ビジネス書翻訳出版の舞台裏

 ジム・イングリス著(2023)『史上最強のホームセンター』(ダイヤモンド社)を、先月11日に刊行した。なかなかタフな仕事だった。内容に問題はないのだが、筆者のヤンキー魂に火が付くと、英語の文章が下品になってしまう傾向があったからだ。とりわけ、競合チェーンを蹴落とすなど、攻撃的な場面に差し掛かると、筆者のペンからアドレナリンが大量に排出されるらしかった。

 

 うーん、どうなんだろう。「こんな汚い表現、日本語にどうやってするのよ。やれやれ、、」と共訳者の林麻矢さんには、大いに嘆いたものだった。

 インディアンに立ち向かうカウボーイが登場する西部劇や、マフィアの親分が顔を出すサスペンス殺人劇や、戦争の場面で軍隊が登場する映画でよく見かけるセリフの頻発。マッチョなアメリカ人にありがちな、お行儀の悪い汚い言葉。最近では、アメリカ映画『マクドナルド帝国のひみつ』で、創業者レイ・クロック役を演じたマイケル・キートンのしゃべり方が、けっこう下品だった。

 映画スクリーンの名翻訳者、戸田奈津子さんなら、このケースをどのように処理したのだろうか? ついつい考えこんでしまった。英文字幕の翻訳専門家は、下品なスラングをそのままの雰囲気で訳すようよう努力したのだろう。しかし、今度の本はビジネス書である。こちらは、上品な学者さんチームである。

 

 ビジネス書では、基本的に下品な英語のニュアンスを、訳文に持ち込む必要はない。共訳者の林麻矢さんとは、本書の翻訳を始める前に、そのようにルールを決めておいた。この原則を事前に合意しておいたのは正解だった。いまでもそう思っている。

 そんわけで、昨日、麻矢さんには、「下品な訳文を本文中から抜き出して、原文と対比してみてください。具体例をお願いします!」とリクエストしておいた。このブログで引用するためである。先ほど、てんこ盛りの事例が送られてきた。あからさまに下品な表現と、そこまでやるか!という問題行為がオンパレードだった。

 麻矢さんのメールは、つぎのような説明ではじまっていた(*→から先の文章は、小川のコメントです。)

 

 (小川先生へ)

 美しい日本語になっているかどうかですが、過激な表現を抜き出しておきます。言葉自体もそうですが、「やっていること自体」が品がないものが多かったかと。

 先ず、Bleeding Orange CultureのBleedingもあまり品がないかと。

 → Bleeding = 出血する、血を滴らせる。つまり人間の殺戮とか、牛や馬を潰すというニュアンスの言葉使いである。

 

1.破れた競合相手を墓場に送る(写真:原本P.34)
 図表1:米国の従来型HCの墓

  → 容赦なく競合を蹴落とす=殺して墓場に送る

 

2.競合店のオープンの日に黒いバラを持って行く(本編P.48)
(訳)そしてリンズレーの店長に黒いバラの花束が贈られた。それは、彼の店の終焉を意味するものだった。そして黒いバラの予言通りに、それからわずかの間にリンズレー店は閉店してしまった。

  → あまり紳士的ではない。日本人の感性からすると、無礼に当たる行為。

 

3.競合店の社長の写真を会議室に貼って、潰れる度に×を付ける(本編P.48)
 南カリフォルニアに西海岸のマーチャンダイジング・オフィスを開設したころ、その市場には8社ほど従来型のライバルHCが立地していた。各社のCEOの写真を、私たちは会議室に貼っていた。そして、赤い×印を、それぞれの会社が廃業するたびにつけた。このやり方は大いにスタッフたちを鼓舞した。西海岸市場に参入して間もないころで、小規模でスタートしたのだが、それでも私たちは、オレンジ色の「突撃、突撃、突撃」モードだったのだ。

  → マーケティングは戦争用語が多いのだが、この手のプラクティスを平気で文章にするのは、いかがなものか?

