャンペーンの告知リリースなどがあります。広告をプッシュするのではなく、利用者が自ら探しているときに、うまくニーズに合った情報を見つけられる、ネットならではの新しい情報サービスを作りだしたいと考えて始めたサービスです。
広告の記事やニュースは、フローで流れていくものです。テレビ広告では、刺激が強く、エモーショナルなインパクトで、視聴者に訴えようとします。でも、私は、ファクトを訴える手段があるはずだと思いました。そして、何か情報を探しているけれども、その製品の名前も企業名も分からない状態にいる人に対して、情報を届けることができるようなサービスを考えました。
現在、「News2u net」で扱っているニュースリリース本数は、累計6万5,000本に達し、契約企業は累計で1500社を超えました (2010年8月末時点)。2007年度から2009年度の間に、ニュースリリースの年間掲載数は250%増加しています(2007年22,126本、2008年36,890本、2009年55,170本)。インパクトのある情報というより、ヴァージョンアップなど、目立ちにくいけれども重要な情報のリリースが多いのが特徴です。
図表出典:神原氏講演資料(以下同)
ニューズ・ツー・ユーでは、さらに、「News2uプレスリリース配信代行サービス」という対メディア向けのリリース発信支援や、「News2u電子社内報」という社内用の情報発信サービスなども手掛けています。
その他、ツイッターやTumblerなど新しいメディアへの対応など、新しいものが出るたびに企業が自社内で抱え込んで対応するのは大変ですから、それも私たちがお手伝いしています。
ニューズ・ツー・ユーのテーマ:有料会員制、情報の中立性、情報の信頼性
ニューズ・ツー・ユーという企業の方針は、「有料会員制」、「情報の中立性」、「情報の信頼性」の3つを柱としています。
・有料会員制
1990年代に、eマーケットプレイスのブームが起こりましたが、利益を生むのはなかなか難しかったようで、アマゾン・ドット・コムでさえ、7期目まで赤字が続いていました。それで、2001年頃には、ITバブルがいったん崩壊しました。そんな時期に、ニューズ・ツー・ユーを、有料サービスで立ち上げたものですから、なかなか売上高が上がりませんでした。それでも、私は、価値あるサービスには、きちんと対価を支払ってくださるお客様がいると信じていました。良質なサービスを提供していくには、どうしても安定収入が必要ですから、有料会員制の仕組みは譲れません。
契約は、1社につき年120万円の定額制で、情報を使えば使うほどお得な仕組みになっています。リリースを1本だけ出して終わりというのではなく、新しいネタがなくても、自社で切り口を考えて、継続的にニュースリリースを出していただくのが、望ましい状態だと思います。私どもとしては、月10万円で、元がとれる覚悟が出来た企業に使っていただくことを、希望しています。
・情報の中立性
私は、情報の中立性という原則を守りたかったので、当社のサービスは、広告を入れずに提供し、会員企業の会費を収益源とすることにしました。
・情報の信頼性
いままで、ネットから発信される情報は、一般にそれほど信頼されていなかったと思います。起業した2001年頃は、まだブログもない時代でしたが、ネット上の無責任な情報によって、消費者が惑わされるケースもありました。それで、情報への信頼度を上げるために、私たちの方で、情報の発信元を保証できるシステムにすることを考えました。顧客の企業に当社にご登録いただく際には、窓口を確認ができている社員の方のみに限定させていただくとともに、当社で身元を確かめ、存在を確認した企業としか、お取引はしません。
これらの3つの原則を貫くことで、最初のハードルは高くなりましたが、事業は徐々に軌道に乗っていきました。
3.「バームクーヘン」としてのビジネス/プライベート/ファミリー
ワークライフ・バランスではなく、バームクーヘンで考える
いろいろな活動をしていながら、自分という人間は、一人しかいません。「私」という存在は、バームクーヘンのようなものだと思います。私という一人の人間の中には、ビジネスも、プライベートも、ファミリーもすべてあり、24時間365日、それら3つの領域の間で、バランスを取りながら生きています。各要素の比重は、人によって変わってきます。家族と一緒に暮らしていると、親への感謝も忘れ、プライベートの比重がほとんどすべてという場合もあるでしょう。
これから、私が働きながら、ビジネス/プライベート/ファミリーの比率を、どうやって分けてきたか、お話していきたいと思います。
・ファミリー 長男/妻・母/夫・父
長男は、赤ちゃんの時は、当然何もしません。大きくなるとお手伝いができるようになり、家族の中での役割分担が変わってきます。
