書評: 西尾チヅル・桑島健一・猿渡康文編著(2009)『マーケティング・経営戦略の数理』(朝倉書店)

 本書は、筑波大学ビジネススクール(ビジネス科学研究科)の現役教員と卒業生(MBA学生)による研究論文集である。朝倉書店が刊行しているシリーズ「ビジネスの数理」の7冊目にあたる。数理シリーズの第7作目は、マーケティングと経営戦略の分野の研究論文を編纂したものである。いくつかの論文は、在学時の指導教授と大学院生による共同執筆の形式をとっている。


筑波大学ビジネススクールの卒業生は、在学中も研究職に就いていた学生が多い。とくにマーケティングと経営戦略の分野では、卒業後に教授職に転じた院生が少なくない。本書の執筆者リストを見ると、修士論文の執筆後に教員として活躍している若手研究者が多数いることに気づく。

 米国のビジネススクールは、企業経営やマネジメントの専門家を育成することを目的に創られた制度である。日本では、社会人向けの修士課程が設置された直後に、博士課程が付置されるようになったため、研究志向が強い夜間ビジネススクールのいくつかは、大学教員や研究者を養成する役割を果たすようなった。昼間部の経営大学院から、経営学の研究者が生まれにくい現実があったからである。我田引水になるが、本書の執筆母体である筑波大学や、わが法政大学のビジネススクールは、1992年に設立された夜間の経営大学院である。同じ時期に創立されたのだが、未充足の「教員・研究職人材市場」に若手研究者を送り届けるという点で、これまでの両校の歩みはとても似ている。評者が、親近感を持って本書を読むことができた理由でもある。それでは、本題に移ろう。
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 本書は、4部から構成されている。全体で、12本の論文を含んでいる。第1部が「マーケティングマネジメント」、第2部は「マーケティングサイエンス」の論文集である。前半部分の6本が、マーケティング分野からの収録論文である。掲載誌が『マーケティングジャーナル』であることを考慮して、第3部「経営戦略と組織」と第4部「技術経営(MOT)」については、詳しい解説の対象外とすることにしたい。 第一部の3つの論文は、編著者たちの言葉を借りると、「ホリスティックマーケティング」を取り扱ったものである。第一部のタイトルは、「マーケティングマネジメント」である。
 最初の論文は、「消費者のエコロジー行動の構造:環境マーケティングの要件」(西尾チヅル、敬称略)である。コトラーとケラーの教科書の枠組み(2005)に依拠しながら、「ホリスティックマーケティングとは何か」を解説したあとで、消費者のエコロジー行動を、消費者調査(四街道市)から明らかにしようとしている。アンケート調査の対象項目は、市民のごみ削減やリサイクルの行動である。アンケートによって明らかにされたのは、(1)エコロジー関与がメディアによって高められること、(2)消費者のエコロジー行動を促進させるためには、コスト労力感を低減させ、ベネフィットを高め、エコロジー商品やプログラムへの受容性を高めることである。なお、準拠集団(周囲の人)の関与を高めることが、エコロジー行動を促すために不可欠であるとの知見は示唆的である。
 2番目の論文は、「スイッチング・コストと顧客の離脱行動:金融サービス業の分析」(戸谷圭子)である。リテール金融のマーケティングを扱った論文である。具体的には、金融機関(ある地方銀行)の顧客離脱行動を統計的に分析したものである。金融機関を変えてしまう誘引が、他社魅力(他社従業員の対応がよい)と自社不満(ミス・トラブルなど)の別に詳しく分析されている。おもしろい発見は、(1)他社サービスに魅力を感じたものの、結果的に離脱をしなかった顧客は、逆にロイヤルティが高まる(認知不協和理論による説明)、(2)以前お世話になったという心理的な「スイッチング・コスト」がロイヤルティ形成に正の影響を及ぼす(人的な信頼関係は重要である)、(3)どの銀行も同じようなもの(銀行のサービスに対する低関与状況)という要因は、IT化でサービス差別化が進めば消滅する可能性がある、などである。実にきちんとした統計分析がなされている。
 3番目の論文「地方銀行の効率性測定:DEAによる分析」(高橋智彦)は、第2章と同様に、リテール金融に関するマクロ分析である。地方銀行間の効率性を、包絡線(DEA)分析によって評価した論文である。第1部と第2部の中では、この論文だけがややマーケティングとは遠い存在との印象を受ける。
