【書評】日本経済新聞社編(2016)『さらばカリスマ:セブン&アイ「鈴木」王国の終焉』日本経済新聞社(★★★★)

新聞記者4人が共同執筆したドキュメンタリー。鈴木敏文氏が、セブン&アイの会長を辞任した直後に出版されて話題になった本。鈴木氏に批判的な記事を書くことがなかった日経が、セブンの内情をよく知っていただけに、いつかは書きたかった内容なのだろう。

 

 タイミングがよく緊急出版された意味は、日経のメディアとして立場の変更である。本書は、「鈴木氏への決別(さらば)」である。そして、本書の構成を冷静に眺めてみると、わたしの解釈がまちがっているかもしれないが、記者たちの心情は井坂氏の擁護に読める。本書の構成はとてもシンプルだ。アッというまに、ほぼ一時間で読み切れてしまう。

 

 第一部「迷走セブン&アイ」では、鈴木氏の退場に至るまでの事実経過を、丹念に客観的にそして興味深く記述している。ここは、4章構成になっている。

 結論を言えば、コンビニエンスストア・ビジネスの創業(セブン‐イレブン)とその社会的な発展に貢献した鈴木氏だが、「資本と経営の分離」を盾に長くトップに君臨しすぎたことが、不本意な退陣劇に至る遠因になった。自らが80歳を超えても、バトンを渡せる後継者を探して育成できなかった。創業者でさえ退陣のタイミングを見計らうことがむずかしい。いわんや、生え抜きとはいえ、資本家ではない専門経営者である。トップとしての引き際がさらに難しくなる。

 超長期政権(40年)を維持しようとしたことが、社内外の反勢力に付け入るスキを与えてしまった。世間では、創業家、ファンド、社外取締役を巻き込んでの企業統治の問題ととられる向きも多いが、実際はそうではないだろう。この事件は、資本の支配をめぐる闘争の一幕にすぎない。そんな情緒的な話ではない。

 なお、有能な経営者だったがゆえの結末は、なにも鈴木会長に限ったことではない。大物経営者が一線から去るときは、ふつうの状態では終わらないものだ。かつての中内功氏(ダイエー)や堤清二氏(セゾンG)も、後継者にまともな形で経営を譲ることができなかった。

 

 第二部「コンビニの父」は、鈴木氏の経営者としての貢献を評価したものである。セブン‐イレブンが日本の流通業界に残してきた足跡を、3つの章でコンパクトにまとめている。過去の取材記事の再編集記事なのだろう。

 第5章「常識を覆す成長モデル」は、鈴木氏の創案になる「共同配送システム」の説明から始まる。米国のコンビニモデルにはなかった新しい流通の形は、ファーストフード(お弁当やおにぎり)の導入から生まれたものではない。日本流の取引の再編成と物流の組み換えから始まっている。メーカーと小売り業との役割分担が変わる分岐点でもあった。

 第6章「創業家と中興の祖」では、のちの鈴木退陣に至るまでの布石が描かれている。コンビニ(セブン‐イレブン)と総合スーパー(ヨーカ堂)の間のビジネス上の軋轢(ヨーカ堂がお荷物になる)。そのタネが蒔かれたのが1990年代。創業家(伊藤氏)の総会屋利益供与事件での退陣と、それに続く鈴木氏主導の業務改革のスタート。

 ところが、今日に至るまで、「アイ」側(ヨーカ堂)の業績回復はほぼ絶望的だ。のちに鈴木氏が主導したM&A(西武百貨店、ニッセン、赤ちゃん本舗、バーニーズなど)の成果が少しでも出ていれば、サードポイントの介入もなかっただろう。オムニ戦略の将来展望のなさが、今回の退陣劇を加速したことはまちがいない。経営者としては、明らかに失策だろう。

 第7章「進化するコンビニ」では、鈴木氏の事業家としてのイノベーション力が評価されている。公共料金の収納代行、セブン銀行、そして、セブンプレミアムの発売だ。80歳だったが、たしかにコンビニ創業者としての面目躍如ではあった。

 

 第3部「ポスト「鈴木」」では、セブンの「成功の慣性」が強力であることが述べられている(第8章)。しかし、セブン‐イレブンの部品をほぼひとりで作り上げてきた鈴木敏文氏(=Mr.コンビニ)が退場したいま、セブン‐イレブンの経営も永遠ではないかもしれない。わたしは、それでも圧勝できる期間は、3~5年とみている。

 最後に、第9章では、井坂社長のインタビューが掲載されている。タイトルは、「井坂丸、羅針盤なき船出」。セブンを巡る事態は、その通りだろう。鈴木氏も、共同配送や銀行を始めるとき、成功に対して絶対的な確信があったわけではなかろう。その同じ道を井坂氏がたどることができるかどうかである。チャレンジしなければ、10年後いや5年後にセブンの未来はない。

 ローソン、ファミマ、競合がひたひたと後ろから迫ってきている。