主人は、私と同じく経営者です。私とは、年齢が10歳離れています。彼は、30代の頃、仕事がたいへん楽しかったと言います。だから、その時期に私が育児に時間を取られて、自分の好きなことができないのはよくない、と言ってくれました。私の仕事や今の状態に、理解があります。夫が家の中で、今自分がどういう状況で、どういうことができる、というファミリーのバランス全体と、一人の人間の中の全体像を考えてくれるということは、パートナーとして、とても大事なことです。私の場合、子供が生まれてしばらくは戸惑いましたが、だんだんバランスがとれるようになっていきました。
私の生家は、5人兄弟です。私が長女で、後はみんな弟です。人に仕事を頼んだり、いろいろコミュニケーションをしながら育ってきたバックグラウンドがあります。
私自身の家庭では、息子は一人っ子です。私の育った家庭では、子供の頃から、激しい兄弟喧嘩も含めて、いろいろなコミュニケーションを経験してきましたが、私の息子は、そのくらいの年になっても、まだ私の膝の上にいます。保育園などでは友達もいて、社会性という点ではうまく育っていましたが、だんだん不安に思うようになりました。また、一人っ子は、子供にとって、息苦しい面もあるでしょう。そこで、小学校3年生の時に、思い切って、いとこのいる海外の学校に連れて行ってみたところ、本人が気に入ったので、今は、留学させています。
家庭では、さらに、健康についても、バランスをとることが重要です。「バウムクーヘン」のメンバーは3人しかいませんから、一人でも機能しなくなると、全体への影響が大きいのです。我が家では、手洗いうがいを全員がします。手洗いのポイントは、ハンドタオルで、一度使うと、交換するのです。そうすると、風邪は移りにくくなります。規則正しい生活、睡眠と手洗い、うがいで、子供に風邪をひかせないよう、気をつけています。
30代の前半から子供が小学校に入るまでは、私の生活は仕事とファミリーで占められ、プライベートの部分はほとんどなかったと思います。この「バームクーヘン」のバランスが取れる状態にたどり着くまで、多くの苦労をしてきました。
・プライベート 友人・同門・友/生徒
子供が大きくなってきて、やっと、少しずつ、プライベートの生活を持てるようになりました。プライベートの部分で面白いのは、お茶の時間です。この数年、茶道の教室に通っていますが、やってみると、仕事も家庭も忘れ、豊かな時間を過ごせます。炭の香りがするお茶室で、お菓子を食べて、お茶を飲んで、五感に訴える時間を持てます。いつもとはまったく違う世界の人たちに会えます。
プライベートでもう一つ重要なのは、友人との関係です。みなさん、学生時代のお友達と、どれくらいの頻度で会っていらっしゃいますか?私の場合、子供が大きくなるまでは、ぜんぜん会えませんでした。私だけでなく、友達の方もそれぞれ家庭を持っていますから、なかなか難しかったんですが、最近になってやっと、半年に1回くらい、会うことができるようになりました。この間、20年ぶりに、昔の友達3人で旅行しました。数年前から計画した旅行です。
・ビジネス 社員・顧客・社長
私は、会社勤めの経験がありません。文学部大学院の哲学科卒で、卒業後すぐ会社を興しました。就業規則というものは、人を縛るためではなく、守るためにあるもので、企業の英知の最大公約数だと考えて、受け入れられるようになるまでには、7年間かかりました。私は、事業の内容はうまくいっても、管理系のノウハウはなく、それでいろいろ苦労しました。うまくいかなかったのは、仕事ばかりで、勉強不足だったからだと思います。
慶応大学で教えていらっしゃるIT業界の重鎮、古川享先生が、「IT業界の若い経営者が、24時間働き詰めで、仕事しか知らないのはよくない」ということで、ご自分のポケットマネーで、海外に連れて行ってくださったことがありました。本当にびっくりしました。参加者は、みんなそれぞれ違う会社の経営者なのですが、海外で、急きょ、共同でイベントにブース出展しました。この経験から、仕事に熱中しすぎて視野が狭くなるのは怖いな、と実感したので、会社(HP制作会社のカプス)に戻った後、社員を順番に海外に視察に行かせる制度を作りました。
2001年にニューズ・ツー・ユーを興した時、経営の内容を知らないと、他の経営者と同じ土俵では戦えないと思ったので、「グロービス」に通いました。ヒューマン・リソース・マネジメントとアカウンティングは、特に面白かった記憶があります。グロービスで、体系立てて知識を学べる面白さを味わいました。会社経営は、力づくで何とかできることはできるのですが、会社を大きくしたり、効率を高めたいと思ったときに、世間の人が知っていることを一通り知らないと、話になりません。後で、社員にもグロービスに勉強に行かせることにしました。ただ、全額会社負担というのは、緊張感が欠ける部分が出て、あまりよくないと感じています。
