【花の産地訪問】常陸大宮市、JA常陸農協・奥久慈枝物部会訪問(2024年11月26日)

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 昨日は、茨城県常陸大宮市にある奥久慈枝物部会を訪問。副部会長の関信一郎さん(元農協職員)と児玉知樹さん(枝物部会担当者)にお話を伺った。インタビュー後、YF部長(若手部会のリーダー)の柳田雄介さん(46歳)から、ご自身の圃場を案内していただいた。柳田さんは、元大工さんで枝物部会で2番目の栽培規模の生産者である(画像は、春を待つ花桃の枝です)。
 

 午後13時に、奥久慈農協の選花場に到着。事務所で、副部会長の関さん(45歳)から、石川幸太郎会長(76歳)が20年前に枝物栽培を始めたときの話を伺った。
 2000年(平成11年)、JA茨城農協中央会常務だった石川さん(当時、50歳)は、退職して耕作放棄地で枝物の栽培を始めた。遊休農地などの現状を憂えての取り組みだった。枝物を生産している農家で相談する相手もおらず、「青柳フラワーセンター」(花の卸会社)の笹川社長(水戸市)からアドバイスをもらいながら、たった一人で枝物の栽培を始めた。
 緒川村(現常陸大宮市)の地元農家からは、「農協の役職を棒に振って、石川さんは気でも狂ったのか?」と言われたそうだ。ご自身は、「年金生活者が小遣いを稼ぐための仕事として枝物栽培を考えついた」という(関さんのインタビューから)。
 ちなみに、石川会長が枝物の栽培をはじめた耕作放棄地があった場所は、茨城県那珂郡緒川村。拙著『しまむらとヤオコー』(小学館、2011年)の発祥の地は埼玉県比企郡小川町。現在のわたしの事務所「オフィスわん」がある場所が千代田区神田小川町。今回訪問した場所は、またしたも小川つながりの「緒川村」(現、常陸大宮市緒川地区)だった。 

 石川さんが農協を退職してから5年後の2005年(平成17年)に、枝物部会を結成した。知り合い9人の農地3.8haで、花桃などの栽培を始めた。20年後の2023年(令和5年)、JA常陸奥久慈枝物部会員は144名。販売額は2.4億円と大幅に増加している。
 枝物の栽培面積は約78haである。興味深いのは、栽培地の地目の構成である。そのうち、耕作放棄地が15ha、遊休農地が34ha、その他約30haが水田と畑である。半分が遊休地で半分が田畑。奥久慈枝物部会は、いまや日本を代表する枝物産地に成長している。
 現在、枝物部会では、花桃や奥久慈桜、染ヤナギ、夏ハゼ、コニファー類などの枝物を多品種少量で栽培している。栽培品目は約300種類。代表的な枝物は、春先の花桃と奥久慈桜である。2~3月にかけて、促成温室で加温(20℃)加湿して芽出しさせ、調整後に全国の主要市場に出荷している。
 当初は、枝物の栽培のために、「遊休している農地を貸してくれる農家さんを探すのに苦労した」という。都内の住宅地周辺でも、生産緑地という名前の農地に樹木(たとえば、栗の木)を植える現象が見られる。枝物をそうした農地に植えると、「農業をやめたとみなされる」ので、貸し手がなかなか見つからないという事情はよく理解できる。
 
 当初は「アイデアマンでちょっと変わった人」と思われていた石川さんの試みだったが、口コミで枝物の栽培がお金になることが知れ渡るようになる。栽培面積も、リーマンショックやコロナが途中あったにも関わらず、年率10~20%の勢いで成長してきた。
 144軒の農家は、ほぼ枝物専業農家である。石川さんや柳田さんのようなトップの生産者は、5haの栽培面積で、販売金額が2000万円を超えている。課題は、例えば、石川会長の年齢に典型的に見られるように、部会員の高齢化が進んでいることである。後継者が見つからないケースがこれから増えていくと思わる。
 関さんたちが中心になって、新規に就農する若者とのマッチングの仕組みを考えているが、枝物は畑に植えてから3~5年を経過しないと、お金にならない(出荷できない)。かつては、新規就農者に、5年間は年150万円の就農奨励金が渡されていたが、いまはその期間が3年間に短縮されている。
 枝物が出荷できる3年~5年くらい先まで、各自の生活をどのように支えるかが問題になる。なかなか悩ましい問題ではあるが、これは一年草の草花や宿根草の栽培では心配にならない。事業承継の方法として、わたしは、「畑ごと全部継承してもらう方法があるのでは?」とアドバイスしてみた。
 実際的にも、柳田さんの畑は、急逝した部会員の耕作地をそのまま継承したケースである。特別な人間関係がなくとも、新規就農者にとっては、ひとつの選択肢としてありうる事業継承の方法だろう。それこそ、栃木県宇都宮市に本社がある「(株)サクシード」(水沼啓幸社長)の「ツグナラ」(後継事業者のマッチングシステム)のような仕組みで、新規就農者と後継ぎがいない農家(農地)を繋ぐ方式が活用できないかと思った。

 なお、奥久慈枝物部会の取材でおもしろいと思ったのは、JA茨城中央会が保有している販売データのシステム的な活用だった。多品種少量生産の産地が持って課題のひとつは、共販の会員仲間で誰がどの品目(品種)を栽培するかという品目の割り振りが課題になる。
 奥久慈枝物部会では、過去5年分の出荷データを部会員全員で共有している。わたしがいただいた印刷ベースのデータファイルには、月別の売上金額順に、品目/品種別の出荷数量(金額)と平均単価が出力されていた。これを見て、組合員が月単位で出荷する品目を決めることができるらしい。
 「在庫性」がある枝物の有利なところは、市場で取引単価が悪かったりしたら、畑に寝かして置いておくことができるところである。規模がもう少し大きくなったら、こちらのほう(畑の在庫)もデータベース化したらおもしろいと思った次第である。
 
 わたしが逆に聞かれたのは、海外への輸出の方法とその他産地の経験だった。オークネット(安代のリンドウ)の経験などを伝えてあげた。オランダのユルン君(元アルスメール市場担当者、日本に研修で滞在)に助けてもらったことがあった。そのときのポイントは、輸送中の鮮度保持技術にあった。
 また、耕作地の承継の問題などで、産地の高齢化に将来的に不安を抱えているようだった。販売が伸びている限りは、たとえその土地に後継者がいなくても、いずれにしても成長は続くことになる。それほど心配はないように思う。ニーズのあるところは、誰かが何かしらのものを生産するものだ。
 それよりも、「大田市場のサブスク(ユーザーライク社)などとの調達の提携などをもっと研究した方がよい」とアドバイスして帰ってきた。関さんや柳田さんの世代(40歳~50歳代)と、部会創設者の石川さん世代(初期メンバーの70歳代)との間のバトンのリレーが課題なのだろうと思う。
 どの産地でもそうだが、賢くて強くて信頼されるリーダーがいないと産地はいずれに停滞する。残念ながら、組織はリーダー次第であることは世の常である。
 頑張れ! 奥久慈枝物部会。関さん、柳田さん。

 

 

  

 

  
 
 
 

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