上久保誠人准教授(立命大) の言説に同意する: 「政治的検察」を完全抹殺するために、小沢氏はあえてガチンコの法廷闘争を

 明治以降に続いてきた疑獄事件のいくつかは、検察とメディアの結託の歴史である。ターゲットされた政治家が起訴をされてしまえば(起訴=有罪)、判決が無罪か有罪かに関わらず、その権力基盤と影響力を剥奪することができる。そこに、政治的取引の余地が残される。

 そうした現実に対して、立命館大学の上久保准教授が鋭い指摘をしている。ネット情報誌の「ダイヤモンドオンライン」で、同准教授は、「「政治的検察」を完全抹殺するために、 小沢氏はあえてガチンコの法廷闘争を!」と主張している。

 以下では、表記の記事をそのままで引用する(2011年2月11日号)。上久保准教授が指摘しているように、「小沢一郎の政治とカネ事件」は、メディアが騒いでいるのとは別の方向から、日本の近代政治史に大きな変化をもたらすかもしれない。
 わたしたちは、歴史が動く瞬間に対面している。いまの日本人が、そのことに気がつかないだけである。
 
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 検察審査会が、小沢一郎元民主党代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反を不起訴処分とした検察の判断を「追及不足」として、「起訴相当」と議決した。今回は、これを約100年間に渡る「政党政治vs検察」の戦いの流れの中に位置づけてみたい。

 「政治的検察」が動いた 典型的事例としての小沢問題
 約100年前、平沼赳夫衆院議員の祖父で検察官僚の平沼騏一郎が、汚職事件に関連する政治家を罪に問うかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとしたことから「政治的検察」が誕生した。その後、検察は歴史的に権力の座にある(座を狙う)政治家をターゲットにした駆け引きを繰り返して政治的影響力を高めてきた。中には、まったくのでっち上げや形式犯でしかないものを起訴することで、多くの政治家の政治生命を奪ったこともあった(第21回を参照のこと)。

  「政治的検察」は、日本の刑事司法が裁判所での審理中心でなく、検察の捜査中心で判断が完結するシステムである上に、「起訴=ほぼ有罪」が日本社会の共通認識であることで成り立ってきた。

 政治家が一旦起訴されると、仮に裁判で無罪になっても計り知れないダメージを受けた。それ以前に、検察はたとえ起訴できない事件でも、その理由を詳細に公開する必要がない。だから検察は「有罪」の確証がなくても簡単に捜査に着手することができ、政治家に社会的制裁を加えることができた。

 小沢氏の問題は、この「政治的検察」が動いた典型的な事例といえる。小沢氏の3人の元秘書の「政治資金規正法違反」は、「小沢氏からの借入金4億円を収支報告書に記載しなかった事実」のみであり、水谷建設から渡ったとされる5000万円の裏献金の事実は起訴事実に含まれなかった。

 これには法曹関係者などから、政治資金収支報告書の訂正ですまされるもので起訴に値しないとの指摘があった。また、秘書からは小沢氏の積極的な指示・関与を裏付ける証拠を得られず、小沢氏は不起訴となった。(後略)

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 この論考では、メディアの役割には触れられていない。しかし、「情報サービス産業」が生きんがために、政治と取引をしてきたという現実がある。そうした立場において、メディアの戦後は検察と双対(ペア)であった。

 日本の場合は、戦後50年間、自民党一党支配体制が続いてきたが、政権交代によって政治権力の維持基盤が変わってしまった。結果として、裏舞台での政治的な取引は、いまや機能不全に陥っている。
 誰もが政治的なネゴシエーションができない「学級崩壊状態」にある。そのことは、以前に本ブログで指摘したとおりである。不安定な政治情勢に決着をつけたいと願って多用されている、代替的な政治手法が、民衆を巻き込んだ「公開メディア戦略」である。

 公開メディア戦略とは、わたしの造語である。政策立案の過程や政治取引に関する背景情報を、(場当たり的に)メディアに晒して、政治の流れを民衆の人気投票にゆだねようとする傾向のことをさす。
 メディアへの情報露出の仕方が、党内権力抗争の結末に影響を及ぼしている。民主党の代表選挙を見るがよい。一般党員がキャスティングボートを握っていた。実態は、一般大衆による人気投票とさして変わらない。
 メディアでの露出の印象スコアが、選挙での勝者を決める。自民党時代の末期、小泉劇場政治の幕開けで、民衆はこうした公開型の政治手法になれてしまった。
 情報公開により被害を受けたのは、政治的には隠れた存在であったはずの検察(特捜部)である。自らの不手際と自律性の欠如によって、うすうすは民衆も気がづいていた、強引な「見込み捜査」の実態が暴かれてしまった。検察制度の欠陥と弱点が明らかになった。
 メディアを真ん中にはさんで、政治家と検察の関係にも変化が見えるのである。