【書評】石井淳蔵(2017)『中内功 理想に燃えた流通革命の先導者』PHP研究所(★★★★★)

 石井先生が、戦後流通革命の旗手、中内功さんの評伝を書くとは意外だった。しかし、考えてみれば、神戸大学を退職したあと、田村教授の後任として、石井さんは流通科学大学の学長に就任している。PHPがシリーズ「日本の企業家」を刊行するとしたら、書き手の第一候補は石井さんだったろう。

 

 わたしは、生前の中内さんに一度もお目にかかることがなかった。それゆえ、生身の中内功氏を知らない。中内さん以外は、幸いにも、流通革命を先導してきた経営者たちについては、一度はその肉声を聞く機会を持つことができている。セゾングループ総帥の堤清二さん、ヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さん、イオンの岡田卓也さん。そして、彼らを指導してきたペガサスクラブ・チーフコンサルタントの渥美俊一先生。

 そんなわけで、石井先生の中内評伝を読んではじめて、真の中内さんの人となりを知ることができたと思う。それは、作家の佐野眞一が著した『カリスマ』や、元同僚の松島茂教授が聞き取りに参加した『中内功 回想録』の読後感とはまったく異なる中内像だった。

 数年前に読んだ2冊から受けるダイエー創業者中内功の印象は、成功者として走りぬけた後の苦渋に満ちた姿である。どちらかといえば、晩年の不如意な功績を作家や学者が詰問するというスタイルである。書き手に悪意はないとしても、読者のわたしには、中内さんの人物評が「ネガティブ」に読めてしまった。

 それだから、本人を知らないわたしに、石井さんの著作は新鮮で「ポジティブ」な中内像を伝えてくれた。ありがたい印象の変化である。そして、やさしさにあふれた中内像に接することができた。その意味するところは、書評の最後で述べる。

 

 中内評伝は、345頁の大著である。3部構成の作品全体にコメントすることは、あまりに難儀な作業になる。そこで、二点についてのみ、本書を論じることにする。

 第一に、中内さんが生まれた、大正という時代背景と政治文化に関わる本人の思想傾向についてである。

 序文でも触れられているが、本書の新しさは、「デモクラシーや自由という時代の思想の中で、中内の活動の一貫性を捉えようとしたこと、ダイエーの戦略や組織的な展開に注目したこと、そして実業界だけでなく政治や教育の分野での活躍にも焦点を光を当てたことである」(3頁)

 松下幸之助や豊田章一郎、稲盛和夫しかりで、稀代の企業家は、後進の育成(企業内教育、私塾)や教育分野への貢献(学校の設置)によって生涯の業績を評価されている。中内さんも多くの企業人に影響を与え、国の教育制度(中教審)にもの申してきた。晩年は、流通科学大学を設立して後世への遺産とした。

 

 なぜそこまでして人材育成や教育制度にこだわったのかについて、これまでは十分な説明がなされていたわけではない。石井先生の解釈は、中内さんの思想の背後にあったのが、大正デモクラシーと自由主義の思想だったというわけである。これは、石井さんが提供した新しい視点である。

 たしかに、わたしの知る限りでも、ダイエーの社風は、IYやイオン、セゾングループのそれとは大きく違っている。よく言えば、自由闊達である。悪く言えば、やや粗けずりの野武士集団が残した仕事の軌跡である。未完でやり残しが多い。

 たまたまいま、わたしはローソンの成長の軌跡を一冊の本にまとめようとしている。1975年創業のローソンは、中内氏の引退と期を同じくして産業再生機構の管理下に入った(ダイエーの関連会社として)。そして、2001年に三菱商事の傘下に入り、ほどなくして東証一部上場を果たす。その後の新浪改革を経て、ダイエーの人材は社外に散っていくのだが、ローソンの社風から中内イズムは消えることがなかった。

 いまでも、ダイエーの企業としての自由闊達さと中内さんが蒔いた反骨精神は、ローソンにも社風として色濃く残っている。それは、無印良品(良品計画)が、いまだに堤イズムを継承している姿と相似形である。中内さんの場合で象徴的なのは、このあとの二番目のポイントとも関係するのだが、企業としてのリスクの取り方(自前主義)と事業範囲を設定の仕方(総合的な経営)である。

