著者は、農水省の元官僚。多くのFTA(自由貿易交渉)に携わってきた。その経験から書かれた提言の書である。日本がTPP(環太平洋連携協定)への参加を表明した直後の刊行である。自由貿易の推進が、食の安全や食糧の安定供給には必ずしもプラスに働かないという主張である。
農業関係者(JA全中)や保守政治家(自民党議員)、役人(農水省)たちの一部には、自らの利害関係からTPPを批判する勢力がある。しかし、著者の主張は、そのような政治的な利害とは一線を画している。長期的な日本国の利害(食の安定供給と安全性を守るため)から、「調整された国際貿易協定」を推奨している。
具体的な提案は、最終章(第6章:日本の進むべき道、「強い農業」を考える)に書かれている一節にある。
「(図表は、)日本における補填米価を一俵(60KG)1万2000円程度に設定し、日本の財政負担額が現在と同じ4000億円に収まるには、日本のコメ関税率をどこまで引き下げられるかを試算したものである。その結果、日本のコメ関税率は、現状の778%から186%程度まで引き下げられることを示した。」
この前提は、長期の食料不足に備えて、農業政策面で自由貿易に例外を認めること。つまり、基幹作物に関しては「妥当な水準の関税」を維持することである。そして、「東アジア緊急米備蓄構想」のプロジェクトを提案している(P.193-201)。
農産物(とくにコメ)の関税の廃棄は、究極的には、(モンサントなどによる)種子と食糧の供給独占を容認することである。米国農業の利害とその背後でうごめいている大資本の経済的な策略に乗ることにある。したがって、妥当な水準(150~200%程度)の関税率は維持すべきである。
そのように主張する理由が、第2章から第5章まで、統計データと事実に基づいて書かれている。
第2章「食の安全を確保せよ」では、雪印乳業(食中毒事件)やBSE(狂牛病)による米国産牛肉の輸入禁止措置を例に挙げて、企業の論理では、食の安全性が確保できないことが示されている。GMO(遺伝子組み換え作物)やBST(牛成長モルモン)、硝酸態窒素や残留農薬などによる健康・環境への影響は、科学的にはまだ「白」だとは証明がなされていない。
GMOやBSTなど、安全性についてはむしろ疑わしいという科学的な証拠が存在している。にも関わらず、あたかも安全であるかのように容認されているのは、米国社会が産・官・学の間でエリート人材が、「回転ドア」を通して移動するからである。大資本の利害が通りやすい構造になっているとの説明は、とても説得的である。
第3章「食の戦争Ⅰ:モンサント発、遺伝子組み換え作物戦争」では、米国の種子会社モンサントが、GMO(遺伝子組み換え作物)で、ほぼ種子を独占している事態が統計数値で示されている。世界の穀物市場(2012年、栽培面積比率)で、GMO比率は、大豆で47%、コーンで32%。食べ物ではないが、綿花はほぼGMOである。とくに、米国では、この三品目の約90%がGMOの大豆、コーン、綿花である(データの整合性にやや?がつくが)。
そもそも、世界的に見たときに、日本で非GMOを作っても、海外から輸入すれば、GMOを食べざるを得ない。当然のことである。しかも、GMO市場のほぼ30%は、モンサント一社の「ラウンドアップ種子」(除草剤で枯れない種子)で占められている。独禁法を生んだ米国で、なぜこのような種子の独占が許されているのか。
この疑問に対する解答は、米国社会でふつうに見られる「回転ドア」の社会構造にある。規制や認可を行う側(官僚、FDA)が、許認可を求める穀物メジャーや農薬会社の幹部社員(産業)となり、いつしかその証拠を科学的に実験する側(大学)に入ってぐるぐる回る。このトライアングルの回転ドアのシャットアウトしないと、われわれ人類の健康と安全が保証できない。
第4章「食の戦争Ⅱ:TPPと食」は、TPPを経済学的に分析した章である。完全な自由貿易によって勝ち組になれるのは、人口のわずか1%の富裕層(企業収益の恩恵を受ける人々)である。残りの99%は、TPPからはたいした恩恵を受けない。それどころか、食の戦争の犠牲者になる可能性がある。
食料自給率(カロリーベース)で39%の日本は、すでに十分に市場が開放されている。これ以上の解放は、国土の多面的な機能を失わせるだけである。国土保全機能、生物多様性保全機能、景観保全機能などの機能が、農産品の完全開放によって破壊される。たしかにそうだろう。まともに生産性だけを軸に米国やオーストラリアと戦ったら、農業の生産性で日本は勝てるわけがない。
農産物の輸出奨励のために、ゼロ関税や非関税障壁の撤廃を謳うのは、本末転倒だろう。国家としての目的は、食の安全と安定供給である。干ばつや飢餓状態になったらどうするのか? いまや地球温暖化で、これは夢物語ではない!
