【柴又日誌】#165:京成線沿線で、新しいオフィスを探す

柴又日誌

【柴又日誌】#76:トヨタ自動車、小川ゼミ生3人と再会@神田明神下

バブルがはじける前後のことだった(1990年)。愛知県名古屋市の桜通りに、トヨタ自動車グループの販売会社があった。社内では「自販」と呼ばれていた。販社の中核部門は、商品企画部と呼ばれていた。生産部門の組織名称は「自工」で、自販の商品企画部と...
柴又日誌

【柴又日誌】#75:コメダ珈琲のコーヒーにお代わりがないのはなぜ?

コメダ珈琲のモーニングセットをはじめて頼んだ。息子たち家族と一緒に、白井の旧宅に朝顔の定植に行く途中での立ち寄りだった。朝7時の開店直後に入店。息子たちはいつものように、子供たちにモーニングセットを頼んだ。わたしは、500円でコーヒーを頼ん...
柴又日誌

【柴又日誌】#74:団十郎朝顔、ふたたび ~ タネを撒き、苗を定植して、開花を待つ。

神田小川町のオフィスわんの入口に、団十郎朝顔の苗を植えてきた。朝顔のプランターの隣には、色合いも美しいモミジの鉢が置かれている。日比谷花壇から、事務所開設のお祝いにいただいた紅葉の低木である。朝顔のほうは、昨年、木村芳夫くんから分けてもらっ...
柴又日誌

【柴又日誌】#73:はじめての「母の日参り」

ゴールデンウイークから母の日にかけて、亡き母の墓参りをする習慣のことを、少し前から「母の日参り」と呼ぶようになっています。米国で母の日が始まったのも、亡き母を忍んで追悼することがきっかけだったと言われています。日本の花業界が提案したのが、「...
柴又日誌

【柴又日誌】#72(2):(続き)この街でわたしがよく行く場所

JFMAの理事と顧問の皆さん9人に、昨夜は神田小川町のBARブリッツで、「小川先生を囲む会」を開いてもらった。退職祝いのイブニングセミナーのスペシャル版だ。最後に、青フラの井上社長に大きな花束をもらった。うれしい一夜だったが、飲みすぎていま...
柴又日誌

【柴又日誌】#72(1):この街でわたしがよく行く場所

大学を去っていった先輩諸氏に、「歳をとると行動半径が狭くなる」と言われていた。退職してからは、通勤というルーチンがなくなった。先達の言っていた通りだった。それでもランナーなので、近所の土手や公園まで足を延ばしている。しかし、うっかりすると、...
柴又日誌

【柴又日誌】#71:新しい門をくぐる、お孫さんたちの入学式

2人の男の子たちが、今年は揃って一年生になる。穂高(次男の子)は、4月6日が入学式だった。翌日からは、葛飾区の住吉小学校まで集団登校が始まっている。自宅から右折一回で、50メートルの近距離通学である。諒(長男の子)は、少し遅れて11日が入学...
柴又日誌

【柴又日誌】#70:美代子おばさんの菩提寺、豊顕寺へ10年ぶりで墓参り

2日前に、横浜の市営地下鉄三ツ沢下町にある豊顕寺へ、かみさんとふたりで墓参りに出かけた。豊顕寺は、33年前に亡くなった美代子おばさんの菩提寺である。毎年のことで、桜が咲くころになると寺尾のおばさんのことを思い出す。最後のお墓参りが2012年...
柴又日誌

【柴又日誌】#69:オフィスわんの仕事始め

独立して「わん(ひとり)」になった。どこの組織にも属さないので、会社名を「1(わん)」に改名したのだった。自由ではあるが、今日からはなんでも一人でこなさなければならない。法政大学やゼミ生に対して責任はなくなったが、自由ではあるが何かと不自由...
柴又日誌

【柴又日誌】#68:本日は晴天なり、神田小川町のオフィスわんへ引っ越し

来週3月17日に、大学院(新一口坂校舎)の研究室を引き払う。隣室の山崎教授の計らいで、四川大学・日本語学科に研究室の書籍の7割がたを寄贈した。残りの2割(マーケティング関連)を本日、神田小川町のオフィスわんへ引っ越しさせた。1割は、他分野の...