【書評】 嶋浩一郎・松井剛(2017)『欲望する「ことば」:「社会記号」とマーケティング』集英社新書(★★★★)

 著者の松井剛さんから年初にいただいて、机の上に「積んどく状態」になっていた書籍。学生の課題図書にも指定していたが、ホノルルマラソンの帰りの便でようやく読むことができた。予想通りにおもしろかった。実務家と研究者が連携して、ひとつのテーマ(社会記号の伝搬)に取り組んだ力作。

 

 「社会記号」とは、実務家の嶋さんが命名したマーケティングの概念で、社会的なトレンドを表す「記号」のこと。わたしの解釈では、時代の流れを明確に切り取った「時代的に優位になったコンセプト」。松井剛さん(一橋大学の社会学者でマーケティング研究者)が、15年間にわたって地道に研究対象としてきた「言葉として表出された流行」のこと。たとえば、癒し、女子(力)、草食系男子、加齢臭などのスティグマなど。

 マーケティングクリエーターの嶋さんが、どのようにして社会記号が、その時代の知識の中心に位置することができるようになるかを解説している。それに対して、アカデミシャンの松井さんは、社会学とマーケティングの理論をベースに、社会記号の普及プロセスと変容性に理論的な光(サーチライト)を当てて説明する。

 本書では、このロジック(松井さん担当)と実務的な仕掛け(嶋さん担当)を、1章ごとに筆をリレーしながら、全体としては、社会記号が一般化する論理と条件を論じている。

 

 各章のサブタイトルが、その章を内容をよく表している。

1 社会記号が持つ力(松井さん担当)

 ハリトシス、加齢臭、癒し、女子といった社会記号の普及現象を社会学的に基礎研究から解釈。松井さんの前著『ことばとマーケティング』や吉田秀雄記念財団の仕事でとりあげた、「社会記号の変容モデル」を提示している。

 

2 ことばと欲望の考察(嶋さん担当)

 社会記号の根底にある欲望(ニーズ)の実態、あるいは時代のニーズの解説。ニーズや欲望は、「文句」(いまの商品・サービスに対する不満や注文)、インサイト(洞察、透視)を発見できる観察者の違和感によって発見される。

 

3 社会記号の機能と種類(松井さん担当)

 社会記号が確立した暁にもたらされる8つの(言葉の)機能の紹介。言葉のちから(力)が、人々の社会現象の理解を促進させるというのが本章の結論。

 社会記号の8つの機能とは、①自己確認(あー自分はそんな存在だっただ)、②同化(わたしもなりたい、そのグループの一員だわ)、③寛容(まあ、しゃーないね)、④拒絶(そんなもの、そんなこと絶対に許せない)、⑤規範(その人ってこんなんだわね)、⑥課題(そりゃ問題だから、なんとかしないと)、⑦報道(その人たちってこんなんだよね、⑧市場(そいつらを対象に、こんな商品やサービスを作るか。

 

4 PRの現場から(嶋さん担当)、

 社会記号はブランドと強く結びついている。なので、強いブランドがないと社会記号は生まれにくい。また、社会記号が生まれるとトップブランドにフォーカスが当たる傾向がある。ユニクロとファストファッションのように、その結合は、消費者がめんどくさがりなことと、メディアが説明のためにわかりやすい対象(典型)を探す癖があるから。

 

5 その社会的な要請(松井さん担当)

 なぜ、人々が社会記号を生み出すかを先人の社会学者の理論的な枠組みで説明している。先人の知恵に依拠すること(巨人の肩に乗ること)を宣言しているのは、まじめな学者の姿勢として好感がもてる。

 この章でおもしろいのは、社会記号には、消費者行動論でいう「カテゴリー化理論」が当てはまるということ。ある社会現象やグループ、概念に名前を付けることで、新しいジャンル(カテゴリー)が生まれる。それがマーケティングのコンテンツ(ことば)として機能するようになる。脅威や行為喚起やラベリングを通じて。この辺りは、松井さんの「理論構築」はちょっと甘いぞ!

 

6 なぜ・誰が社会記号を作るのか(ふたりの対談)

 結論は、まだ顕在化していないが、強いニーズが根底にあるからこそ社会記号は生まれる。そして、ビジネスマンが社会記号を作る。この辺りは、市場創造型商品(MIP)で有名な梅澤伸嘉さんの「ニーズ理論」を彷彿とさせる。マーケティングのだいごみがここにある。

 

 本書に対するわたしの解釈とコメントをまとめると、以下のようになる。

1 ふたり合作の作品として、本書はとても成功している。バランスがよい。アカデミシャンとプラクティショナーが、うまくアイデアとコンテンツを共有しながら分業している。

2 社会学とマーケティング(消費者行動論)に依拠・それを引用しながら、社会記号の普及と変容という自説を説得的に読者に説明することに成功している。

 

 その反面で、二つの点でわたしには不満が残った。そのために、星を4つ(★★★★)だけにしました。

3 嶋さんへ: 強いニーズを発見するメカニズムと、それを商品やサービスに落とし込むプロセスについて、読者がマーケターならばもっと突っ込んで知りたく思うのではないのか。それがないと、単に「トレンドを一つの概念(社会記号)で解釈するだけ」のおもしろい本で終わってしまう。

4 松井さんへ: ことば(記号)とニーズ(欲望)の関係性について、新しいマーケティング理論の構築にまでもっていってほしい。期待が大きかっただけに、本当の実務家にとっては教養書を超えた指南書をとしては、やや失望感があるのでは?さらなる飛躍を期待します!