今回のコラムは、わたしが経営学部長(2002年~2004年)から大学院の学科長(2010年~2012年)にかけて経験したことを書かせていただきました。この10年間で、大学の制度改革で大きな貢献ができたと思います。だだし、そのプロセスでは、従前の制度や仕組みを変えるため、学内で猛烈かつ陰湿な抵抗にあいました。
それも振り返ってみれば、今は昔のことです。いまも社会における大学・大学院の役割が問われています。大学は、さらに変わらなければならないですが、その体力と気力が日本の大学に残っているかどうかは、はなはだ疑問に感じます。
若い先生たち、研究も大切ですが、しっかりと教育にも貢献してください。21世紀のあるときに、世界から大学という制度が消えてなくなっているかもしれません。それくらいの気概で取り組んでください。
(その83)「資格や職業に貴賤はあるか?」『北羽新報』2023年7月24日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
生涯で一番にショッキングな事件が、日本初の一年制専門職大学院を創ったときに起こりました。2004年の春のことです。自らが創設に関わった大学院で、開校初年度から7年間に渡って、大幅な定員割れが続いたからです。
この年は、専門職大学院の制度が発足した年でした。弁護士(ロースクール)や公認会計士(アカウンティングスクール)、経営管理修士(ビジネススクール)の資格が取得できる大学院が設立された年です。卒業後は、いずれも資格取得試験が一部免除になる制度でした。
「法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科」(ビジネススクール)も、この年の4月に開校しています。ところが、わたしどもの経営大学院は、昼間の一年制大学院でした。入学を希望する社会人は、会社を辞めて大学院に通う必要があります。
というわけで、初年度から定員60人の枠が半分も埋まりません。絶望的な気持ちで2年間を過ごしていたことを思い出します。初年度の入学者は23人、翌年度は33人でした。
経営学部を飛び出し、退路を断って大学院の専任教員になりました。定員割れが続くと教員のポストを失います。開校5年目には責任をとって、大学院の学科長(校長)に就任しました。校長を引き受ける前の2016年のある晩、苦境を脱するためのアイデアが閃きました。
通商産業省出身の元同僚から、ある情報がもたらされたからでした。2007年から、中小企業診断士の資格取得課程が、大学院教育に開放されるという噂でした。それなら、MBA(経営管理修士)と中小企業診断士の資格が同時に取得できるプログラムを設計すればよい。
文部科学省と中小企業庁と同時に交渉を行い、その年から、「MBA特別プログラム」を発足させました(初年度の入学者は16名)。20年後のいま、毎年約40名の中小企業診断士を送り出しています。現在、法政大学は、中小企業診断士の業界で、質・量ともに圧倒的な勢力を誇っています。
同じころに、学部・学科の創設に関して2度目のショックを経験します。2008年に理工学部に「航空操縦専修」という資格課程を設けました。わたしの発案から始まったプロジェクトでした。パイロットを養成するための学科内の専修コースです。同年、生命科学部の中に、「植物医科学科」を創設する提案をしました。「植物医」を養成する課程でした。
約5年をかけて、学内で資格取得コースと大学院の専門課程を3つ作りましたが、わたしのやり方は、一部の教授陣からは不評でした。批判の論理は、次のようなものです。
簡単に言えば、わたしがデザインした資格取得コースや大学院のプログラムは、「高級職業専門学校」だという言い分です。プロ経営者や中小企業診断士、パイロットの養成は、大学が果たすべき使命ではない。たとえば、JALやANAの社内職業訓練学校に任せればよい。
わたしは常々、学生たちに「人間にも職業にも貴賤などない」と説いています。大学が果たすべき役割は、知的生産性の向上に寄与するというアカデミックな役割の他に、有為な人材を世の中に送り届けるという教育上の使命があります。アカデミズムの信奉者は、自身の研究業績を高めることには熱心ですが、教育活動は明らかに手抜き気味です。
医者や弁護士、教授職はすばらしい職業だが、パイロットや中小企業診断士は基本的に力仕事で、大学が担うべき人材育成の枠の外にある。こうした考え方には、職業や資格に対する差別意識があるように思います。