花の値段が大暴落しているときこそ、人々の心を癒す効果に希望を託して

 世界大戦後すぐのオランダで、切り花の価格が大暴落したことがあった。そのとき、オランダの花の生産組合は、安くなりすぎた花を小学校に無償で提供した。その後、オランダで日常的に消費者が花を消費するようになるきっかけを与えた。有名な話である。


大震災の影響で、切り花の市場価格が大暴落している。昨日も、東京の特定市場に、全国の生産者から出荷が集中したためらしい。事実を確かめてみないとわからないが、市場への荷物の集中は度を越していたらしい。
 法政大学も卒業式を中止した。大学側からは、大学院の卒業祝賀会(アルカディア市ヶ谷)を自粛するように要請をうけた。入学式も実施するどうかあやしい。
 同じように、ホテルや結婚式場では、宴会のキャンセルが相次いでいる。業務用の花は行き先を失っている。家庭用の花も、帰宅時間が早まったり、そもそもモノが運べないために、売りようがない状態にある。 だから値段がつかないのである。

 市場の担当者からのヒアリングによれば、「チューリップが1本1円も値がつかなかった!わたしたち大変です」と嘆き声が聞かれる。関東の荷物が関西に送られているらしいが、状況をむしろ悪化させている。
 それはそうだろう。もともと市場の大きさがちがうはずだ。関東の荷物を引き受けるほど、大きな規模の顧客はいない。だから、週明けも数日は、商品に値段がつかないだろう。
 それならば、チューリップやバラのような日持ちのよくない洋花は、オランダのように無償で配布してもよいのではないのか。相場がいまのままで永遠に安いままとは思えない。
 右往左往さえしなければ、この相場はほんの数日のことである。生産者の皆さんには、お気の毒でだが、数日間は我慢である。断言できる。以下のような理由から、相場はすぐに元に戻るだろう。
 
 日本でも、阪神淡路大震災のときに、米国では911のときの事例がある。貿易センタービルが倒壊したあとの9月下旬に、ニューヨークでは花が売れはじめた。これも有名が話である。
 花(フラワー)は、不幸な状況に陥った人々の気持ちを、日常に引き戻すための象徴的なアイテムである。人の心を復元へと向かわせるモメンタムを与える。
 世界中の大災難の後で、人々の心を癒す商品として、花は効力を発揮してきた。なぜ人が亡くなったときに献花をしようとするのか。それが自然である理由を考えてほしい。
 喪失への哀悼をこめて、残されたものたちを立ち直らせるために、こちらの岸と彼岸へと、同時にメッセージを伝える役割が花にはある。だから、いずれは花への需要が必ず戻ってくる。歴史的に見て、そのことには、ひとつの例外もない。

 現状の大暴落を見て、希望を失わないでほしい。経済も人の心も、このまま世界に終わりが来ない限りは、いずれは復興を求めるものだ。そのときに、花の出番がある。