「毎日通いたくなる食品スーパー」(本書のタイトル)って本当にあるのだろうか?はい、たしかに存在しています。しかも、簡単には行けそうにないほど不便な場所に。青梅線の羽村駅前にある「福島屋」さん。わたしも最初に行って驚いた。そして、二度目は社長の話を聞いてさらに驚愕した。
その福島屋さんが、今度は地価がめちゃくちゃ高そうな、六本木一丁目(六本木ヒルズ)に出店してしまった。これもびっくりだった。東京西郊外の田舎町でドミナント出店の食品スーパー。ドミナントとは言っても、スーパーとして最少店舗数の5店舗だけ。
店のある場所は、羽村、立川、大崎。その他に、業務スーパーを本店の隣りに開いている。羽村にはそのほかに、レストラン(業態の異なる二店舗)、ケーキ屋とガーデンセンター(花屋)などを手広く経営している。
そして、田舎の食品スーパーをやっていた福島徹さんが、満を持して都心に進出してきた。それも、三鷹や吉祥寺ではない。一挙に六本木への出店である。商売として、一体全体成り立つものなのだろうか?
答えは、明日。八丁堀の歯医者さんで検診を受けた後に、六本木の店を見学するつもりでいる。
福島さんは、わたしと同年代の経営者(昭和26年生まれ)。友人の徳江さんもわたしたちと同じ年(うさぎ)である。三人とも風貌も性格も違っている。
福島さんは、本の帯の写真から想像できるように、「ロックミュージシャン」である。ちなみに、先日お会いして奥様は、年齢的にはわれわれの世代に属するはずだが、バンドのボーカルが務まりそうな「美形」である(ほめすぎかもしれない?)。徳江さんは、体がでかいので戦国時代の武将(野武士)である。ルーツは熊本だから、もしかすると先祖は西郷隆盛かもしれない。
わたしは、、、やめておこう。単なる「うさぎ犬」だから。二人に比べると、これといった特徴がない。お金が好きな風変わりな教授さんだ(YMOのリーダーではない!ぞ)。冗談はこのくらいにしておこう。
まじめに。食品スーパーの戦後史は、「米国型のチェーンストアオペレーション」の日本への移植プロセスそのものである。例外はない。いや例外はなかった。ヤオコーさんが、1995年ごろから開発してきたモデルが、唯一、セルサービスフォーマットから逸脱した業態(フォーマット)だったといえる。しかし、そのヤオコーでさえ、基本は多店舗展開である。購買部門と販売部門は分離している。チェーンストア理論から逸脱していたわけではない。
ところが、福島屋の商売は、以下の3つの点(細かくは7点)で、最初から米国型のチェーン小売業とは遠い業態である。伝統的な「食品スーパー」とは似て非なるフォーマットを作ったと言っていいだろう。店頭づくりとしては類例になる、米国テキサス州の「ホールフーズ・マーケット」ともちがっている。
<組織・業態>
1 多店舗で展開しない
店数を限って、ゆっくり成長する。売り上げを追わない。ただし、利益はきっちり確保する。
2 製造小売り型のスーパー
仕入れる商品は、産地に出向いて生産者と会話して直接仕入れる。もちろん、市場から仕入れる場合でも商品は内容物から吟味する
<マーケティング>
3 価格訴求はしない
生産者起点のニーズ開発により顧客価値を提供する。説明説得型の商品提案企業だから、ディスカウントはしない。
4 チラシをまかない
スーパーの集客手段で一番大切なのは、商圏にチラシをばらまくことである。とりわけ、目玉商品で来客を促すのだが、福島屋は安売りをしないからチラシはいらない。
5 POPによる商品紹介
チラシをまかない代わりに、店内にはやたらとPOPの文字が目立つ。来店してくれた顧客には、商品の食べ方を徹底的に伝えようとする。
<従業員・顧客との関係性>
6 講座ビジネス
だからではないが、消費者が商品そのものや食べ方を学ぶ場がある。講師は、売り場を担当するバイヤーが担当する。消費者が講師を務めることがある。
7 顧客参加型の仕入れ
顧客である主婦やパートさんが仕入れに加わることがある。また、商品開発や陳列や棚作りにも参加する。いまでいう「顧客と企業の価値共創」である。
この7点を、具体的に、創業からの苦難の歴史を解説しながら説明している。決して損をする商売はしないが、浮いた利益も追わない。それが、福島社長の経営の特徴である。強みでもあるのだが、すこしばかり弱みでもある。
福島社長の経営知識は、自社ではなく、同業他社の救済や指導に生かされている。わたしが、有機農業の久松さんに期待するのと同じ方向である。VC(ボランタリーチェーン)型の講座ビジネスに、福島さんは将来を見ているように思う。ガンバって欲しい経営者のひとりだ。