一昨日から2日間、6時間半をかけて、全330頁の石原慎太郎の自叙伝を読んだ。元都知事で作家、石原慎太郎の最後の著作である。長い書評と紹介文を書こうと思ったが、それは辞めることにした。ごく短めの書評と、友人たちからの本書への反応を紹介することにしたいと思う。
個人的には、右翼的な発言や実直な行動を含めて、石原慎太郎は好きな人物のひとりである。とりわけ2007年には、警察当局や行政関係など周囲の猛反対を押し切って、実施が困難と思われていた東京マラソンを実現させた。その功労だけでも、世界中のランナーから賞賛されてよい立場の人間である。
しかし実は(笑)、これまで慎太郎の本は一度も読んだことがなかった。大学生のときには芥川賞を受賞している。のちに弟の裕次郎が主演することになった『太陽の季節』である。政治家を卒業してからは、田中角栄を一人称で描いた『天才』がベストセラーになっているのにである。全部で何冊の小説と映画作品を残したのかわからないが、どの一冊もこれまで読もうとは思わなかった。読む必要も感じなかった。
わたしにとって、慎太郎は「政治家」であって「作家」ではなかったからである。それが、実に数年ぶりでリアル書店に目的買いで行って、『「私」という男の生涯』を地元の駅前の本屋で買った。そして、慎太郎の自伝を本屋で買ったことを友人たち(女子7:男子3)に知らせた。その後に、LINEからのアンケート(「慎太郎のこととと、彼が自分の死後に自伝を出した判断などについてどう思いますか?」)への返答を20数人からいただいた。
返信を読んで、石原慎太郎の人気が相当なものであることを知った。はっきりとモノを言うことを評価するは男子だったが、女子にも人気だった。自伝にも書かれているが、東京都知事としてのディーゼルエンジンの排気規制を実現している。環境庁長官としては、水俣病対策などに対しては、政治家としての活動には、ほぼポジティブな印象を皆さんは持たれていた。
作家としての評価も、石原作品を読んだ友人たちのスコアは、かなり高かった。文章が上手という意見が多数だったのには驚いた。わたしは、最後の自叙伝しか読んでいないので、評価のしようがないのだが。文章そのものは、彼の友人の三島由紀夫や江藤淳などと比較すると、とても超一流だとは思えなかった(あくまでも、わずか1冊を読んでの私見である)。
それはさておくとして、わたしがみなさんに尋ねたかった一番のイシューは、奥さん(石原典子さん)の死後に、自分の自伝を刊行するという決断についてだった。ほとんどの回答者からは、その点に関する意見は戻ってこなかった。わたしの判断は、次のようなものである。
政治家・作家としての回顧録を、自分の死後に刊行することには特に問題を感じない。しかし、自分の周囲、とくに関係した女性たちがまだ生きているうちに、その人物たち(NやYのイニシャルで記されているが)との情交を、臆面もなくしかもかなり主観的に綴ることには、いかほどの意味があるのだろうか?この一点に尽きる。
タイトルの文字に一文字「男」とあるように、男子ならば、本来は秘して墓場にもっていくべき事柄だろう。そのように思って、慎太郎に対する生前のわたしの評価が、この本を読んだことで、「★5」から「★4」に下がってしまった。慎太郎的な美学から考えても、あまりにかっこうが悪いと思うからである。
本書の内容は、細かな人生の途上の事実と、ひとつ一つの事件に対する本人の感慨を300頁に渡って述べたものである。
子供のころ、小樽市での話。その後に、父親の転勤で東京に戻り、湘南で過ごした時間。とりわけ、米軍のグラマン戦闘機に狙われた話は、彼の右翼的な思想に大きな影響を与えたことがわかった。その後の高等学校(湘南中学)での休学事件(実際は、教師に愛想をつかした怠学事件)は、反体制的な思想の走りである。一橋大学に入学して、作家の道を歩むようになるまで。この苦学生の時だけが、他とはちがっている。
その間の両親や家族との楽しくも苦い時間。そこは、ふつうの一市民としての人生観をまとめたものである。その後の政治活動と作家活動(+日生劇場などの芸術活動)。その他、趣味のヨットや冒険旅行、ボクシングやダイビングのことなど。
それと絡めた女性遍歴を、自分なりに整理して説明しようとしている。が、ここ部分は、おそらく事実と本人の主観が混じっていて判然としない。読んでいて、自伝の核としては、本来的に不要だとわたしは感じた。もし本当にきちんと描くとしたら、私小説として書くべきである。残念ながら、その関連の部分だけが、文体が中途半端な表現で終わっている。
石原慎太郎は好きな政治家である。
回顧録を81歳から書き始めて、出版元の見城徹氏(幻冬舎社主)によると、「著者(慎太郎氏)は、校正ゲラのチェックを四度済ませております。」と奥付には書かれている。しかし、どう考えても、慎太郎に自伝を書かせたのは、策士の見城さんだったのだろうと邪推してしまう。最後の頁の余計な説明が、わたしには気になってしかたがなかったからである。
ふつうの人間は、自分の死後に刊行される原稿ゲラを、四回も校正するとは思えない。そこになんとも不自然さを感じてしまった次第である。慎太郎は、すでにその時点で脳梗塞を患っていたので、意識がこの世には存在していなかったのではなかろうか?
ややミステリーっぽい推論ではあるが、見城氏ならば、ありそうな話ではなかろうか。