柴又日誌【柴又日誌】#72(2):(続き)この街でわたしがよく行く場所 JFMAの理事と顧問の皆さん9人に、昨夜は神田小川町のBARブリッツで、「小川先生を囲む会」を開いてもらった。退職祝いのイブニングセミナーのスペシャル版だ。最後に、青フラの井上社長に大きな花束をもらった。うれしい一夜だったが、飲みすぎていま...2022.04.22柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#72(1):この街でわたしがよく行く場所 大学を去っていった先輩諸氏に、「歳をとると行動半径が狭くなる」と言われていた。退職してからは、通勤というルーチンがなくなった。先達の言っていた通りだった。それでもランナーなので、近所の土手や公園まで足を延ばしている。しかし、うっかりすると、...2022.04.21柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#71:新しい門をくぐる、お孫さんたちの入学式 2人の男の子たちが、今年は揃って一年生になる。穂高(次男の子)は、4月6日が入学式だった。翌日からは、葛飾区の住吉小学校まで集団登校が始まっている。自宅から右折一回で、50メートルの近距離通学である。諒(長男の子)は、少し遅れて11日が入学...2022.04.12柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#70:美代子おばさんの菩提寺、豊顕寺へ10年ぶりで墓参り 2日前に、横浜の市営地下鉄三ツ沢下町にある豊顕寺へ、かみさんとふたりで墓参りに出かけた。豊顕寺は、33年前に亡くなった美代子おばさんの菩提寺である。毎年のことで、桜が咲くころになると寺尾のおばさんのことを思い出す。最後のお墓参りが2012年...2022.04.04柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#69:オフィスわんの仕事始め 独立して「わん(ひとり)」になった。どこの組織にも属さないので、会社名を「1(わん)」に改名したのだった。自由ではあるが、今日からはなんでも一人でこなさなければならない。法政大学やゼミ生に対して責任はなくなったが、自由ではあるが何かと不自由...2022.04.01柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#68:本日は晴天なり、神田小川町のオフィスわんへ引っ越し 来週3月17日に、大学院(新一口坂校舎)の研究室を引き払う。隣室の山崎教授の計らいで、四川大学・日本語学科に研究室の書籍の7割がたを寄贈した。残りの2割(マーケティング関連)を本日、神田小川町のオフィスわんへ引っ越しさせた。1割は、他分野の...2022.03.10柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#67:葛飾税務署で、30分がかりで入力した確定申告のデータが消えてしまった!! 本日は、令和3年分の確定申告のため、葛飾税務署に出かけた。自宅から入力してもよいが、所得控除が何件かあるので、安全のため税務署まで行ってデータを入力した。親切な補助員さんたちが、丁寧にこちらの質問に答えてくれる。すぐに終わるだろうと思ったが...2022.02.28柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#66:オフィスわん、いまは開店休業。 新しいオフィスの場所が、神田小川町に決まった。「BARブリッツ」の隣のギャラリーで、6坪ほどの縦長の空間である。地主のFさんから、岩崎社長がワインバーを居ぬきで借り受けている。岩崎さんが、12人掛けのテーブルと椅子が用意してくれている。心地...2022.02.25柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#65: 43回目の結婚記念日@寿司ダイニングすすむ 1979年2月24日、板橋の常盤台バプティスト教会で結婚式を挙げた。27歳のときで、わたしは法政大学経営学部の講師。かみさんは、東京銀行人形町支店勤務で20歳だった。友人たちからは、犯罪行為だと言われた。いわゆる「授かり婚」で、かつ結婚の形...2022.02.24柴又日誌
柴又日誌【柴又日誌】#63:富山の本わさびプロジェクトは、3人の木村チームで! 「富山県に、グローバルなわさび産地のセンターを!」というブログ()を2か月前に書いた。きっかけは、糸魚川市でわさびを温室栽培している「SKフロンティア」の澁谷一正社長と出会ったことだった。糸魚川の訪問記録はブログで紹介している。ようやく富山...2022.02.10柴又日誌