書評:浅川芳裕(2010)『日本は世界第5位の農業大国』講談社(★★★★★)

 淺川氏の著作は、農水省(戦後農政)に対する徹底的な批判の書である。日本の農業は捨てたものではない。実体を見れば、日本は世界第5位の農業生産国である。農業の潜在力を殺いできたのは、官僚たちの自己保身のせいである。

 官僚たちに対する淺川批判の論点を、データと政策に分けて解説してみる。農業以外の専門の方にも、本書を読むことを強く勧める。本書の価値は、日本の農業に関する客観的で偏りのないデータがたくさん盛り込まれていることである。
 わたし自身、目から鱗だったのは、日本の「真の」食料自給率が、生産額ベースでは68%だったということである。そういえば、公表される自給率には、いつも「エネルギーベース」という枕詞がついていた。その意味が、これまではよくわからなかったが、本書を読んで、そのなぞが氷解した。
 わが国のエネルギーベースの自給率は、41%(2008年)ということになっている。自給率の分母は、「(食品の廃棄分を含む)供給カロリー」である。農産物を加工して作られた食品の約30%は、コンビ二弁当や加工段階のロスで廃棄に回る。これは、流通の現場を知っているひとであれば、周知の事実である。したがって、カロリーベースの自給率でさえ、正確に計算をしなおすと60%を超えていることになる。「なんだ、そうだったのか!」ということになる。
 それでは、なぜ生産額ベースの自給率が公表されずに、エネルギーベースなのか?その答えは、浅川氏によると「(弱い)日本農業を守るという錦の御旗を掲げることが、農水省の省益にかなっているから」である。各種の農業補助金も、そのほうが確保しやすい。国の予算で保護される農家(農協)と天下り先を確保したい農水省(官僚)は、運命共同体の関係にある。
 その結果として、まっとうに働いている専業農家は、相対的に不利な立場に追い込まれる。なんとなく、現在のANAとJALの関係を連想させる。「国から資金援助をもらって、運賃のディスカウント原資に当てる。JALの経営は、一体まっとうといえるだろうか?」(ANA経営幹部の嘆き)。
 JALと同じで赤字に苦しんではいるが、自助努力で経営しているANAの幹部には本当に同情したくなる。なお、欧米では、生産額ベースの自給率しか公表されていない。日本だけがエネルギーベースだそうである。

 わたしの知る限り、浅川氏が指摘している通りで、日本の専業農家は元気である。新聞や雑誌で描かれている「高齢化が進む日本の農家」は、稲作を主業とする第二種兼業の穀物生産者(生産額1兆9千億円)の話である。花や野菜・果樹を作っている農家(生産額4兆円+)は、自分たちの力で市場を開拓し、補助金無しで生活も立派に成り立っている。それどころか、平均的な収入は、サラリーマン家計よりもかなり高いのである(詳しくは、浅川氏が副編集長を務める『農業経営』による農家所得調査を参考のこと)。
 日本の農業(総生産額8兆円)を支えているのは、農業人口のわずか2割の専業農家である。本の帯にもあるように、7%の優秀な農家が6割を生産している。そのほとんどが、エネルギー付加への貢献度が低い野菜・果樹・花きの農家である。だから、優秀な農家が生産額を拡大しても、エネルギーベースの自給率は上昇しないのである。
 地方で農地を観察して回ると、そのことがさらによくわかる。日本の大規模農家(15ヘクタール+α)は、週末農家から土地を借りて、オペレーター(耕作委託農家)として大規模経営を志向している。彼らの子弟は、実際に農業を継承している。都会に出てサラリーマンをするよりは、農業で得た収入のほうが高い。専業だと休みも少ないし、いまは働くのがつらいが、有望な産業として未来が見えるからである。
 山形、静岡、千葉、宮崎など日本の各地で、元農協職員や証券マン、自動車エンジニアが、花や野菜の農家に転身している。あえてその理由を問う必要はないだろう。

 本書を読めば、日本の農業の生産性は、それほど低くないことがわかる。とはいえ、オランダなどと比較すると、輸出主導型のマーケティングができるためには、国の農業政策や農家の考え方を変える必要がある。そこまでの道のりは、思いのほかに遠そうだというのがわたしの推測ではある。
 興味深いのは、最終章にあるヒントである。「こうすればもっと強くなる日本の農業」(第5章)には、具体的な8つの提言「日本農業成長8策」がなされている。とくに注目すべきは、2番目の「作物別全国組合組織」と4番目の「輸出の振興」である。
 デンマーク酪農連合、米国ポテト協会、英国ニンジン協会が、その具体的な例としてあげられていた。もっと徹底的に輸出振興型の組織は、オランダの「フラワーカウンシル(花き生産者協会)」や米国の「オレンジ輸出協議会」などである。その日本版を作ろうという提案である。日本が本気で輸出を考えるとすれば、海外にある全国プロモーション組織をもつことが必要であろう。
 筆者は、民主党の「個別所得補償制度」について厳しく論断している。同感である。それはそうだろう。せっかく自民党政権を転覆したのに、農業に対する理解と理念が欠如している。強い日本農業を作るのではなく、「全農家の8割を占める」票の取れる兼業農家を政治的に誘導して甘やかす。
 本書では、農水省だけでなく、それに連なる組合批判もなされていた。結局、日本の農業政策(自民党時代もそうだった!)は、選挙に勝つための人質にされている。農業の未来を考えると、たまらない気持ちになる。短期的には、農村票は悪政になびくかもしれない。しかし、強い優秀な農家から、所得補償による補助金目当てで、土地を取り返そうとする中途半端な農家を増やすだけのことである。