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 第2部「マーケティングサイエンス」は、筑波大学のビジネススクールらしい論文の集積である。理科系の大学院生が、マーケティングのどの分野に興味を示すのかがわかる。やや進んだ統計分析やモデル分析(マーケティング科学の基本的な手法)を用いて、消費者行動データを分析・解釈することで、マーケティングへの示唆を与えている。
 4番目の論文は、「動的売上反応モデルによる小売価格戦略の評価:状態空間モデルの適用」(佐藤忠彦、樋口知之)である。本論文は、「内的な参照価格」(値ごろ感)を店舗POSデータから推測しようという試みである。インスタント・コーヒーなど、合計7つのカテゴリーについて、週別のPOSデータ(価格と販売量)とエンド陳列の有無がインプットとされる。アウトプットは、(1)時系列的に変化していく「参照価格」の市場平均値と(2)価格に対するゲインとロスに対する消費者効用の反応値(パラメータ)である。参照価格を時系列的に推測するという試みは、とても野心的である。興味深かったのは、エンド陳列の有無が参照価格に影響している(7カテゴリー中、3カテゴリーにおいて)という発見である。比較モデルの工夫がこの結果を有益なものにしている。
 第5番目の論文は、「環境変化と店舗戦略:潜在クラスモデルの適用」(佐藤栄作)である。コンビ二エンスストアの販売データを用いて、主たる「買い物ニーズ別」に消費者グループを識別しようとしている。潜在クラスモデルを、買い物レシートデータに適用している。CVSでの買い物行動は、基本的には併売データ(バスケット分析)でわかるものだが、マーケティングモデルを用いて、食のオケージョン別にグルーピングをさらに明確にしたものである。朝食(グループ1)や夜間食(グループ2)など、食のシーン別に購買されている商品と購買者グループの関係がわかるところが発見である。
 第6番目の論文は、「広告コミュニケーション効果の測定:広告想起と店頭配荷の販売への影響」(竹内淑恵)である。一般的に、測定が難しいと言われている広告コミュニケーションの効果測定に真っ向から取り組んだ意欲的な試みである。この論文は、ふたつの点で画期的である。ひとつは、従来から理論的に主張されてきた「マス広告の店頭配荷への影響」を実証したことである。もうひとつは、広告の「プッシュ効果」(店頭配荷を通しての間接効果)と広告の「プル効果」(消費者への直接訴求効果)が、製品カテゴリーごとに異なることを実証したことである。お茶系飲料のほうが、実際に化粧品よりもプッシュ効果が大きかった。
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 最後に、本書の特徴を整理してみる。第7章以降(第3部と第4部)とやや傾向が異なるのは、マーケティング分野の論文では、店頭POSデータ(第4章~第6章)や広告想起データ(第6章)、アンケート調査(第1章~第3章)など、データ(数値化された事実)が論文のベースになっていることである。また、分析の手法としては、最新のもの(第3章~第6章)と手馴れた分析法(第1章、第2章)が用いられているが、これはできるだけ科学的にマーケティング事象を取り扱おうとする著者たちの姿勢を反映したものである。
 気をつけなければならないのは、扱いが難しい統計手法や複雑なマーケティングモデルを用いることが、本当に新しい発見につながっているのかどうかを疑ってみる態度である。科学に対するそうした自省が必要だと考えるのは、マーケティングの真実は、しばしばごく単純な(加工する前の)「生データ」でシンプルに語ることができることもあるからである。隠れた構造が見えない場合(第4章、第5章)や、因果関係が複雑に絡み合っている場合(第2章、第4章、第6章)に、それを解きほぐすためにこそ、統計手法やモデルは必要とされる。マーケティングモデルの諸手法は、物事をさらに複雑にするために存在しているのではないからである。
 本書の編著者にひとつだけ注文をつけるとすれば、わたしが書評で述べたような「簡単な要約」を、各論文の冒頭部分に付して欲しかったことである。案外と、物事の本質は単純なものである。文化系で理科的な知識を持っていない読者は、結論と分析のマーケティング的な意味づけを与えられてはじめて、内容まで踏み込んで論文を読み込んでみたいと思うものである。

評者:小川孔輔(法政大学経営大学院教授)            2009年11月23日