【柴又日誌】#216:佐野くん夫妻を新居(築7年)のホームパーティにご招待。わんすけシェフは、ワンバーグとスペイン料理のピンチョスを振舞う。

 46年間、大学で教鞭をとっていた。学部生や大学院生からは、結婚式に呼ばれることもしばしばだった。しかしながら、基本的に結婚式の挨拶は辞退するのは当然のこととして、式への出席も断ってきた。誰かの時に出席して、別の誰かのときには欠席するとなると、不平等・不公平になるからと思ったからだった。それを言い訳に出席を断ってきたが、実は現役時代は忙しくてそれどころではなかったからだ。
 
 ゼミ生が毎年10人~12人が卒業していった。在職46年間だったので、トータルで教え子は500人強になる。ただし、初年度は研究助手だったのゼミ生はゼロだった。大学院生のゼミのほうは、新しく教授になってからである。35歳の大学教授は、東京6大学で最も若かった。
 こちらも、大学院主任を担当した1990年頃からゼミを始めている。年間3~4人に修士論文の指導を担当してきたから、35年間では合計で120人以上になる。大学院のマーケティング論は、必修科目だった(受講生は30~40人)。授業だけでも、約1000人の社会人学生を教えてきた。
 これ以外にも、ドクターコースで博士課程の学生を担当していた。本学以外に他大学を含めて、教授(専任講師)になった学生が20人以上はいる。ふつうの教員なら、ゼミ生に頼まれてする仲人など、10組くらいは面倒を見てあげるのが普通だろう。
 
 ところが、初期のころに何件かの例外はあるが、結婚式の出席と挨拶はすべてスキップしてきた。いわんや、仲人などは引き受けようと思ったことが一度もなかった。と言いたいところだが、生涯一度だけ、たった一回だけ、夫婦して仲人を引き受けたことがある。
 ところが、そのときに仲人を引き受けた相手は、ゼミ生ではなかった。法政の経営学部に就職した初年度、クラス授業(外国語経営学)を担当した学生だった。佐野秀行くん。佐野くんとむつみさんのご夫妻である。
 わたしは新任の講師で、周囲からの情報があまりなかった。考える余裕も、断る理由も思い浮かばなかったのだろう。本人も結婚したばかりで、世間的な事情がよくわかっていなかったことが原因だろうと思っている。 

 佐野君の依頼を断れない理由が、もう一つあった。卒業後の佐野君(金融のゼミ)は、千葉銀行に勤めていたからだ。わたしたちが米国留学から戻ってからは、千葉銀行の小室支店(千葉ニュータウン)に勤務になっていた。新興住宅地で、新しい戸建て住宅への融資などを担当していた。
 結婚してからのわたしたち夫婦は、千葉県市川市(最寄駅は総武線の下総中山駅)の中古マンションに住んでいた。帰国後に、3番目の子ども(真継くん)が誕生したので、さすがに3DKの家が手ざまになった。また、米国カリフォルニアでは庭付きの一戸建てに住んでいたものだから、郊外の一戸建てで子育てをしてみたいと思っていた。
 そこで、佐野君に、千葉ニュータウンで中古住宅か土地を探してもらうことになった。考えてみれば、米国に留学する直前には、ホンダのディーラーに勤めていた佐野君の父上から、中古でホンダ車を購入していた。客観的に見ると、生活全般の面倒を佐野さん親子に依存していたことになる。

 というわけで、1986年に、千葉県印旛郡白井町清水口3丁目に、ミサワホームの新築一戸建てを建てることになった。そこから40年ほどが経過している。その後のことは、世の中によくある話である。
 わたしたちの3人の子供(男子2人、女子1人)も、それぞれ社会人になって独立している。ふたりは、京都と神戸に家を買って独立して生活している。ひとりは、東京都葛飾区で、わたしたち夫婦と家族ごとまるごと同居している(2世帯住宅で6人家族)。
 佐野君のところはその後はよくわからないが、たぶん2人のお子さんは独立して暮らしているはずだ。佐野くん自身も、数年前には千葉銀行を退職している(*わたしより関連会社への出向が早かったかもしれない)。関連会社も退職して、いまは自由の身でボランディア活動をしているらしい。
 先日、わたしにお願いの電話があった。ボランティア団体の企画運営を担当しているらしく、「法政大学文学部の高橋先生を紹介してほしい」との依頼の連絡だった。わたしは直接の知り合いではなかったので、他の部門(文学部事務課)に当たってもらった。
 他方で、むつみさんは、いまだに働き続けているらしい。そのために、わが家の訪問が本日(日曜日)になった。

 さて、最後に佐野君夫妻に会ったのは、ずいぶん前のことになる。きっと、この家(葛飾区高砂8町目)に移住する前のことになるだろう。津田沼の「神楽坂つくし」で会食したのが、もしかすると最後ではないかと思う。後ほど確かめてみたい。本当に、このごろは驚くほど記憶が曖昧になりかけている。
 わたしたちとしては、佐野家をにいつか高砂の新築に招待しようと思っていた。ところが、時間がどんどん先に流れてしまっていた。先々週、佐野くんからたまたま講師依頼の相談の電話を受けたとき、「新居にお伺いしたいと思っていたのです。先生のインスタをよく見ています」とのことだった。フォロワーがたくさん(2.2万人)いるので、ひとりひとりがチェックできていない。
 わたしたちは佐野ご夫妻の仲人なので、その後の佐野家の様子も気になってはいる。千葉ニュータウン(白井市)で家を新築したあと、7年前に再度ミサワホームで新築している。だから、佐野くんご夫妻もきっと、どんなところに引っ越したかは気になっていたのだろう。ご両親やお子供さんの様子も知ることなく、そのままになっている。
  
 そんなこともあって、津田沼の「神楽坂つくし」か、高砂の「寿司ダイニングすすむ」に、おふたりをご招待したいと思っていたところだった。
 本日これから、夕方5時に、佐野さん夫婦が高砂のわが家にやってくることになっている。最初は、京成高砂駅まで「わたしがお迎えに上がります!」とLINEで返信した。インスタを見ているようなので、新居の概観や玄関の花苗の様子まではわかっているだろう(笑)。駅からわが家までは5分の道のりである。ふたりで仲良く歩いてくるそうだ。
 あいにく真継の家族(梓ちゃんと孫たち2人)は、千葉ニュータウンまで穂高の野球合宿で出払っている。静かなホームパーティーになるが、いまは夕方からの料理の材料を準備しながら、ふたりの受け入れを準備している。
 わたしは朝から、ABCクッキングスタジオで習ったハンバーグ(ワンバーク)と、ピンチョス(スペイン料理)の具材を作り終えたところだ。久方ぶり(と言っても一週間ぶり)のエプロン姿で、キッチンに立っている。かみさんは、マギーズピザの生地をこねている。
 そろそろ、わたしもピンチョスの続きのクッキング作業のため、キッチンに戻ることにする。

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