 

4.Yet, very competitor started putting lipstick on their pigs…..(本編P.31)

 しかし、ライバル社はこぞって、うわべだけを整えるために、みすぼらしかった店舗の「近代化」を始めた。

  → 豚に口紅を塗る=、、、 英語の慣用表現だからいた仕方がないとはいえ、英語のスラングは汚いなあ。

 

5.Damn the torpedoes – full speed ahead!(本編P47)

 「魚雷をフルスピードで前にぶっ放せ!」。

  → この程度ならば、まだ良しとしようか。

 

6.…, and the answer was always, “KICK ASS!”

 答えはいつも、「KICK ASS!(蹴っ飛ばせ!)」だった。

  → けつの穴に蹴りを入れる?

 

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 なお、このように書籍の評価を留保するような書き方をしたのは、わたしたち翻訳者としては、どうにも文体が気に入らなかったからです。著者の文体に対して、知性の不足を感じてしまったからでした。

 こんなことを書いたのは、元ゼミ生、当時ゼミ長だった関戸くんから、こんなメールが戻ってきたからです。Amazonに載っている、ホーテポの本を試し読みしてくれた返礼でした(*アクセスの仕方は、下のメールに書いてあります。試し読みをしてみてください)。

 小川先生、遅くなりました。
 サンプルを読ませていただきました。
 ホームセンター業界においてこんなにも素晴らしい経歴の方がいらっしゃるのですね。

 ホームデポの「従業員あっての組織」という考え方、逆ピラミッド型の組織図は、企業が発展する上で重要なことなんだなと思いました。
 どんな手法で様々なチェーンがホームデポに吸収されていったのか、興味深い著書だと感じました。

 

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 この返信に対して、訳者の小川先生としては、本当のことを返してあげました。次のようなメールです。

 

 関戸くん。読んでくれてありがとう。
 ホームデポは間違いなく素晴らしい会社ですが、その裏には、アメリカ的な攻撃性の高い交戦的な文化もあります。戦略と成果は素晴らしいですが、翻訳を担当した日本人のわたしとしては、なるべく攻撃性を消すように訳しました。企業文化の優秀さと思想性、パフォーマンスを全面に押し出したわけです。
 あらゆる企業活動には、光と影の両面があります。単純に礼賛ばかりするのは問題だとは思います。とはいえ、この本を広めるという使命を負うた翻訳者チームとしては、禁欲的に仕事を終えることにしました。
 わたしの感性からすると、著者のジムさんの英語は決して美しいものではありません。非常に下品な文体と用語も散見されます。ただし、そうした文章の品位は隠すように訳しました。
 わたしの日本語が、上品で美しく響くように細工をしてあります。

 

小川より

 ちなみに、訳文と原文を参照したい方は、以下のような手続きで、第一章が試し読みできます。

 

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 こんにちは。
 デジタル出版なので、献本ができないようです。こんな形になりました。お許しください。

小川(オフィスわん代表、法政大学名誉教授)です。LINEのアドレスを知っている方に送信しています。長くなりますので、ビジネス書にご興味のない方は、スルーしてください。構いません。

先月11日に、『史上最強のホームセンター』という51冊目の書籍をダイヤモンド社から刊行しました。
発売から約1ヶ月ですが、デジタル版オンリーいうこともあり、本そのものの存在が知られていません。献本もできないようですので、皆さんに、Amazonで試し読みができるURLをお送りします。感想を聞かせてください。以下に、試し読みの手続きを説明します。

アマゾンのKindleサンプル版で第1章までお読みいただけます。

「史上最強のホームセンター 常識破りのホームデポ経営戦略 Kindle版」
①以下のリンクをクリックすると、アマゾンの画面へと移ります。

 https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC-%E5%B8%B8%E8%AD%98%E7%A0%B4%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%87%E3%83%9D%E7%B5%8C%E5%96%B6%E6%88%A6%E7%95%A5-%E5%B0%8F%E5%B7%9D-%E5%AD%94%E8%BC%94-ebook/dp/B0BR3235LF

②試し読み(赤く囲んだところ)をクリックしてください。第1章の途中まで読んでいただくことができます。

よろしくお願いします。

 

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