【柴又日誌】#71:新しい門をくぐる、お孫さんたちの入学式

 2人の男の子たちが、今年は揃って一年生になる。穂高(次男の子)は、4月6日が入学式だった。翌日からは、葛飾区の住吉小学校まで集団登校が始まっている。自宅から右折一回で、50メートルの近距離通学である。諒(長男の子)は、少し遅れて11日が入学式だった。昨日から神戸市の向洋小学校に通学をはじめている。

 

 時節柄、どちらも入学式は両親だけの参列になった。昨日、わたしたちは長男の家で、式典が終わるのを待った。諒くんは、父母ふたりで入学式に参列できたが、穂高の場合は、父親の真継だけの参列になった。母親の梓ちゃんは、わたしたちと至近距離にある自宅で、男の子チームの帰りを待った。

 大学でも小中高校でも、人的な接触を避けるため、学校行事が実施されずに2年間が過ぎた。子供たちの教育から、対面授業やコンタクトのある遊びの時間が失われている。大学も同様である。わがゼミ生たちも、年2回の合宿と期末の懇親会の機会を失った。

 マスク越しで顔認識が不十分のまま、今年もまた24人が卒業していった。なんとも歯がゆい気持ちである。それでも、ゼミだけは対面で授業を行ってきた。振り返ってみると、ぎりぎりのクオリティでのゼミ活動だった。フィールドワークがなければ、学生と過ごした時間を忘れてしまいそうだった。

 

 孫たちのことに話を戻すことにする。小学校の門をはじめてくぐる穂高と諒は、少し緊張して家を出て行った。どちらの男の子も、父親と手をつないではじめての通学路を歩いた。自宅から正門まで後ろから二人についていったわたしたち夫婦は、父親と長男の男の子チームが、寄り添うように並んで歩いていくのを感慨深く眺めていた。

 われわれの時代は、最初の登校日は、母親に手を引かれて門をくぐったように思う。門の前で、父親と記念写真に収まった記憶がない。いまは男子が子育てに積極的に参加している。時代を反映しているようで、わたしたち世代にとっては興味深い光景だった。うちの父親男子はふたりとも、とりたてて特別には見えないところが素晴らしくもある。

 穂高と諒のふたりは、今年入学でラッキーだったのかもしれない。去年や一昨年の小学校への入学だとしたら、先生や同級生たちと直にコンタクトをとることができなかったかもしれない。育ち盛りの子供たちが、コミュニケーション上の問題を抱えて生きているのを見て心配になる。なんとなく、人的な接触におどおどしている風に見えることがある。

 人間同士の距離が微妙に離れてしまっている。ウイルスの感染は収まってはいないが、コロナもしだいに日常になりつつある。先生と生徒たちが、ダイレクトにコンタクトがとれる教育現場が戻ることを願ってやまない。わたしは、教育現場が正常に戻る前に大学を去ることになってしまった。残念な思いで、このブログ記事を書いている。

 

 ぴかぴかのランドセルを背負って、新しい門をくぐる子供たちに幸いあれ。悲惨な戦争で多くの人の命が失われようが、邪悪なウイルスが世界の人々に襲い掛かろうが、未来を担うのは若い君たちだから。