社長は孤独と言われますけれども、私自身は、あまりそういうふうには感じませんでした。ただ、視野が狭くなると思ったので、世界規模の起業家組織である「EO」(Entrepreneur Organization)という組織に入ることにしました。年商1億円以上の経営者の会で、様々な分野の経営者が集まっています。ここで、他の女性経営者と知り合ったり、日本で開催するEOの世界大会の委員になり、その準備でシカゴに行ったりもしました。世界中から300人、400人もの起業家たちが一堂に集まる会ですから、新しい経験をしました。
先週も、スイスにあるIMDの、Strategic Marketing in Actionの5日間コースに行ってきたところです。新しい成長の段階に移りたい時には、自分と距離を置いたものを吸収するようにしています。私は勉強が好きで、ふだん、本を読んで得られるものも大きいです。でも、本では追いつかないと感じる場合もあります。会社にいると、どうしてもアウトプットばかりが多くなり、インプットが追いつかなくなることがあります。そういうときは、他の人とのインタラクティブの中で、新しい知識や考え方を吸収するようにします。
日本の自殺者のうち、多くは中小企業の経営者と言われています。人を雇って経営するのですから、そのプレッシャーに耐えられない人は、経営者になるのは、やめておいた方がいいかもしれません。女性は人生80年以上生きるのですから、ビジネスでは、長い目で見て続けられるスキーム、自分で楽しめる限界点を見つけていけばよいのであって、命を削ってまで、会社をやる必要はないのではないでしょうか。会社がつぶれたからといって、自分自身の存在が全否定されるわけではないし、それで日本の社会が駄目になるわけでもありません。
4. 「かんばら流 仕事のこだわり」
私には、仕事をするうえでの「こだわり」があります。それは、「人のマネをしない」、「視野を広げる」、「好きな人と、好きなことを」、「神様、ありがとう」、そして、「ひとりでは、なにもできない」ということです。最初の2つについては今までの話の中で触れましたので、ここでは残りの3つについてお話して、締めくくらせていただきたいと思います。
・「好きな人と、好きなことを」
社長をしていて、ぜいたくだなと思うことは、「好きな人と、好きなことができる」ということです。仕事は、好きな人と一緒にしたいです。
HP制作会社カプスの頃は、毎年1つずつ、マグカップやリボンなど、みんなで会社のオリジナル・グッズを作っていました。伊丹さんの映画の撮影の時は、朝スタジオに通うのが寒いので、おそろいのジャンパーを作ったりしました。カプスは、9年続けた後、News2uに吸収しましたが、そういう楽しいカルチャーは、今も社内に残っています。
・「神様、ありがとう」
周囲の人間によると、私の口癖は、「神様、ありがとう」なのだそうです。自分で努力はしていますけれども、その一方で、いろいろな人や出来事に助けられながら、ここまでやってこられたという気がします。
なかなか経営が軌道に乗らず、設立後5年間、5期連続赤字でかなり落ち込んでいた時、「日本IT経営大賞」(2004年)をいただいて、もうひと頑張りしようかな、と思いました。2008年には、「ASP・SaaS・ICTアウトソーシングアワード2009」において、「ベストブレイク賞」を受賞しました。ちょっとへこたれそうな時もいろいろあったんですが、こうして、周囲から励まされながら、続けてこられました。
・「ひとりでは、なにもできない」
TEDという、ITやアートのイベントがあります。ここのサイトで公開されている、デレク・シヴァーズ(Derek Sivers)さんという方のビデオクリップ(英語)を、ちょっとご紹介したいと思います。「社会運動はどうやって起こすか」というタイトルで、ビーチで踊っている人たちの映像です(Derek Sivers (2010) “How to start a movement” in Ted.com
http://www.ted.com/talks/derek_sivers_how_to_start_a_movement.html)。
最初に出てくるのは、一人で踊っている人です。この人がリーダーです。彼が一人で踊っているうちは、ただの変人にしか見えません。でも、そのうち、フォロワーがやってきて、一緒に踊り始めます。そのうち2人目、3人目、とフォロワーが続々と生まれて、やがてティッピング・ポイントを迎え、最後には、周りにいた人みんなが踊り出します。
私の場合もこの映像と同じで、一人で起業して「踊り出した」時、「踊らせてくれる」人たち、つまり、背中を押してくれる人、共感して動き出してくれるパートナー、支えてくれる人たちがいてくれたからこそ、ここまで来られたのだと思います。フォロワーがいてこそ、リーダーがあるのです。そして、その人たちに、私はとても感謝しています。自分から仲間に入ってきてくれる人を見つけることが、大切だと思います。「一人では何もできない」というのは、真実ではないでしょうか。
(了)