【書評】 河合雅司(2017)『未来の年表:人口減少日本でこれから起こること』講談社現代新書(★★★)

 帰りの電車で、河合雅司氏のベストセラー本を読みました。43万部も売れているようですが、産経新聞論説委員が書いた割りには内容がやや薄めの本でした。日本の未来予想図を、人口減少という視点から読み解いています。基本的なデータは、公的機関が発表している人口統計でした。

 

 各章で紹介されている重要指標の時系列推移(参照グラフ)などは、前提条件を変えてシミュレーションを実行している気配がないのが残念でした。「10の処方箋」という提案の背後に、独自の枠組みがあるわけでもないようです。センセーショナルな話題(人口減少社会の行く末)を、検証なしで議論している本でした。
 206ページの新書版を、ところどころ読み飛ばしながら1時間で読了しました。わたしとしてはめずらしく、この本の評価は、「★3」です。ふつう星が3つ以下のときは、筆者に失礼になるので書評を公表しないようにしています。そうなのですが、今回はテーマそのものはとてもおもしろかったので、わたしの思うところを述べてみることにしました。
 第1部「人口減少カレンダー」(年表:2017~2115)の数値予測は、シミュレーションの前提がまちがっている可能性があります。常識的に考えて、こんなに急激に人間の数は減らないはずです。というのは、人口減少社会の未来がわかっているので、長期的に人口動態を支配しているパラメータ、たとえば婚姻数や出生率に変化が起こるからです。
 その部分について、筆者が深く思考を積み重ねているとは思えないので、結論が「言いっぱなし」になっています。ふつうの人間だったら、事前にいろいろと対策を考えることが明らかだからです。年表の通りには、物事は進行しないだろうと想像がつきます。
 ここで、未来の年表を細かく分析することはやめておきます。ただし、外れそうな仮説をいくつか指摘します。
 
 #1:「2022年、ひとりぐらし社会が本格化しはじめる」
 思うのですが、20世紀後半の日本は歴史的に異常だったのです。戦後の人口爆発は、地方から大都市への人口移動と、大家族の分裂を促しました。地価の高騰と個人主義の台頭が、核家族を生んだわけです。しかし、このトレンドは、2020年ごろから逆に戻る可能性があります。
 筆者が指摘するように、都市部でも2022年ごろから地価の高騰は沈静化します。そうなれば、核家族で住む必要がなくなります。空き家がたくさんあるわけですから、みんなが助け合って共同居住をすればいいだけです。寄り合い所帯は、子育てや介護にプラスに作用します。
 実のところ、われわれ(ホモサピエンス)がここまで地球上で勢力を伸ばすことができたのは、一夫一婦制に加えて、社会的な「共同の子育てシステム」を着想した結果です。そのことで、社会的な群れとしての「多産」が維持できたからです(4人で10人を生み育てる)。つまり、おばあちゃんが閉経後も一緒に子育てに参画できる社会を築いてきたからです。いま求められているのは、地域ぐるみで(近所のおじさん・おばさんが)、両親や祖父母と一緒に子供を育てる美風の復活です。
 
 #2:「2040年、全国の自治体の半数が消滅の危機に晒される」
 これも、たぶん起こらないと思います。そのヒント(根拠)は、河合さんが第2部で述べている「4・都道府県を飛び火合併」と「9・セカンド市民制度を創設」にあります。「飛び地合併」も「セカンド市民」も荒唐無稽な発想です。市民になんのメリットももたらさないからです。
 しかし、消費する場所を地方に求めるシニアが多くなることはありえます。ふるさと納税の繁盛をみても、実際にいまはそうなっています。社会制度として「二重県籍(東京都と秋田県民)」ではなく、東京都民が秋田県に観光や飲食で金を落とせば、秋田県は消滅しないのです。消費があるところにビジネスが生まれ、過疎になりそうな地域が復活して存続はできます。
 外国人がなぜ日本観光にくるのか?最初は、近代都市と歴史的な建造物に群がりますが、最終的には、美しい風景と美味しい食事とホスピタリティを求めるのです。いわんや日本人をおやです。筆者の指摘でおもしろいのは、75歳以上で高齢者を定義しなせでした。この着想はおもしろいですが、再定義されたシニアは、いまも日本中を動き回っています。
 「高齢者」という概念そのものがなくなります。シニアといっても、「病気の人」と「健康の人」に分かれるだけです。90歳になっても元気な、故人となられた日野原先生のようなモデルがあります。
 
 その他、未来の年表について、言い足りないことがあります。第一部への訴求はここまでにしておきますが、年表の中で指摘しておきたい、もしすると大きなまちがいになる可能性がある部分が3カ所ほどあります。
 「2030年、IT技術者不足」と「2033年、インフラ維持管理コスト」です。「2050年、世界的な食糧争奪戦に巻き込まれる」は、完全なシナリオの予測ミスを犯しています。河合さんは、ビジネス社会における働く人間のモチベーションや、企業のイノベーション力について理解が浅いのではないかと疑います。
 
 第2部「日本を救う10の処方箋」のうち、約半分は機能しない絵空事ではないでしょうか?河合氏の本の警鐘に意味はあると思いますが、展開されている結論に、わたしはかなりの違和感を覚えました。
 とりわけ思想的に極端なのは、産経新聞らしく、「移民の受け入れ」に暗黙の反対を表明していることです。外国人による犯罪の多発や行儀の悪さを根拠に、海外移民を人口予測のシナリオから締め出しています。これは、1500年に及ぶ日本の移民史についての正しい認識ではありません。
 ユーラシア大陸の吹き溜まりの日本は、長い間、海外から移民を受け入れてきました。海を渡ってきた「外来種」との人種間交雑によって、日本は新しい血と技術を導入できました。イノベーションの源泉は、強制労働者や不法移民だったわけです。古くは、奈良・平安時代、中国から仏教思想と一緒に、野菜の種や新しい技能を受け入れています。
 第二次大戦の直前は、主として韓国からの移民が定着しました。歴史的な原罪を指弾するひともいますが(個人的な見解はまた別です)、現実的に彼らは優秀な人材でした。混血と折衷文化を基礎にして、日本は経済社会を維持成長させてきたのです。
 自分たちの周りを見ると、どこからきたかわからない顔立ちの混血だらけではないでしょうか。秋田県生まれのわたしは、対岸から渡ってきた白系ロシア人の末裔かもしれません。あるいは、ポリネシアの島から筏で漂着した「外人」のなれの果てかもしれないのです。純粋な日本人?それはありえない偏見です。
 というわけで、この本の最大の欠陥は、移民の受け入れと人種間の文化交流とその定着を疎外していることです。
 物語の結末は、移民政策にかかっているとわたしは思います。日本人だけで、日本の未来をデザインすることを放棄すべきときです。世界に出ていった日本人は、その国にうまく同化しています。欧州でも、たとえば東欧諸国からの移民についても事態は似たようなものです。
 2020年から日本に移り住むことになる「静かな移民たち」は、日本の未来に大きく貢献できるはずです。日本の社会や文化を支えているのは、「日本人」という人種ではありません。わたしたちを包み込んで、日本人を育くんできた「自然環境」だと思います。
 豊かで美しい自然と美味しい農産物、そして種間交雑によって混血を続けてきた「わが先祖たち」が築いてきた食文化と伝統工芸。そうした技術・技能こそが、この国のアイデンティティではないでしょうか。未来の正しい人口シナリオは、この前提をもって予測すべきだと考えます。