拙著『社長はつらいよ』(光文社新書)は明日(3月19日)、<第1クール>のインタビューを迎えることになる。今回の取材対象は、劇団四季の吉田社長である。吉田さんには、何度もお目にかかっていて、2018年には、法政大学の経営大学院で、リーダーシップ論の講義を1コマお願いしたこともあった。
ところで、今回のインタビューをお願いするにあたって、広報部の岡﨑さんとやり取りをしている。数日前に岡﨑さんに事前の質問項目を送ったところ、吉田社長の「新人団員向け講話」というファイルが返信のメールに添付されていた。興味深いお話で、さっそく読んでみた。
講話の最後の部分に、創業者の浅利先生と吉田さんとの間で交わされた逸話が紹介されている。確認の意味で、AIに問い掛けをしてみた。「浅利慶太は,なぜ吉田氏に社長を任せたのか?」。その答えは、このブログ記事の最後に添付する。
さらに、劇団四季の事業承継の経緯を調べてみたところ、吉田さんのYouTube動画に行きついた。それと関連して、8年前の吉田社長の講義で出された院生向けの「課題」を思い出した。劇団四季が取り組むべき「未来のミュージカルは?」が課題だった。そのときに、ミュージカルの切符(最優秀賞)を獲得したのは、佐俣和典くんだった。
そのときの経緯を述べたブログ記事(「劇団四季:未来提案最優秀作品」)と、吉田社長の想いが叶って上映された作品(【観劇評】劇団四季・ミュージカル公演『バケモノの子』)を紹介しておくことにする。このミュージカルの最初の上演日は、7月14日。劇団四季の創立の日(フランス革命の日)である。
すべては、つながっていたことになる。
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#0 「浅利慶太は,なぜ吉田氏に社長を任せたのか?」(AIによる回答)
2026年3月18日(午前11時頃、検索)
浅利慶太氏が吉田智誉樹(よしだ ちよき)氏を後継の社長に指名した主な理由は、劇団の「理念の継承」と「経営の安定化」を託せる人物だと判断したためです。2014年、浅利氏は自身の高齢(当時81歳)を理由に社長を退任しました。吉田氏を抜擢した背景には以下のポイントがあります。
日本経済新聞 +1
吉田氏が選ばれた主な理由
理念の深い理解と実践: 吉田氏は広報や営業など経営の根幹を支える部門で長年キャリアを積み、浅利氏が築いた「劇団四季の理念」や運営のあり方を最も忠実に守り、次世代へ繋げられる存在として信頼されていました。
「演出」と「経営」の分離: 浅利氏は社長退任後も「演出家」として現場に専念することを希望していました。そのため、舞台制作以外の組織運営やビジネス面を任せられる、実務能力の高いリーダーが必要でした。
危機管理と安全保障: 劇団の将来を見据え、海外作品の上演権だけに頼るのではなく、オリジナル作品の比率を高めるといった劇団の「安全保障」に関する浅利氏の考えを、具体化できる実行力が期待されました。
YouTube +3
吉田氏は就任後、浅利氏の教えを「明文化」して後輩に伝えるとともに、コロナ禍などの困難な時期にも独自の経営判断で劇団を支え続けています。
日経xwoman:クロスウーマン +1
吉田社長による「新時代の劇団四季」の取り組みについて、さらに詳しくお知りになりたいですか?
<インタビュー動画(中日新聞、既読)>
浅利慶太から引き継いだもの、変えたもの オリジナル作品で勝負をかける劇団四季・吉田智誉樹社長インタビュー
ソース: YouTube
https://share.google/vHXmzGWTDP5BKASCl
このYouTube動画の最後で、吉田社長は新時代のとりくみについて、次のことを話している。
①2020年のコロナ禍(ミュージカルの劇場上演自粛要請)で、劇団四季は完全に収入源を失った。以前から、海外のミュージカルの日本への移植については、後継社長として経営上の問題を感じていた。それはつぎのような視点からだった。
②たとえば、ディズニーへの脚本などのフィー支払や、独自演目でないための映像権やグッズの販売が売上を獲得できないこと。その他のビジネスで収入を得るという道が閉ざされていたことが、コロナ禍で明らかになった。
③解決の方法は、日本オリジナルの脚本によるミュージカルの上演であることは明らかだった。もちろん、子供向けのミュージカルなどでは、オリジナルの脚本による上演は試みられてもいた。しかし、コロナ期で決定的になったのは、将来的に必ずやってくる少子高齢化で、舞台収入が3分の2くらいに減少することだった。
細田氏のアニメを下敷きに、オリジナル脚本で実現したのが、「バケモノの子」だった。わたしは、最初の上演に招待されて、吉田イズムの成功を確信したのだった。
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<再掲:わたしのブログ記事から> 2026.3.18
1 【観劇評】劇団四季・ミュージカル公演『バケモノの子』 | 小川先生 のウェブサイト
2 劇団四季:未来提案最優秀作品 | 小川先生 のウェブサイト
1 【観劇評】劇団四季・ミュージカル公演『バケモノの子』(2022.05.08)
