遠い山脈(やまなみ):ブックオフ創業者、坂本孝さんの葬儀に参列して

 「ブックオク・コーポレーション」の創業者、坂本孝さんが1月26日に亡くなりました。満81歳(享年82歳)。波乱万丈の人生でした。昨日の葬儀は、出身地・甲府の葬儀場(アピオ甲府本館)にて執り行われました。わたしは葬儀に参列するため、あずさ17号で新宿から甲府まで中央線の特急電車に乗りました。

 

 喪主は、長男の宗隆さん。坂本さんの生涯を描いた小説を執筆するため、息子さん(宗隆さん)と次女の方にインタビューさせていただいことがありました。「俺のフレンチ/イタリアン」が華々しくデビューした2013年~2014年ごろのことです。

 小学館の編集者と出版の準備を進めていたところ、経営トップまで話が行った段階でこの企画はNGになりました。経営陣としては、自社の屋台骨を支えているコミックの売り上げが、中古市場の活況で大きく打撃を受けたことに我慢がならなかったようです。丸善の社長さんは、小学館や講談社の幹部とは逆に、坂本さんと一緒に新・中古本一体型の本屋をチェーン化しようとしていました。

 インタビューは、本人を含んで十人ほど。ハードオフの山本社長(後に、日本フランチャイズチェーン協会の会長就任)など、丸一年かかりで、取材メモは8割方が完成したところでした。わたしが当初考えていた仮のタイトルが、『遠い山脈:ブックオフの創業と俺の株式会社での再起』。

 いまでも、机の引き出しに、5冊の取材メモが残っています。出版社が見つかれば、いつでも執筆を再スタートすることができます。どこか勇気ある出版社で、ここぞと手を挙げてくださる編集者はいらっしゃいませんか?

 

 本で取り上げようと思った物語があります。甲府盆地から遥かなる山並みを超えて、まずは神奈川県の古淵駅前へ進出します。ブックオフの本部があった場所でした。それから中古本事業で全国制覇に打って出ていく坂本さんの姿は、戦に出向く武田信玄の如く勇壮に見えました。

 若かりし頃の坂本青年は、地元の大物政治家、衆議院議員の金丸信の選挙を取り仕切っていたと聞いています。祭りごとが好きな方でした。昨日も、八王子からあずさ号で峠を越え、一宮の桃の里駅を通過しました。春になると、この沿線には桃の花が咲き乱れます。

 甲府駅でタクシーを拾って式場に向かう途中、甲斐駒ヶ岳や北岳、南アルプスの山脈が美しく冠雪しているのが見えました。遠い山脈は、北アルプスまで続いています。

 コロナ禍の真っただ中でしたが、とても立派な大きな葬儀でした。ただし、わたしも弔問客も、ご親族にご挨拶はできず。弔問客同士も会話ができない静かな葬儀ではありました。広い葬儀場のホールに、僧侶の読経とシンバルの音が響いていました。わたしの知り合いで、来場したいができない友人・知人が多数でした。

 

 焼香を終えて、わたしは駅前のワインバー「一番館」で、坂本さんが好きだった赤ワインにて一人献盃しました。ルバイヤートという赤と白のワインでした。甲州のブドウでできた地元のワインです。

 坂本さんは、中古ピアノとオーディオ事業で2度、中古ビジネスの事業で失敗しています。家族を甲府市内に残したまま、夜逃げ同然で静岡へ飛びます。その後に創業したブックオフの中古本事業は、大ヒットして事業家として成功を収めます。ブックオフの加盟店が全国展開して、東京証券取引所1部に株式上場。そこが最初のピークでした。

 慢心からなのか、脇が甘かったのか、文春に商売上の利益供与と個人的なスキャンダルを暴露されてしまいます。親族や部下にも裏切られ、一瞬にして権力を喪失します。

 しかし、新しいビジネスを創る天才でした。数年後には「バリュークリエイト」(後の「俺の株式会社」)を興して、尊敬する稲盛さんに褒められていました。子供のように、うれしそうにニコニコしていましたが、その後もプライベートでは波乱万丈の生涯でした。

 アップダウンの激しい、ジェットコースターのような坂本さんの人生に黙祷。ご冥福を祈ります。