【書評】佐々木要太郎(2022)『遠野キュジーヌ:土から考える「とおの屋 要」の米作り、どぶろく醸造、発酵料理』(★★★★)

 岩塚製菓の槇春夫社長から、工場見学(新潟県長岡市)とブログ記事(6月8日)のお礼に送っていただいた。そのときの手紙に封入された書籍だった。久しく存在を忘れてかけていたが、書棚に置いてあるのを発見して、昨日の朝に読みはじめた。忘れていた本との偶然の再会は、紙の本だからこそ起こる現象である。

 

 岩塚製菓は、長岡市に本社がある業界第3位の米菓メーカーである。会社のユニークの成り立ちは、友人のマーケティングプロデューサー、辻中俊樹著(2022)『米を洗う』(幻冬舎)に詳しく書かれている(https://kosuke-ogawa.com/?eid=5738#sequel)。本書を槇社長から送っていただいたのは、本ブログに書評を書いたからだと思う(思っていた)。

 不思議なことに、封入されていた書籍について、槇社長は手紙の中で何の言及もされていなかった。書籍の表紙と田んぼや料理の写真をざっと眺めて、書棚に収めたままにしてあった。しかし、改めて中身を読んでみると、本書には興味深いことがたくさん書かれていた。考えるヒントもたくさん詰まっている。

 ちなみに、最初の半分(約100ページ)を読んだところで、「日本一予約が取りにくい宿」(とおの屋 要)をネットで検索してみた。ついでに、「とおの屋 民宿」のほうも予約サイトの「じゃらん」で見てみたが、どちらもすぐには予約が取れなさそうだった。

 

  *   *   *

 

 昨日の午後に、ここまで書いたところで、友人の辻中さんにメールを出しておいた。槙社長が本書を封入してくださった意図を知りたかったからである。早速、本日の朝早くに辻中さんから電話があった。

 「槇社長は、(小川先生に)その本を送った記憶がないとのこと」(辻中さん)。

 えっえっ??、、、ということは、わたしがアマゾンにオーダーを入れて購入したか、誰かがわたしにそっとこの本を送ってくれたのか?そのどちらかになる。少なくとも、秘書の内藤がアマゾンにオーダーを入れた形跡はない。

 本の奥付を見てみた。佐々木さんの本は5月29日の刊行。槇社長の手紙は、2022年6月8日。アマゾンのオーダースリップでは、注文日が6月14日。こちらの方が日付が新しい。槙社長がわたしに本を送ってくれたはずがないことが、これで確認はできた。

 

 わたしの勘違いから来ているのだろう。不思議な偶然だが、何が起こっているのわからないままだ。自然栽培米からどぶろくを作っているシェフの本と、国産米に拘って米菓を加工販売している会社の社長さんからの手紙が、机の上でたまたま重ねて置かれていたのだろう。それが取り違えの原因だったらしい。

 数年前に亡くなった同僚の遠田雄二教授が、「誤解の生産性」としばしば呼んでいた現象だ。遠野の一軒宿のシェフの本を、米菓会社の社長さんがプレゼントしてくれた。わたしは、そんなふうに勘違いしていたのだった。誤解をしたままの状態が、半年ほど続いたことになる。

 偶然の出来事はさておくこととして、本書の内容を紹介してみたい。とても興味深い書籍である。

 ちなみに、秘書の内藤に頼んで、さきほど本書を3人に送る手配をしておいた。槙社長、辻中さん、長男の由の三人である。なお、ワインの醸造とどぶろくの発酵プロセスの類似性について書かれていたので、サントリーの松尾英理子さんに本書の表紙を送信してみた。そうしたところ、彼女は本書を7月にすでに読了していた。

 もしかして、松尾さんがプレゼンターなのかもしれない。

 

  *   *   *

 

 図鑑のような大盤の本のとびらを開くと、つぎの2行の文章が目に飛び込んでくる。

 

 土から考える「とおの屋 要」の

 米づくり、どぶろく醸造、発酵料理

 

 本書の概要は、わずか2行で尽くされている。

 オーナーシェフである筆者、佐々木要太郎さんの提供する商品は、遠野のテロワールで育まれた国産米を基に作られている。品種名は、遠野一号。戦後になって、それまで冷害に苦しんできた岩手人の田んぼから一度は消えてしまった、北海道由来の品種を復元した奇跡の産物である。

 オーベルジェ「とおの屋 要」は、一日一組で最大6名までしか宿泊客を受け入れない。佐々木シェフから提供される料理とどぶろくは、無農薬無肥料で自然栽培された米がベースである。わたしは料理研究家でも、酒造りに詳しいわけではないが、まずは、どぶろくの醸造についての記述に感嘆した。