劇団四季から、新作ミュージカルの観劇に招待された。場所は、竹芝の「四季劇場秋」。上演作品は、細田守監督の原作アニメ『バケモノの子』のミュージカル版だ。3年越しの約束で、「下町に移り住んだら、夫婦して着物で観劇に出かけよう」ということになっていた。しかし、退職前に仕事が忙しくなって、このアイデアが実現することがなかった。
わたしたち夫婦の間では、桂文珍さんの落語鑑賞(@国立劇場、年2回)が、着物で出かけるときの最有力候補に挙がっていた。ところが、コロナ禍で文珍さんの独演会はしばらく中止になっている。そこに、「4月30日から新作ミュージカルの上演開始」とのお知らせが、劇団四季・広報部からやってきた。
その昔、拙著『CSは女子力で決まる!』(生産性出版、2015年)で、創設者の浅利慶太氏の生き方と劇団四季のビジネスモデルを紹介したことがあった。その後も、四季の会員誌『ラ・アルプ』(2016年4月号)に、「日本のビジネスマンよ!『ライオンキング』を観よう!!」という観劇推奨記事を執筆させていただいている。
そんなわけで、新しい作品が上演になるときには、いまでもわが家には劇団四季から招待状が送られてくる。ただし、10年越しの「四季の会」のメンバーでもあるから、年間の観劇回数は相当なものだと思う(これには、四季の舞台を個人的にプレゼントすることも含まれている)。
今回の招待作品は、細田監督のアニメ映画のミュージカル化である。「日本発のアニメ映画をミュージカルの舞台に翻案するアイデア」は、4年前(2018年)の経営大学院の授業で、院生の何人かから提案がなされていた。やや迂遠になってしまうが、作品紹介の前にそのときの事情を説明することにしたい。
2018年度の「ビジネスイノベーター育成セミナー」では、劇団四季の吉田智誉樹社長を特別講師にお迎えした。四季の経営の成り立ちや基本的な運営方針などを授業で話していただいた。そして、講演の最後に、吉田社長から学生に宿題(課題)を出していただいた(問1:日本が世界に向けて発信するコンテンツは何か?)。最優秀レポートには、劇団四季の鑑賞券(ペアチケット)が贈呈されるという「おまけ付き」の課題だった。
最優秀レポートに選ばれたのが、佐俣和典くんの「日本発のアニメを海外をターゲットにしたミュージカルに」だった。このアイデアは佐俣君だけのものではなかったが、彼の説明がもっとも納得的だった。レポートの内容は、小川の個人ブログ(2018年3月22)で紹介されている(https://www.kosuke-ogawa.com/?eid=4544#sequel&gsc.tab=0)。
講義を担当する教師としてうれしかったのは、吉田社長が佐俣君のレポートを選んでくれた理由のひとつに、進行中の新作企画(細田作品のミュージカル化)があったことを後になって知ったからだった。吉田社長たちは、アニメ作品のミュージカル化を狙っていたのである。ディズニー作品など海外ミュージカルの翻訳劇は、それ自体は素晴らしいのだが、いつまでも文化的に依存しすぎるのはいかがなものか。そんな風に四季を見ている日本人のファンも多いのではなかろうか。
前置きはここまでにして、「バケモノの子」の作品評について述べてみたい。
『CSは女子力で決まる!』の「第7幕 劇団四季」を執筆するため、創設者の浅利慶太さんの著作をたくさん読むことになった。7年ほど前のことである。正確な表現は忘れてしまったが、浅利さんのミュージカル観(世界観)は、彼のつぎの一言に象徴的に表れていた。
「ミュージカルを観たあと、自分たちがこの世に生まれてきてよかった。生きていることは素晴らしい。そう思える作品を上演するのが四季の存在意義」(原典が見当たらないので、表現はやや不正確かもしれない)。同様な説明を、後継者となった吉田社長は、インタビューで次のように述べている。
「(前略)それゆえ上演作品の選定が非常に重要になります。四季では、その作品が『人生を肯定するメッセージをもっているか』ということを大切にします。ご観劇の後、『人生は素晴らしい』『明日も前向きに生きていこう』と感じられる作品が、一番お客さまの心に強い印象を与えると思うのです」(「吉田智誉樹社長に聞く:劇団四季はなぜ、高い支持を得る作品を上演し続けられるのか」(『電通報』2015年5月24日)。
ミュージカルの鑑賞は、人生を肯定的にとらえる態度を促す。そうした四季流のミュージカル作品の選定基準からすると、「バケモノの子」は100%合格である。縦糸に、バケモノ(熊徹)と人間の子供(蓮)の絆を、横糸に、人間の子たちの成長と出自についての苦悩を織り込んで物語は展開する。多くの困難に直面しながら、バケモノの大人と人間の子供たちがともに成長していく様が、歌と踊りと演劇の舞台で表現されている。
最後のカタルシス(心的な浄化)は、激しい闘いが終わって和解の場面で現れる。原作を読んではいないが、細田アニメ作品が、四季のミュージカルでも上手に再現できているのではなかろうか?ブログ読者のために、あらすじを、劇団四季のパンフレット(「キミとなら強くなれる」)から抜粋しておくことにする。
