上海行き(4月13日~15日)を中止に。本日は、「ハイディ日高」本社@大宮に行きます!

 羽田空港にいる松島専務と電話で話した。JFMAのメンバー数人と、松島さんは上海に行くことになっている。わたしは、二年ぶりの上海行きを中止した。スケジュールがタイトすぎることが理由だが、上海の花展示会を見る気力がわかないからだ。


大震災で延期になっていた、ほぼすべての講演会や取材が復活している。先週からである。結局は、ほとんどの講演会は最終的には中止にはならなかった。二か月先延ばしになっただけである。
 4月と5月は、以前と同様に忙しくなっている。ただし、あまり乗りのりな気分にはなれない。「震災欝」の症状が自分のなかにも見られる。
 
 本日は、ひさしぶりに、新規の仕事で大宮に行く。ラーメンチェーン「ハイディ日高」の取材である。創業者の神田正会長にお話を伺うことになっている。ヤオコーの犬竹さん(日本アポック会長)にご紹介をいただいた。神田会長も犬竹さんも、ご出身が同じ日高だからである。「日高(屋)」は、埼玉県の地名から来ている。
 拙著『しまむらとヤオコー』を読んだある雑誌の編集者から、「なぜ、埼玉の飲食業は強いのか?}というお題をいただいた。対象企業は、ヤオコー(川越)、日高屋(大宮)、サイゼリヤ(吉川)の3社である。検索して、調べてみたらしい。
 ところが、サイゼリヤは、千葉県市川市出身である。編集者がまちがえたのは、埼玉県の吉川に、サイゼリヤが、現在、本社と工場をもっているからだった。対象企業が、いったい二社だけでよいのかどうか。明日の取材が心配ではある。その他、飲食関連で埼玉出身の強い企業はあるのだろうか。  

 本題からは外れてしまうが、ずいぶんと昔の話になる。大学院生だった1976年からほぼ10年間、わたしは総武線の下総中山駅近くのマンションに住んでいた。そのころ、隣駅の本八幡駅(市川市)にサイゼリアがあった、チェーン展開をはじめてから最初の店で、同社の沿革によると、3号店となっている。
 本八幡の店を覚えていたのは、生まれてはじめて生ハムを食べたのが、サイゼリヤだったからである。まだ、ピザやスパゲティさえ、珍しい時代である。そのころ、生ハムの味を知っている大学院生など、あまりいなかっただろう。
 なぜ、サイゼリヤを知っていたかといえば、下総中山駅の近くに、「わいわい」(waiwai?)というスナックパブがあった。そこのグルメなお客さんが、ある日のこと、隣駅のサイゼリヤに連れて行ってくれた。馬込沢から来ていたひとで、名前は?忘れてしまった。
 その後に、結婚してから何度か、サイゼリヤ市川店(本八幡)に行った。わが家に遊びに来てくれた友人を連れて、わりに改まった場として利用していた。ワインに、チーズと生ハムを食べていた。低価格ではなかったが、あのころから、サイゼリヤのピザやスパゲティはおいしかった。
 いまは低価格の飲食チェーンとして有名になったが、当時は、割りにグルメがお客さんが主体だった。雰囲気ももっと個人店のような印象の店だった。

  さて、サイゼリヤは埼玉出身ではなかったので、本日は、ハイディ日高を取材する。午後に帰宅の予定である。報告は、夕方以降になる。競合である幸楽苑とはどのように違っているのか。興味深いテーマである。