 酒づくりについて、わたしが日ごろから聞いている話と真逆の説明がなされていたからである。一般的な知識では、白米の外側部分に含まれている雑味を排除するため、日本酒の醸造に用いる中心部分は小さいほどよいとされる。つまり、精米歩合が35%とか45%などが良いとされる。ところが、佐々木さんのどぶろくの精米歩合は、いまでは95%ほどになっている。それには二つ秘密がある。

 

 ひとつは、自然栽培されたあとの土壌の変化という要因から来ている。

 佐々木さんによると、自然栽培を続けていくと、田んぼの様子が変わっていくという。無農薬無肥料で遠野一号の栽培を始めてから、それまで化学肥料と農薬で傷んでしまった土壌が、自然に近い状態に戻っていった。無農薬栽培なので、土壌細菌が健全になる。化学肥料の投入をやめたことで、腐葉土を中心とする循環型の土壌ができあがった。

 つぎに佐々木さんが指摘するのは、「慣行栽培された現代米は、その糖質が酸化して劣化しやすい。玄米で食べるより、白米で食べる方が安全です。米糠に残る農薬を避けることができますから」(P.136)。胚芽などの栄養が集まっている米糠は、慣行栽培では一部に毒性が含まれている。なので、精米後の料理には向かないことになる。

 ところが、自然栽培された遠野1号ならば、精米後の白米だけでなく、玄米を削った残りの米糠のほうも、どぶろくや料理に使用することができる。玄米を白米と米糠に分離して、別々に木桶の中で発酵させる。収穫した米はすべて、どぶろくの醸造に利用できる。しかも、どぶろく(お酒)を造るために、白米はほとんど削らず丸ごと発酵に利用できる。

 

 収穫物を丸ごと利用することができるのは、田んぼの土壌が健全だからである。昆虫や微生物・菌類が共生できる環境と、遠野一号がもつ品種特性によるものである。

 「収穫したばかりの遠野一号の新米は、さっぱりしていて淡白な味です。けれども、それを寝かせておいておくだけで、旨みがあがっていく。糖質の強い米より美味しくなる」(佐々木さん、P.137)。

 品種改良に合わせて、農薬と化学肥料で糖質が高く作れるようになった現代米の場合は、時間の経過とともに劣化が進む。「収穫時が旨味のピークで、その後は徐々に劣化、酸化していくため、醸成にはむかない」(P.137)。遠野一号は、冷害に強い北海道から来た品種である。生産性は若干犠牲になるが、淡白な旨みがあって、なおかつ劣化しにくい品種なのである。

 どぶろくの発酵過程でも、田んぼから穫れた自然栽培米が威力を発揮する。土の中の自然な生態系を保持しながら作られた米は、微生物の酵母が元気に発酵を促しやすい。佐々木さん曰く、稲藁で燻して米糠を発酵させるのは、野焼きのイメージなのだそうだ。

 子供のころの一時期(4歳から6歳まで、1950年代の後半)、わたしは秋田の田舎で暮らした。母の実家が地方の大きな地主だった。冬場にたい肥を漉き込む前に、もみ殻を田んぼで焼いていた。きっと佐々木さんがいう「野焼き」とは、そのようなイメージだったのだろうと思う。あの時代の稲作農業では、生態系を考えた循環型の農作業が行われていたのだ。

 

 佐々木さんはシェフなので、最後の章では、自分が美味しいと思う料理の作り方を紹介している。第Ⅲ部「発酵と料理」について」にある、各節のタイトルリストを紹介することにする。佐々木さんが作る料理を理解するには、それだけで十分だろう。節のタイトルを登場順に列挙してみる。

 腐れ飯、野菜の熟ずし、重石と発酵、自家製雪納豆、カビの蓋、納豆のスフォルマート、海うなぎ、カラスミ、ジビエ、のどぐろの手切れ漬け焼き、豚肉の熟ずし茶碗蒸し、、、などなどと続く。

 佐々木さんの創作料理の原点は、田んぼの見回りの時間だそうだ。「稲の葉や畔の草たちに触り、虫を観察する。田んぼの水の張り具合をを見ているとき、田んぼの中に入って黙々と作業をしているときに、ふっと料理のアイデアがおりてきたりする」(P.172)。自然との交流が、彼の料理のアイデアの源泉なのだろう。

 わたしも同じ体験をすることがある。それは森の中を走っているときだったり、走ることをやめて水辺を歩いているときだったりする。自然の中で、ユニークなアイデアは生まれる。ただし、思いつきが熟成するいはそれなりの長い時間が必要である。佐々木さんも、似たような体験をしているのではないだろうか?

 3千円を超える高価な本だが、一読の価値はある。チャンスがあれば、遠野にある「要さんの宿」に仲間と一緒に投宿してみたいものだ。