わたしの仕事術(#1): 頼まれごとを断る勇気

 先々週の土曜日、大学近くのイタリア料理店で、若手の研究者たちとスパゲッティを食していた。わたしの隣りで、「締め切りが来ないと、発表の準備が終わらないんですよね」と、嘆きの発言している女性がいた。多摩大学の酒井麻衣子さん(准教授)である。


彼女は、来月(6月26、27日)、大阪大学で開かれる「マーケティングサイエンス学会」の全国大会で発表する予定になっている。その日は、研究の進行状況を報告するために、わたしが主催している研究会(法政大学の「土葉会」)で、メンバーの皆さんに研究内容を相談する時間をもらっていた。
 いつものことだが、酒井さんのプロポーザルは、準備がよくできている。全体的な研究の見通しも悪くはない。しかし、このままだと、今回も調査は6月にずれ込むことになる。消費者パネル調査を、JCSI(日本版顧客満足度指数調査)の開発プロジェクトに乗せるためだ。そのために、またしても学会発表の準備がぎりぎりになりそうだった。
 ランチを終えると、午後には多摩大で教授会があるらしい。本日の中間発表は無事に乗り切れたものの、先を見通してなんとなく暗くなりそうな気配。スパゲッティーをフォークでまるめながら、麻衣子さんの顔はどこか冴えない。
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 若手の研究者だけではなく、こうした事態にはしばしばわたしも見舞われてきている。いろいろな仕事をつい引き受けてしまうので、それぞれのプロジェクトの準備に余裕がなくなってしまうのである。解決の方法は、ただひとつである。「断る勇気を持つこと」である。
 わたしの経験を紹介する。皆さんのヒントになればと思う。それはやや苦い経験だったけれども、いまになって思い返してみると、とてもよかったとわたしは思っている。
 いまから35年前、一橋大学に田内幸一先生というマーケティングの先生がいらした。ユーモア溢れる講義は天下一品で、学部生にとても人気があった。とてもやさしい性格の先生だった。もっとも、研究者としての実力はいまいちだったような印象がある(笑い)。
 わたしは、大阪大学の大澤豊先生の門下生である。ただし、その一年間は、大澤先生が学部長をしていたのか、あるいは海外留学(スタンフォード大学)の年にあたっていたのか、東大の大学院の講義はお休みなっていた。大澤先生から田内先生を紹介されて、国立にある一橋大学に一年間通っていた。そのときに、現在、成蹊大学教授の相原修君と知り合いになった。これはおまけの話ではあるが。
 その翌年、わたしは法政大学に助手として就職した。あるとき、田内先生から電話があった。某国立大学でマーケティング論を非常勤で教えてくれないかとの頼みである。先生には恩もあったが、その年は、法政大学ではじめて専任の講師として授業をもたなければならない。「経営工学」(その後に「経営科学」に名称変更)という科目である。マーケティング論ではない。特別に準備が必要である。学部の演習も始まっていた。
 最終的に、とても言いにくいことだったが、田内先生の頼みを断ることにした。「余裕がない」と、自己分析したからである。しかし、まだ25歳の駆け出しの講師である。何の実績も無いわたしに講義を頼んできたのだから、「もしかすると将来、一ツ橋からお声がかかるかもしれない」などと、ふつうの感覚の人間ならば思ったかもしれない。いまだからいえるが、わたしには、そんな想像がまったく浮かばなかった(笑い)。
 そんな欲の無い人間だから、得をしている面もある。その後も、他の大学から、講師の依頼をたくさんいただいている。しかし、田内先生のことがあったので、他大学からのリクエストをすべて断ることにした。引き受ければ、自分の行動に一貫性を欠くことなる。この件に関しては、しがたって、例外は一度も無い。

 師匠だった大澤先生にも、感謝しなければならない。大澤先生(東大のマーケティング論の講師として影響を受けた)は、わたしに他大学の講師を押し付けたことが一度もなかった。「小川君、そんな時間があったら、きちんとした研究に時間を費やしなさい!」。直接、大澤先生からそう言われたことはないが、たぶんそのように思っていただいていたのだと思う。そうした心遣いに、いまでも深く感謝をしている。
 35年間、私立大学の教員をしていて、他大学で一度も教鞭をとったことがないなど、例を聞いたことがない。たぶん、法政大学の教授ではわたしだけだろう。わたしはその分、法政大学での教育に全力を投入してきた。余分な時間を費やす必要がなくなったので、つまりは、誰もわたしに講師を依頼してこなくなったので、その時間を研究や調査・取材に投入することができた。
 結果論だが、実際には、相手が偉い先生ではじめは思い悩んだのだが、断る勇気を持てたことがいまの教育と研究のスタイルにつながっている。しばし、生意気だとか、情のないやつだと言われるのは一瞬である。そんなことは気にしないことである。
 わたしたち研究者にとって、いちばんの優先順位は、クオリティの高い研究成果を残すことである。そして、学生たちの教育のために、じゅうぶんな時間を割いてあげることである。そのためには、多少の義理を欠くこともやむをえない。そうでなければ、一流の仕事をすることはできないのである。