かみさんから手渡された本だ。評価は慎重に。大西社長の本の奥付は、5月1日になっている。社員向けには、8月になってお中元代わりに配布されたものらしい。「誤字脱字がまったくない!」と、隣りにいる契約社員の女性が自慢していた。わたしの本はたしかに誤植だらけだが。
たしかに読みやすい。ふつうの百貨店の社長とは、タイプがかなりちがう。伝統的な百貨店ではなく、伊勢丹出身だけあって、大西社長の語りはカジュアルな感じがする。経営統合した相手方の三越のイメージ(オーセンティック)とは正反対である。
実際にはライターの方が書かれたのだろうが、語り口がずいぶんと率直だ。「はじめに」の最初の部分は、つぎの文章で始まっている。
「多かれ少なかれ”殿様商売”をしていた百貨店業界が、衰退するのは当然」(P.3)
9兆円あった百貨店業界の総売上が、いつの間にか6兆円台になっている。小売りの中でのシェアは、かなり前にすでに5%を切ってしまった。業界人が自覚していなかったわけではないだろう。百貨店は、長らく「不動産業」だったのである。どの百貨店も「場所貸し業」だけやっていたわけではないが、付加価値はやはり不動産的な収入に依存している。
これはなにも日本に限ったことではない。百貨店の成り立ちは、都市部に住まう富裕層とギフト需要、そして一般人のハレの消費を核としてきた。いまでもそうである。
日本では、これに法人需要が加わる。MD(商品政策)も、こうした特別な消費ニーズに沿うものだった。売り場作りやサービス、営業時間についての配慮も、そうした需要にしたがって調整されてきた(大西社長は、「営業時間の短縮」(11時開店)を主張しているが、それは百貨店のチェーンストア化をにらんだ施策であると言える)。だから、従来型の百貨店は、店舗至上主義の「非チェーンストア的」な経営ということになる。
大西改革は、一言でいえば、百貨店の「チェーンストア化」を狙ったものだといえるだろう。順番に見ていくことにしよう。タイトルの「現場」から始まるは、実は本書の本質を語ってはいない。この本のエッセンスで重要な部分は、以下の3点である。
(1)仕入れ構造改革(仕入れと販売の分離)
この本でもっとも大切な部分は、「商販の分離」である。これは、2011年にはじまった大西社長の施策である。チェーンストア理論では当然の仕組みを、これまではどの百貨店も採用してこなかった。JRC(ペガサスクラブ)の桜井多恵子先生の言葉をしたがえば、長らく百貨店は「支店経営」によって運営されてきたのである。
大西改革は、この方式(店長の役割の二重構造)を改めて、チェーンストア方式を百貨店に取り入れようとする決断である。つぎの(2)との関連で、店舗の運営は「店長」を中心に、商品の仕入れは、集中的に商品本部が店舗とは独立に実施する方式に改める。新宿も日本橋も銀座も、仕入れに関しては共通の仕組みで運営される。
(2)販売(店頭)のモチベーションづくり
販売の現場で実績を上げてきただけに、大西社長は現場で働く販売員のセンチメント(心情)をよく理解している。販売の効率を上げるために、販売員の報酬に対して成果主義を取り入れた。実績が上がった販売員に対しては、差額給与を支払う方式である。それによって、モチベーションは上がることになるだろう。
それとセットになっているのが、未実現だが、「一直のシフト」(営業時間:11時開店~20時閉店)を敷くことである。つまりは、どの時間帯に行っても、自分のお気に入りの販売員から接客を受けられる制度である。成果主義と結びついて、これがお客を逃がさないでCS向上施策になるという想定である。
別の表現をすると、プレミアムなサービスを必要とする大切な顧客に対しては、販売員が責任担当制を維持できるよう、働き方と報酬の仕組みを変えるというものである。あまり明確には書いていないが、販売員の役割もそれで大きく変わったはずである。百貨店が「接客行為のあるチェーンストア」に変わったのである。
(3)小型専門店への取り組み
百貨店が「場所貸し業」だといったが、それは二つの意味を持っている。ひとつは、自主的なMD(商品企画)をやらずに、メーカーに商売を丸投げしてきたという意味である。大西社長は、伊勢丹時代に「メンズ館」で自主MDの 土台を作ってきた。それを全社的に広げようとしている。
二番目は、小型店を展開しようとすると、社員が商品企画を担当せざるを得なくなるのである。つまり、百貨店の社員に求めれる資質がSPA的な企業に変化するのである。場所を貸して仕入れた商品を並べるのではなく、自社製品を企画して店舗の場所借りるようになる。真逆の商売に足を踏み入れるのである。
小型店の取り組みが成功するかどうかは、いまのところ不明である。これまで大西社長が取り組んできた仕事とは、ちょっとビジネスの形態が異なるからである。
クイーンズ伊勢丹(高級スーパー)の展開のことも、あまり詳しく書いていない。それも、そのせいではないかと思う。どちらケースも、百貨店があまり得意分野とも思えない「チェーンストア」(専門店チェーンと食品スーパー)の経営に足を踏み入れることになるのである。
いまのところは、実質的にチェーンストア方式を取り入れることができるのは、日本の百貨店では三越伊勢丹だけだろう。わたしは、19歳から22歳までの4年間、大学時代に伊勢丹から「小菅奨学金」をいただいていた。おかげで経営学者になれたと思っている。その意味でも、三越伊勢丹には、ぜひ頑張っていただきたいのである。