第5章「アメリカの攻撃的食戦略」では、まず、「日本の農業は過保護である」という通説がデータで否定される。噂では聞いていたが、最初に示された「図表5-1 各国の農業保護比較」は衝撃的であった。農業生産額(B)に対する農業予算(C)の比率(C/B)の各国データである。
興味深いので、具体的な数値を示す。まず、食料自給率が高い欧米の主要国では、アメリカ(55.3%)、イギリス(78.0%)、ドイツ(74.2%)、フランス(42.0%)。農業保護政策が強い韓国が66.2%であるのに、なんと日本は27.8%である。
GDP(A)に対する農業生産額(B)の比率(B/A)は、欧米も日韓もたいして差がない。農業生産額のGDP比率は、どの国も、最低の0.6%(イギリス)~最大の2.3%(韓国)の範囲に収まっている。日本(1.4%)と米国(1.1%)とでは、たいして差がない。それなのに、農業予算の比率では、日本は世界の最低水準にある。
これは通説とちがっているのである。日本の農業は、一般に信じられている常識とは異なり、過保護にはなっていない。それどころか、すでに農産品の関税率は、米国(5.5%)についで世界的に見ても最低水準(11.7%)にある。
なぜそのように、「日本の農業は過保護だ!」とわれわれが信じてしまっているのか? それは、世界の農業生産者と比較して、日本の農家が多額の直接支払を受けていないことを知らないからだろう。
食料自給率が高いフランスやスイスでは、農業所得に占める政府支払いが、90%を超えている(フランス90.2%、スイス94.5%、イギリス95.2%)。そして、日本を農産物のターゲットとしている米国の農業部門は、政府から農業所得の26.4%を受け取っている。それなのに、日本の農家は、政府から15.6%しか直接の補助金を受け取っていないのである。
つまり、関税を完全に取り払って(ゼロにして)、農産物品の国際競争を促進すると言いながら、米国は農業保護をやめる気配はないのである。これを、日本政府が直接支払を増やすことで解決しようとすると、約1兆6千億円の追加的な補助金が必要になる。どう考えても、著者が主張するように、150~200%程度で関税を維持する方が得策である。
以上、4章分をやや詳しく解説してきたが、著者の主張を一言でいえば、「強い農業を作る政策が間違えている。関税撤廃による自由貿易推進ばかりが唯一の道ではない」となる。代替的な方法が他にもあり。現状では、TPPの推進は、米国農業の利害と食料戦争に貢献するだけで、日本の食の未来を危うくする。
個人的にも、筆者の主張に賛同したい。わたし自身は、学生時代からいまにいたるまで、「新古典派経済学」を学んできた研究者である。基本的には、自由競争擁護者・自由貿易推進派であるが、農業問題に関する限り、例外的な立場をとるようになった。
マクドナルド本を書いて以後、自然環境と農業問題に関して、わたしは思想的に「転向した」と思っている。政府の広報活動に踊らされている「農業近代化論」にも、納得がいかない面が多いと感じている。それとは別の道が必要だと思うようになった。
本書には書かれていないが、農業部門への新規就業者の支援、慣行農法から自然農法への転換、農産物加工業への経営支援、農業生産技術の改善やIT活用など、自由貿易の促進とは異なる政策が必要であろう。