書籍紹介:神田正(2009)『熱烈中華食堂 日高屋』開発社(★★★★)

 日高屋の大宮オフィスで、1時間半のインタビューが終わった。午後3時。気持ちのよい取材だった。ラーメンチェーン「ハイデイ日高」の創業者、神田正会長から、東証一部上場(2006年)の後に執筆された著書をいただいた。書名の『熱烈中華食堂 日高屋』は、ご本人のお人柄そのものだ。

 神田会長さんからは、もうひとつ別の資料を手渡された。2008年12月20日発行の『週刊東洋経済』に掲載された雑誌記事である。見出しは、「駅前一等地に大増殖中・・・平成屋台「ハイデイ日高」」。この記事のタイトルが、ラーメンチェーンとして現在、首都圏に276店舗(2011年3月)を展開する同社のビジネスの本質を語っている。
 日高屋の成功の要因をひとつだけあげるとすれば、それは、家賃の高い駅前一等地に低価格のラーメン店を開業したことに尽きる。逆張りの発想から、「肥沃な立地」を発見したのである。午前11時の開店から朝方3~4時まで、長時間営業の「5毛作」で、月坪4~6万円(40坪の店で総額は200万円以上)の高い家賃を負担していく。
 回転率の高さがこの事業を支えている。普通の感覚では、なかなか怖くて投資ができない。そこにいたるまで、ご兄弟3人(ご本人・神田正、実弟・町田功、義弟・高橋均)が積み重ねてきた努力の記録が本書である。

 大宮からの帰り道、第3章「ラーメン道、まっしぐら」)を武蔵野線の電車の中で読んでいて、わたしはある頁の右上端に折りを入れた。あとで読み返してみたいと思ったからである。
 万年筆やマーカーだと本を汚してしまう。しばしば気になった部分には、紙縒りの代わりに三角の折り返しを入れておく。
 「あるとき、大宮駅近くを行くサラリーマンを何気なく見ていて、弁当の代わりに新聞や週刊誌を持って歩き始めたのに気づいたのです。時代の移り変わりがこんな風に現れるのです」(89頁)
 現在、大宮駅の一日の乗降客数は、約60万人である。東北新幹線、東北本線(宇都宮線)、京浜東北線など、大宮駅は郊外電車の主要ターミナル駅に変わっている。昭和50年代に、大宮駅を通っていくビジネスマンに「昼食ニーズ」が生まれたことを、神田会長はすばやく気づいたのである。
 それとほぼ同時期に、郊外の駅前から、ラーメンとおでんの屋台が消えていった。勤め帰りに手軽に一杯(1000円以下)のニーズを、屋台に代替する存在として日高屋を位置づけた。

 日高屋の基本モデルは、つぎのようなものである。ラーメン+餃子が中心メニューで、粗利の低いアルコールの販売比率が約16%。客単価700円弱、一日の来店客数が450人前後で日版約30万円。店舗当たり年商は約1億1千万円。長時間営業は、顧客とニーズが時間ごとにくるくる変わるのに対応しているからである。
 以下はわたしの推測である。最初のピークはランチタイム。標準店は30坪35席である。お昼どきに3回転、午後に定食目当ての学生客(1回転)、夕方は勤め人の夕食需要(3回転)、夜にかけては一杯やったあとのサラリーマンがラーメンを食べに来る(3回転)。深夜から朝方にかけては、水商売のお客さんで込み合う(3回転)。その他アイドルタイムがあるので、お店は全部で15~16回転する。高い家賃でも十分に引き合う費用構造になっている。
 高家賃のモデル以外に、長時間営業を可能にしているのは、人事労務管理である。長時間営業になると、働き手を確保することがむずかしくなる。ポイントは、従業員とパートさんの処遇である。経常利益で10%を超えたら、剰余分をパートさんにも配分する「決算賞与」の考え方である(同じ埼玉出身のヤオコーでは、4%を超えると決算賞与が出る)。
 ちなみに、ロードサイド店のラーメンチェーンである競合の「幸楽苑」とのもっとも大きなちがいは、家賃負担の比率と客の回転率に差があることである。ファミリー客を主体にした幸楽苑(全店禁煙)とは異なり、日高屋はサラリーマン向けのメニュー構成になっている。それは、駅前の屋台を代替してきた日高屋と、郊外のファミリーレストランから顧客を奪って成長してきた幸楽苑の違いでもある。

 最後に、日高屋は、首都圏だけでもまだ成長の機会が残されていることを指摘しておきたい。現在の約2倍の500店舗を、首都圏だけで出すことを目指している。それは十分に可能である。
 インタビューの最後に、神田さんから伺った興味深いお話を紹介したい。
 高家賃の駅前にあえて低価格のラーメン店を作ったのは、「ハンバーガーと牛丼チェーンが競合だと考えたから」だった。マクドナルドと吉野家が駅前の一等地(一階)に出店しているのに、ラーメン店は駅からやや離れた路地裏に店を出していた。
 ところが、ハンバーガーや牛丼を毎日食べると飽きてくる。「お客さんを観察していると、昨日、昼飯に牛丼を食べていた客が、今日はうちにやってきている」。よい立地ならば、ハンバーガー(セット価格380円)と牛丼(当時は380円)と同じか、それより安い値段を設定できたなら勝負ができると考えた。「なので、当時ラーメン一杯が480円だったのを、値段を390円に変えたのですよ」。
 そうして低価格を実現するために、自社工場(最初は大宮、現在は行田)による製麺と餃子の生産に乗り出した。セントラルキッチン方式で安定した食材を供給できないと、低価格は実現できない。他社が怖くてできない駅前立地とセットで、日高屋の必勝モデルが成り立っているのである。
 なお、首都圏には、マクドナルドが約800店舗、吉野家が約480店舗である。駅前ならば、松屋も約480店舗ほどを営業している。牛丼チェーンとハンバーガー店の隣りに、「コバンザメ」のように日高屋が出店すると、だいたいが成功している。ハンバーガー業界の市場規模は、ラーメン市場とほぼ同規模(約7000億円)である。牛丼業界(約4000億円)よりも、ラーメンのほうが市場規模が大きい。

 詳しくは、本書『熱烈中華食堂 日高屋』と東洋経済の記事を参照されたい。若いころから苦労してきた神田さんの人生訓と、裸一貫から事業を起こすために必要な起業家としての心得が満載である。