 

 本書が取り上げている論点で、二番目に注目したいのは、第二部「論考」の「Ⅰ 二つの「流通革命」ーー中内功と中内力」である。この章は、23頁とごく短い記述ではあるが、本書の中でもっとも重要で、それゆえにオリジナリティの高い論考である。

 ダイエーが選びうる路線として、もうひとつの選択肢が用意されていた可能性が、この章では示されている。1970年の少し前、末弟の中内力がダイエーを去るときまで、中内兄弟の対立点を整理すると問題は3点だった。(以下は、石井さんの整理をそのまま言葉にする)。

  ①チェーンの規模のエコノミーと個店利益の積み上げ

  ②垂直統合と商人純化

  ③連邦経営主義と統一経営主義

 石井先生は、中内功の立場を、①チェーン全体での利益創出、②垂直統合志向、③自社主導経営としている。力専務の立場は、それとは真っ向反対である。*①個店の利益重視、*②商人の役割に純化、*③他社の自立性重視(=連邦経営志向)で整理できる。

 

 兄の中内功氏の考え方は、全体としては一貫している。生前の渥美先生の話を聞いた経験から、中内さんは渥美理論の忠実な信奉者であり、実践者だった。①~③は、渥美先生が二段階革命論を説いて、その後に指導した多くの企業にSPA(製造小売業)を志向させたことと軌を一にしている。どちらかと言えば、中内さんが亡くなった晩年でも、渥美先生はヨーカ堂の経営には否定的な発言が目立った(わたしはそう感じたものだ)。 

 弟の力専務の路線は、イトーヨーカ堂の考え方に近かったと言える。1990年代に入って、業務改革とコンビニ経営で復活を果たすイトーヨーカ堂の経営は、もしかするとダイエーにとってもうひとつの道を示していたのかもしれない。石井さんは、著書の中でつぎのように結論つけている。

 「もし彼(力氏)がダイエーの主導権を握っていれば、ダイエーはイトーヨーカ堂とイオンを足したような会社になっていたかもしれない」(本書、270頁)。しかし、これだけは、歴史のタラレバであろう。

 流通経営の路線対立の歴史は、いまだに続いている。石井先生が評伝で取り上げた論点、「中内兄弟の対立点で示した絵図」はいまだ活断層のように動いている。

 持たざる経営か?垂直統合か?それは、「流通(商人)が生産と調達にどこまで深く関与すべきか」という根本的な問いを投げかけてくる。

 

 流通革命の第二世代に目を転じると、垂直統合を志向して製造小売業に転換した企業が勝利者になっている。ファーストリテイリング、ニトリ、カインズ、西松屋、サイゼリヤ、日高屋。中内さんや渥美先生に直接の指導を仰がないとしても、何らかの形で、これらの企業は「中内イズム」を受け継いでいるといってよいだろう。

 共通点は、顧客第一主義(フォー・ザ・カスタマー)と総合型の小売業(SPA)を経営の柱としている点である。セブン&アイグループだけ(セブン-イレブン)が、この例外で成功した企業だった。ただし、わたし自身は、石井さんが投げかけた問いに対するもう一つの回答が、コンビニ業界の社会実験によって数年以内に明らかになると思っている。

 それが証拠に、例えば、第1世代(藤原元社長)では非SPAを志向していたファッションセンターしまむらや、大手の食品スーパー(ライフやヤオコー、エブリィ)が、いまや生産段階(内製化、農業部門)に乗り出そうとしている。IT技術の発展(AIとクラウド化)と不足の時代(食料危機)が到来すると、供給源をおさえた企業が勝ち組になる可能性がさらに大きくなる。

 

 最後に、石井先生の筆致について、ひとこと述べておきたい。

 第一部(中内功の評伝)において、余計な解釈をほとんど加えず、事実のみを羅列していく「乾いた」書き方に感服した。わたしならば、個人的な思い入れを文章にしてしまったはずである。その誘惑を断ち切るのには、並々ならぬ勇気がいる。

 そうした抑えた書き方を採用したことが、本書の大いなる成功に寄与している。だからこそ、作家の佐野眞一や、研究者の御厨・松島・中村を超える評伝を著すことができたのだと思う。