1982年、東北新幹線の大宮・盛岡区間が開業した。東京延伸は、バブルが弾けた直後の1991年。福島から分岐した鉄路が、奥羽山脈を越えて奥の細道を辿って山形まで伸びたのが、翌年の1992年。山形新幹線つばさ号も秋田新幹線こまち号も、在来線の軌道上を走る狭軌の新幹線である。イマイチ乗りごごちはよろしくない。
秋田新幹線が開業する前、わたしは上野から秋田まで、特急いなほ号か夜行寝台列車のあけぼの号を帰省に使っていた。そのいな
ほ号が今は羽越線を使って、日本海沿いに新潟まで一直線に走っている。
その昔、秋田平野と庄内平野の米どころを内陸方面に走っていた「稲穂」号が、海岸線の温泉地を跨いで走っていることは、東北旧人類のわたしにはとても不思議な感覚である。
1980年代のはじめまで、いなほ号には食堂車が付いていた。呉服屋を営んでいた亡くなった父親に連れられ、東京に出た最初の頃、いなほ号でビーフカレーをいつも頼んだ覚えがある。カレーと稲穂。
思い出深い特急列車だったから、日本海を右に見て走る列車は、わたしには「いなほ号」と認定できない。新潟まで、村上、豊栄、坂町、温海温泉、鶴岡、酒田など、日本海沿いの港湾都市や温泉地をめぐる特急には、別の名前を付けて欲しかった。その昔に走っていた夜行寝台特急の日本海号とか。
そろそろこの電車は新潟県に入って、村上駅着く頃だ。その次は、坂町、終点の新潟になる。列車が3分遅れているらしい。合宿初日は、中央線の故障で、新潟駅での乗り換えがバタバタになった。今日は大丈夫だろうか?
その前に、鶴岡駅のNewDaysで買った地元産の弁当を食べないと。名前は庄内弁。中身はまだ見ていない。庄内の美味しさが詰まった弁当と、パンフレットと駅構内の幟には書いてあった。
それでは、旅行の最後のランチをいただくことにしよう。思いもかけず、雪のほとんどない庄内平野を縦断してきた。フタを開けてみた。この庄内弁当、期待していなかった分、食べてみたら案外と美味しい。地元産の食材が凝っている。美味しい!
この先に遅延がなければ、新潟着は14時19分。新幹線に乗り換えて、東京着は夕方の16時28分になる。
ちなみに、いま電車から亀やの阿部社長に、メールを送るつもりだ。感謝の思いをコメント付きで。結果として、学生たち27人は、この3日間で、食育の旅を経験したことになる。
地方に旅をしないと絶対に食べられない食材を、有名な料理人たちが最高の技術でさばいてくれた。これは、単なるグルメの旅ではない。大人の食育ツアーなのだった。
20歳かその年頃に、美味しい食体験をすることで、彼らの味覚は厳しく鍛えられただろう。ちとお金をかけすぎたかもしれないが、そして亀やさんには儲からない商売を依頼してしまったけれど。こうした大人の食育体験ツアーは、庄内地方のツーリズムにとって無駄な投資ではないように思う。