【新刊紹介】酒井麻衣子著(2025)『顧客視点のサービス・リレーションシップ』千倉書房(★★★★★)

 愛弟子の元院生が著わした分厚い研究書(300頁超)を、2日前に読了した。本書は、中央大学商学部の酒井麻衣子准教授の初めての単著である。法政大学で博士号を取得したばかりの酒井さんに、「ドクター論文をまとめて書籍化しておいた方がいいよ」とアドバスしたのが2009年だった。そこから16年が経過していた。  
 
 9月1日、一通の電子メールが酒井さんから届いた。最後の連絡は今年の4月ごろで、わたしが『ローソン』を出版したばかりの直後だった気がする。  

小川先生
いつも大変お世話になっております。中央大学の酒井です。
さて、このたびは、ぜひ小川先生にご面会のお時間をいただきたく、
ご連絡いたしました。
実はこの10月初旬に、初めての学術書の単著を上梓することとなりました。
タイトルは
『顧客視点のサービス・リレーションシップ
 -消費者心理に基づくサービス継続のマーケティング- 』
(千倉書房)です。
 https://www.amazon.co.jp//dp/4805113529
小川先生にご指導いただいた大学院時代の研究を含め、
その後の研究成果をほぼすべてまとめ、再構成したものとなります。
先生には以前、博士論文の書籍化をお勧めいただきながら、
プライベートの生活変化もあり、そのまま取り組めずにおりました。
(後略)

 律儀な性格の彼女は、卒業から16年を経てもわたしの言葉を忘れてはいなかったようだ。
 本書の内容は、最終章の「顧客との真のリレーションシップ構築に向けて」で要領よく整理されている。興味のある読者には、終章の第2節「課題と貢献」と第3節「今後の展望」を読んでから、序章に戻ることを推奨したい。なお、本書のもくじは、4日前の本ブログで紹介してある(【祝、お知らせ】酒井麻衣子著(2025)『顧客視点のサービス・リレーションシップ: 消費者心理に基づくサービス継続のマーケティング』千倉書房 | 小川先生 のウェブサイト)。
 どのような書籍であれ、その内容は表紙カバーのキャッチコピーなどから、ある程度は想像できるものである。本書で最初に目につく文字列は、「消費者心理に基づくサービス継続のマーケティング」(サブタイトル)と、「サービスを使い続ける”心のメカニズム”とは?」(帯のコピー)というフレーズである。
 そこから酒井さんが取り組もうとしている主たるテーマが、「サービスの継続利用」であることがわかる。サービスの利用を継続させる心のメカニズムを解明するために、著者が最初に取り組んだのが、サービス研究の概念とテーマの変遷について整理することだった(序章と第1部)。 

 本書には、ユニークな点が3つある。
 第一に、サービスを利用する消費者の意識と行動を解明するため、”縦断的に”サービス利用の有無(継続と離脱)を調べている点である。「縦断的」とは、同じサービス利用者に対して、複数時点で繰り返してデータを収集するという意味である。こうしたアプローチは、酒井さんの一連の研究を除いて、他のサービス研究にはほとんど見当たらない特徴である(第Ⅲ部と第Ⅴ部)。
 本書の「第Ⅰ部 サービス・リレーションシップとは?」を通読していただくとわかるが、サービスマーケティングの研究では、サービス利用者の意識・心理と継続意図を、自記入式のアンケート調査で収集している文献がほとんどである。
 実際の行動(継続か離脱か)を、一定の期間をおいてデータ収集している研究は、ほとんど見あたらない。利用者が回答した行動意図と実際の行動に乖離があるかどうかを確認するため、継続利用データを収集することが難しい理由は、①研究に取り組むリサーチャーは調査期間(3年から5年)が終わるまで、分析の開始を辛抱強く待つ必要があるからである。
 また、分析に当たっては、②利用者の経時データをつなぎ合わせて、ある種の「疑似パネルデータ」を作る必要がある。その後にデータを分析することになるが、その準備に大変な作業が必要になる。また、事前に分析枠組みをきちんと準備しておかないと、しばしば意味のある結果が得られないことになる。これは、分析者にとってはかなり大きなリスクになる。
 若手の研究者は、就職や昇進のために研究論文を量産しなければならない。論文の点数を増やすためには、複数の業種について一時点のデータを分析する方が効率的である。ところが、著者はあえて特定業者(理美容業界)について、複数時点のデータを収集することに時間と手間をかけている。そんなところに、酒井さんの辛抱強い研究姿勢と事前の用意周到さがよく表れている。

