【新刊紹介】 電通 美術回廊編(2019)『アート・イン・ビジネス: ビジネスに効くアートの力』有斐閣(★★★★)

 編者の表記をまちがえてしまった。正しくは「美術回路」である。偶然に起こってしまった錯覚は、美術品を展示する場所(画廊)の連想から来ている。ビジネスの枠組みに「アート」を持ち込むのがとても難しいことが、本書を読み終えて改めて理解できた。

 
 キーワードは、4つのアートパワー(問題提起力/想像力/実践力/共創力)と4つの「アート効果」(ブランディング/イノベーション/組織活性化/ヴィジョン構想力)である。タイトルのアート・イン・ビジネスとは、著者らによると、ビジネスにアートを取り入れることである。アートパワーとは、アートがビジネスに及ぼす影響の源泉のことで、ビジネスのパフォーマンスに及ぼす結果が、アート効果である。
 
 本書の中では、アートの定義がやや曖昧である。”Art”と英語で表記すれば、日本語では「芸術」の意味になる。芸術の定義は、「表現者あるいは表現物と鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」のことを指す(Wiki)。さらに、芸術を大きく表現の手段で分類すれば、文芸(言語)、美術(造形)、音楽(音響)、演劇・映画(総合芸術)などからなる。本書が対象にしているアートは、主として現代アート(美術:絵画や彫刻、インスタレーションや建築物など人工造形物)のことだとわかる。
 その他のアート作品とはちがって、「現代アート」には特有の”VUCA””(以下の頭文字)という特性がある。現代美術の作品には、Volatility(不安定性)、Uncertainty(不確実性)、Complexty(複雑性)、Ambiguity(曖昧さ)という4つのユニークな特性があるので、鑑賞者には解釈の余地(自由度)が残される。これを筆者らは、芸術家が鑑賞者に投げた「余白」と呼んでいる。
 アートの対する鑑賞者の心理的なプロセスは、消費者行動論でモデル化されたように、必ずしも構造化されてこなかった。作用もあいまいである。したがって、アートの効果分析はむずかしいと考えられる。しかも、本書でも指摘されているように、効果は長期的にしか判定できない。それでも、アートがビジネスにプラスに作用することはまちがいない。効果測定は困難だと思われているが、著者らはそれに敢えてチャレンジしている。
   
 本書は、2部構成になっている。第1部(「アート・イン・ビジネスとは何か?」)では、4つのアート効果のそれぞれについて、アートでビジネスが変わった具体的な事例を紹介している。取り上げた事例は、ブランディング効果(寺田倉庫)、イノベーション創出効果(ヤマハ)、組織活性化効果(マネックス証券とアクセンチュア)、ヴィジョン構想力への効果(スマイルズ:Soup Stock Tokyo)である。
 結論から言うと、アートのビジネスへの影響力は、かなり属人的であり限定的である。誤解を恐れずに言えば、アートによって企業のヴィジョンや組織が活性化されるというよりは、アートの感性を受け入れてる若手社員が集合すれば、とんがったアイデアが生まれやすくなる。組織はしなやかになり、お互いに奇抜な着想を伝えあうことができる。アートがよい効果をもたらす要因ではなく、触媒のようなものなのだろうと想像がつく。
 第一部でもっとも興味深かったのは、第6章「アート・イン・ビジネスの時代」だった。戦前の大原美術館や資生堂ギャラリー、戦後のセゾン美術館やPARCOの存在、海外のファッションブランド(ルイ・ヴィトンやヒューゴボス)が与えたアート効果についての時代的な考察はよくまとまっている。
  
 後半の第2部(「アート・イン・ビジネスの理論的背景と実践法)では、戦後日本におけるモダンアートの歴史的な考察(第7章)と量的調査(第8章)、定性調査(第9章)と続く。第9章では、浅野裕子さんという「チケットぴあ」の社員(実在する?)をモデルに、①問題意識を持つ、②アートと出会う、③アートと深いかかわりを持つ、④構想とテーマを選定する、⑤資源の棚卸しと関係者との調整をする、⑥実践するまでを、アートの「受容プロセスモデル」に落とし込んでいる。
 アートと関わっている会社を、それぞれのフェーズで事例としてとりあげている。わたしの知り合いの経営者としては、ストライプインターナショナルや戸田建設などが登場している。これらは、全社的な取り組みというよりは、かつての資生堂の福原家や堤清二氏のように個人的な関与によるものに見える。
 アートのビジネスへの関与は、この辺が最大の課題だろう。アートとビジネスの関係は、王侯貴族や金持ちがパトロンだったファッションブランド誕生の痕跡を残している。
 
 なお、本書の限界は、アートの概念を狭く定義したことではないかと感じる。企業が関与するメセナ的な活動分野として、スポーツ協賛や音楽や演劇などの支援など幅は広いはずである。たとえば、劇団四季のスポンサーには、JR東日本や電通など、名だたる企業が名を連ねている。COCO壱番の創業者やサントリーがホール事業を展開していることが知られている。
 それゆえ、芸術の枠組みを考えるときは、モダンアートに分野を限定する必要がない。その他の企業活動と対比することで、本書の内容や枠組みをもっと豊かなものにできるように思う。評者は、最初から最後まで、美術(=精神的な作用)と対極にあるスポーツ(身体的な作用)の企業活動への貢献がどこにあるのか考えて本書を読み進んでいた。
 音楽や演劇も、スポーツに類した身体的な作用特性をもった芸術である。これらは、美術とスポーツとの中間的な位置にある。企業活動の中でスポーツが持つポジションを、本書のテーマである現代アートと対比させることで、もっと深みのある枠組みが完成できたのではないだろうか? 
 本書は、学部ゼミの春合宿テキスト(@つくば)に指定してある。休み中に本書を読んでくる学生たちに、つぎのような宿題を事前にリクエストしておきたい。
 
1.自分の担当部分に登場する「企業のケース」をきちんと調べてくること
 ①自分なりにネット検索や書籍を参考に事例を整理しておくこと、
 ②企業の広報部にコンタクトをとって、アートに関する取り組みの事実を確認してくること。
2.本書の枠組みで、自分のアート体験をケース(浅野さんの事例)にまとめてくること。