【書評】ピーター・ターチン著/濱野大道訳(2024)『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』河出書房(★★★★★)

 『日本経済新聞』の書評欄(11月23日)で紹介されていた書籍だった。気になったので、書評を読んでその日の人のうちに注文をした。実におもしろい。
 本書を読めば、最近起きた2つの政治的な事象に納得がいく。米国大統領選でトランプが再選されたことと、直近の衆議院選挙で「103万円の年収の壁」を打ち出した国民民主党(玉木雄一郎党首)が大躍進を遂げたことだ。どちらも、著者のターチン氏の「歴史動力学」(クリオダイナミクス)で上手に説明ができるからである。


 評者にとって、「クリオダイナミクス」は、あまり聞きなれない分析手法である。元々が進化生物学者だった著者(ターチン教授)が、大学で終身雇用権を得てから転身した計量歴史学のアプローチである。歴史事象(とりわけ、社会的な動乱や革命、多数決選挙による政権交代)を複雑系の動的モデル(実際には、社会階層別の人口データによるシミュレーションモデル?)で説明しようとする新しい学問分野である。
 クリオダイナミクスは、有史以来の人類の階級闘争史を数量モデルで解明しようとする野心的な方法である。本書を読む限り(数式は全く出てこないので、評者の薄い知識で解釈するしかないが)、このモデルは、少なくとも近世以降の王朝や国家の盛衰をうまく説明できているように思う。
 
 英仏王朝に始まる100年戦争とフランス革命(1789年)、金権政治国家・米国の内戦(南北戦争:1861年~1865年)、中国の清朝(1636年~1912年)で官僚制が長らく続いてきたことの説明など、歴史的な符号は後付けなのかもしれないが、以下の述べる3つの主体(社会階層)のダイナミズムで暴力革命と支配層の交替はそれなりに納得できるよう説明がなされている。
 本書では(あるいは、研究上で先行する類書の引用では)、庶民階層(大衆)、支配階級(エリート)、カウンターエリート(挫折したエリート層)の動きで、国家・政権の隆盛と没落が見事に解明できている。とくに感動的だったのは、近代中国史の解説だった。クリオダイナミックスのモデルは、現在の中国共産党の支配構造が、清朝時代の科挙制度(官僚制)のコピーであることをアナロジーで構造的に解明している。なるほど、そうだったのかと納得である。
 ちなみに、アメリカ大統領選挙(トランプの勝利)の結果以外に、2020年以降に起こるもうひとつのこと(ターチンの暗黙の予言)に、中国の共産党執行部の瓦解と、ロシア・ウクライナ戦争の帰結が含まれているような気がする。

 本書の理論で、トランプ再選の舞台裏が、陰謀論や政治論的な解釈なしに、階級闘争と大衆(ノンエリートの白人男子階層)の窮乏化によって説明ができている。
 「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」というマーク・トウェインの格言がある。実際的にも、繰り返し起こる似たような歴史的事象(内戦、革命、政権交代)が、①階層間の所得格差(エリート層の富の増加 VS 庶民の実質賃金の低下)と②エリートの過剰生産(勝ち組と負け組の内部対立)という2つの変数だけで説明ができてしまう。
 こうしたアプローチは、マルサスの人口論やマルクスのプロレタリアート革命を彷彿とさせる。しかし、歴史的な事象を、歴史社会の構造化と人口統計データだけで実証できているところが普遍性を感じさせるところである。本書のすごいところは、それを研究論文のようには、オリジナルの数式を一切使わずに、国家動乱の歴史的考察を納得的に読者に伝えているところだろう。むしろターチン氏の文章力に舌を巻く。

 評者が刺激的な解釈だと考えたエピソート(理論的考察)をいくつか列挙する。答えは、本書の中に書かれている。
(1)エリート層が「一夫多妻制」を採用すると、エリート支配の時間間隔が短くなる(わずか2世代、約50年)(P.350)。さて、答えは?
(2)以下の3人は、本来は「カウンターエリート」(支配層から落ちこぼれそうになっていたエリート志願者)だった。社会動乱の中で、のし上がった人物たちである。
 ①奴隷解放を行ったエイブラハム・リンカーン大統領は、実際は北軍(エリート階層)の利益代表者だった。どのような理由で?
 ②ドナルド・トランプは、窮乏化した白人の労働者階級を味方につけて勝利した。対抗馬は誰になろうが、民主党に勝ち目がなかったことはターチンの説明からも明らかである。それはなぜか?
 ③洪秀全の「太平天国の乱」(1851年~1864年)は、なぜ起こったのか?世界史の授業では説明してくれなかった(P.39-43)。

 それにしても、人類の歴史は、戦争と殺戮の繰り返しであった。それは、今の世の中も大して変わりはない。わたしたち日本人は、80年前に瓦解した大日本帝国の末裔である。太平洋戦争後は、静かで平穏な80年間を生きてきた。それはたまたまの幸運が重なっただけのことである。
 本書を読んでいまさらながら思うことがある。それは、本書の理論によると、ひとつまちがえば戦火と内戦の危機が「100年後」に再来するからである。ターチン氏が教えるところによると、それまでにはわずか2世代から3世代である。今や仕掛けられた時限爆弾が破裂するタイミングが来ている。そして、経済的に人々がふたたび苦しむことになる。
 米国が経験している政治的に不安的な状態は、友好国である周辺の他国にも伝染してしまうものだ。経済のグローバル化と移民の増加には、日本も注意を払わなかればならない。経済的な紛争とその先にある一般庶民の困窮化は輸出されるものだ。

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