 本書で2番目にユニークな点は、サービスマーケティングに関係する概念の発展と研究蓄積を包括的にレビューしていることである(第Ⅰ部「サービスリレーションシップとは」を参照のこと)。
 日本人のサービス研究者としては、多摩大学の近藤隆雄教授が著名である。近藤先生が著わしたサービスのテキストや研究書の学会への貢献はとても大きい。その流れを汲んで、酒井さんは、1970年以降に出現した膨大なサービス研究の論文とその発展の歴史を、実に丁寧にバランスよくまとめている。
 日本のサービス研究者たちは、サービス固有の概念と研究テーマの発展プロセスをレビューすることをほとんどしてこなかった。それに対して、酒井さんは膨大な論文をレビューした上で、学術研究上で空白となっている「リレーショナル・ベネフィット」(第3章)と「スイッチングバリア」(第4章)をメインのテーマとして選ぶことにした。
 結果として、第Ⅱ部「サービス・リレーションシップの構成要素」では、スイッチングバリアの機能に着目した実証研究に取り組んでいる。サービスのベネフィットと顧客満足がロイヤルティに影響を与えるとき、スイッチングバリアが果たす媒介的な役割を解明することに成功している。
 
 著者の3番目の独自な視点は、第Ⅳ部「これからのサービス・リレーションシップ」のチャレンジに表れている。
 企業視点のマーケティングでは、企業と顧客との関係性は、①新規顧客の獲得と②既存顧客の維持、そして③顧客育成の3段階で発展してきた。著者は、フィットネスクラブの利用データを経時的に分析して、新たに④「顧客支援」という概念を提示している。
 マーケティングの歴史は、実体のある製品(タンジブルな財)のマーケティングからスタートした。そのため、長い間、①顧客獲得と②顧客維持の2つの概念で、顧客マーケティングの成否を語ることができた。しかし、2000年代中盤に「サービス・ドミナント・ロジック(Vargoら)」が登場して、マーケティング研究の中心で大きな地殻変動が起こった。
 サービス財の場合は、企業と顧客が実体のないサービス(インタンジブルな財)を共同生産するプロセスを含むことが明らかにされたからである。企業と顧客の両者が協力して「共創価値」を生み出すプロセスを含むことが、サービスマーケティンの新しいパラダイムになった。そして、その余波はマーケティング全般にも及ぶようになった。
 第Ⅳ部のデータ分析は、こうしたパラダイムチェンジを超えたところを目指しているようにも見える。著者の挑戦は始まったばかりである。
 
 最後に、著者が第Ⅳ部で取り上げている枠組み(顧客育成)についてコメントして、新刊書の紹介を終わりにしたい。ここから先は、やや辛口なコメントが続くことになるが、ご容赦いただきたい。
 サービスマーケティングの焦点は、当初は企業と顧客の関係性に当てられていた。Fiskらが提案した顧客(ベネフィット)と企業活動(7P:マーケティング手段)の「相互作用モデル」(インタラクションがサービスの本質である!)からスタートしている。
 第Ⅳ部で著者が取り上げている「目標の充足モデル」(評者の解釈)では、そこからさらに進んで社会的なベネフィット(健康の維持・向上)を達成することが目標に設定されている。そこでは、特定企業のマーケティング活動(例:フィットネス企業のマーケティング努力)の役割は、生活者が自らの目標を充足のためには、部分的にしか貢献できないというスタンスを取っている。
 生活者個人の健康の維持と向上(ベネフィットの充足)は、社会的な環境やその他の企業組織の活動にも依存する。こうした世界観を、筆者は「顧客エコシステム」と呼んでいる。したがって、モデル分析者としては、生活者の意識と行動について、例えば、健康という目標を達成するための日々の活動全般をモデル化する必要が出てくる。
 こうした枠組みを採用することは、極めてチャレンジングな仕事になる。評者は、分析者の負荷が相当に大きくなるという懸念を抱くものである。実際に、筆者の分析(第9章「顧客支援における消費者の「目標」把握」)でも、解釈の面白さはあるものの、①全体の構造を把握することがかなりむずかしくなる(もっとシンプルに!)と、②マネジメントに対する示唆が明確ではない点(仮説的な命題を絞り込む!)が気になって仕方がなかった。

 最後はやや辛口のコメントになってしまったが、サービスの研究書として本書の学会への貢献は極めて大きいと感じる。法政の大学院で研究者としてスタートした20年前に、酒井さんは消費者行動分野の若手研究者として数々の学会賞を受賞している。
 本書の上梓をきっかけに、今後はさらに精進を続けて、学会を牽引していく中心的な存在になってほしいと思う。それが、かつての師匠の希望であり、心からの願望である。それにしても、長い間、研究を続けてきて今回の金字塔。本当にご苦労様でした。
 
  

 
 
 

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