2020年度の前半は、全面的にリモートオンライン授業で終わった。「オンライン授業で大学卒業資格を得られるなら、通信教育や放送大学とどこがちがうのか?」 そんな疑問が父母から寄せられている。大学はどのように答えているのだろうか?そもそも教室での対面授業がない学生は気の毒である。
学部生からは、「キャンパスが利用できないのなら、授業料を返還してほしい!」との意見が飛んできそうだ。もちろん大学としては教職員の数は同じだし、キャンパスを維持管理するお金は変わらない。費用面からは「返金できない」と返答はできるのだが、サービスを受ける学生や父母の側からは、内容の薄いオンライン授業(*大教室だと「単なる配信サービス」)は高額な授業料に値しないとのクレームが出るのは当然のことのように思う。
というわけで、夏休み明けには、対面主体の授業に戻るべきではないかと考える。理系のクラスは実験などがあるので、前期も対面で授業をやっているとばかり思っていた。しかし、お子さんを理系学部に入れた知り合いに聞いてみると、入学したばかりの理工系・生物系の新入生は、オンラインで授業を受けているようだ。
秋になったら授業環境も変わってくる。考え方の問題なのだが、教室の扉を開放してきちんとコロナ対策のマスクをして、対面で授業を受けるようにしたらどうだろう。
感染リスクの問題は最小にとどめられる。コロナウイルスの感染を怖がっていては、教育効果が上がらないことは自明である。そろそろ大学も、小中学校並みにクラス授業に踏み切るべきではないだろうか。
オンラインで3か月以上授業をしてみたが、少なくともわたしには、教育をしているという手応えが感じられない。zoomでは、教育の感覚がない。情報を伝えているだけである。
たしかに、オンラインにはよい面もある。遠隔地や地方にいる人にとって、オンライン会議は移動しなくて便利である。交通費も宿泊費もなしですむ。コスト優位はあるし、参加者も広く募ることができる。わたしも、JFMA(日本フローラルマーケティング協会)のフラワービジネス講座をオンラインで実施して、その効果はまちがいなく認めている。受講者にとっても便益は高まっている。
しかし、大学の授業に関していえば、オンライン・オンリーには限界があると思う。いまの通信技術のレベルであれば、臨場感が不足する。教室での授業は、舞台演出のような側面がある。息遣いがないと、ほんとうに大事なことは伝わらない。インタラクションにも問題がある。
一対一のやりとりは良いのだが、一対多のやりとりには問題がある。司会者(教員)がずいぶんとうまくコントロールしても、対面の臨場感は演出できない。そして、オンラインで授業を受講する孤独感からは逃れられない。
結論である。授業料に見合ったサービスを提供するために、クラスでの対面授業を復活すべきである。感染リスクを取りたくない、それだけのために対面授業に踏み切れないだけのことである。この先数年は、コロナと一緒に生きなければならない。なので、感染リスクは最小限にとどめながら、開放的な授業を許可してもらいたい。
大学制度の悪いところは、全学一律のコントロールと授業形態を要求することである。役所と同じで、誰もリスクを取りたがらない。実は、コロナの感染者が減少した5月~6月にかけて、大学院と学部で二回ほど対面で授業を実施した。そのときの学生たちの笑顔が忘れられない。
多少のクラスターが全国で発生はしているが、そのくらいのリスクはとってもよいのではないだろうか?若い人は、重症化率が低い。わたしたち教師には、「手触り感のある教育をする義務」がある。例えていえば、小中学校の教員や医療従事者と同じ責任を負っている。
感染リスクと教育効果を天秤にかける時期だと考える。わたしは、リスクをとってもいいと感じている。学生たちに良い教育を提供する使命を、わたしたち大学教員は持っている。