「バケモノの子」は、四季のミュージカルとしては、かなりの長尺モノである。上演時間は、前半が70分。20分の休憩をはさんで、後半が75分。舞台は、3時間弱の長丁場になる。このステージの長さだと、観衆の集中力がやや緩んでしまうのかと思いきや、そんな懸念は杞憂だった。
4月30日が初演で、わたしたちが鑑賞したのが5月7日。昨日が、舞台のオープニングからで6日目だった。歌と踊りとセリフの間合いが、演者同士で少しだけかみ合っていないところも、気のせいかかいま見えたように思う。しかし、それはいずれ解消していくだろう。日本発のアニメコンテンツをベースにした四季のオリジナル演目が、ロングラン公演になることは間違いないと感じた。
もちろん、わたしの涙腺が何度も緩んで、いつものようにウルウルになったことを白状しておく。だから、四季の観劇は辞められない。最後にネタバレにならない程度に、パンフレットに掲載されている「あらすじ」を紹介しておく。
<ストーリー>(パンフレットから)
バケモノ界・渋天街(じゅうてんがい)に迷い込んだ一人ぼっちの少年・蓮(れん)は、乱暴者のバケモノ・熊徹(くまてつ)と出会い弟子となり「九太」と名づけられる。熊徹はバケモノ界を束ねる次期宗師(そうし)を、強さも品格もある宿敵・猪王山(いおうぜん)と争うことになり、九太と共にぶつかり合いながら修行を重ねる。
猪王山の息子で九太と同世代の一郎彦は、自分にはバケモノらしいキバが生えてこない悩みを抱えていた。バケモノと人間のあいだで「自分は何者か?」と揺れ動く九太。ある日偶然人間界に戻った九太は高校生の少女・楓と出会い、自身の生きる道を探し始める。やがて人間とバケモノ、二つの世界を巻き込んだ地軸を揺るがす大事件が巻き起こる。
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2 劇団四季:未来提案最優秀作品 2018.03.22
ビジネスイノベーター育成セミナー第6回講義課題
「劇団四季」未来提案の最優秀作品(佐俣和典氏)を掲載する。
「ビジネスイノベーター育成セミナー」第6講課題 佐俣和典
問1:日本が世界に向けて発信するコンテンツは何か?
現在日本は少子高齢化の真っただ中にあり、国内エンターテイメント市場のボリュームゾーンは確実に縮小する。その解決策としては、大きく2つが考えられる。一つは現在考えられているボリュームゾーンを高齢者側に移動させる対策で、もう一つは海外市場を狙う対策である。
今回の課題は、海外市場を狙うために有効なコンテンツを考察することである。
確かに昨今、日本文化的な事物は海外で評価を得てきている。この評価は今に始まったものではなく、ウキヨエ・ゲイシャ・フジヤマはかなり以前から人気があり、KABUKIの海外公演も人気を博していると言う。もちろん、これらはこれからも一定の支持を維持するだろうと思うが、これらを直接展開するのでは限界があると思う。
一方、訪日外国人の多くが目的とするようになってきたものに、日本のアニメや映画がある。特にアニメの舞台となったらしき地は“聖地”のような扱いであり、日本アニメは日本の特異的文化という認識が国内外に定着しつつある。ではアニメを、あるいはアニメを題材とした舞台を作ればよいか、となると、必ずしもそれだけでは足りないと思う。
日本のアニメが海外で受けているのは、①アニメだから、と②日本の風土や日本人のメンタリティーを上手に表現しているから、の2つの理由があると思う。①は、アニメだからこそ表現できる人物描写や現実にはあり得ない表現や場面つくりができることであり、②は人情の機微を演出するに当たって日本のアニメにはこの点に優れたノウハウの蓄積があることである。
しかし、それらアニメの根底にあるテーマや素材をよく見てみると、意外と古い題材の焼き直しであったりする。日本の古典文学や古典芸能で見てきたような世界を、時代背景を変えて再現して見せているのである。だからこそ、日本の伝統的な文化の匂いがエキゾチックに魅せるのであろう。だがそれだけではない。日本のアニメが表現しているものは外国人にとってのエキゾチシズムだけではなく、その根底に、万国人類共通な人情の機微を盛り込んでいる点も見逃せない。ここが、エキゾチシズムを感じながらも共感をもって鑑賞できる作品に仕上がっているツボなのではないだろうか。
そうであるならば、日本が世界に向ってエンターテイメントを発信するに当たって心得るべきは、「日本の古典に学ぶ」ではなかろうか。日本国内で高く評価されている蜷川シェークスピアもディズニーも、あちらの古典を土台としている。
現在日本国政府はクールジャパンを唱えて日本の文化的事物を海外に輸出しようと躍起になっているが、どうもイマイチ成功していない。その原因の一つは、発信すべき土台が定まっていないからではなかろうか。日本には古来からの舞台芸術(能や文学、歌舞伎など)において素晴らしい題材となるコンテンツが存在し、古典文学においても(例えば源氏物語など)優れた作品が存在している。これらの題材を現代風に再設定して、エンターテイメントステージとして上演しては如何であろうか。「四季版・源氏物語」など、興味が持たれる。


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