インド時間、沖縄時間。わが夫婦には、ある共通認識がある。南国のひとたちは時間にルーズで、待ち合わせやパーティーの開始時刻など、約束の時間を守ることを期待できない。一昨日、宮崎空港まで迎えに来てくれた元院生の浦上さんに、「先生、宮崎時間もありですよ」と注意を受けた。
宮崎の人と約束するときは、15分から30分の余裕をもって待ち合わせの時間を決めておいた方がよろしいという意味らしい。今回の意見交換会で、3つの事務所を訪問することになっていた。宮崎出身の浦上さんが、事前にわたしに警告してくれたのは、30分程度は時間が前後して構わないということだった。
「毎日が快晴」の宮崎や沖縄なら、それほど時間に厳密になる必要がないからだろう。そういえば、「宮崎のピーポー(人)、、、、」で始まる唄を、10年ほど前に、宮崎放送主催の野外コンサートで聞いたことがあった。森高千里を生で見たコンサートでのことだった。宮崎県人の気質を表現した、県歌のような歌だった。
ところで、約40年前の米国留学時代に、サンフランシスコ郊外のバークレイ市のアパートに住んでいた。多国籍の住人が住んでいる温水プール付きのアパートだった。大学の先生とビジネスマンの混成軍が、短期居住していた。中国人、日本人、インド人、パキスタン人、フランス人など国籍はバラバラだった。
お互いに仲良くなってから、国別にパーティーを順繰りに各人の部屋で開催するようになった。米国滞在1~2年の人たちで、ほぼ30代から40代のファミリーたちである。お国自慢の料理を提供して、集まっては歓談することが習慣になっていた。欧米人と日本人のファミリーは、几帳面に時間を守ってパーティーを始める。
ところが、アジアの南国(インド、パキスタン)のひとたちは、自然体で生きている。約束が6時スタートでも、30分どころか7時になっても料理の準備が整っていない。でも、彼女たちはそのことに無頓着である。8時ごろになってようやくお呼びがかかることもあった。当然のことながら、日本人の子供たちはお腹が空いてご機嫌が悪くなり、いつも大騒ぎになった。
というわけで、わたしたちの間では、いつしか「インド時間」「パキスタン時間」という言葉が定着していた。沖縄でも、それに近い経験を何度かしている。「沖縄時間」の呼称には、みなさんが納得してくださった。
浦上さんの警告を聞いて、南国ゆえに、宮崎にも「宮崎時間」があるのだなと思った。日向市出身の浦上さんが言うのだから、間違いはないのだろう。たしかに前の会議が長引いて、今回も私たち二人が約束の時間に遅れそうになった。慌てて「すいません、遅れます!」と電話しても、相手方はとくに慌てることがないように見えた。
自分も遅れることがふつうだから、相手の遅延にも寛容なのだろう。ある意味で、何が起こっても気にしないから、ぎすぎすしなくてよい。宮崎で暮らすと、楽な気持ちで長生きができそうだった。これは良い側面でもある。沖縄やインドでも同じことを感じた。でも、個人的には、なかなかこの習慣にはなじめない。
宮崎や日向の街中を歩いていて、ある事に気が付いた。それは、信号の待ち時間が長いことだった。せっかちなわたしは、信号が赤から青に変わる時間が長いと、からりの程度、イライラしてしまう。宮崎市内の信号は、切り替わりのタイミングが東京の倍近くはあるように感じた。こんど、ストップウォッチで測定してみようと思っている。
鷹揚に待つことができる宮崎県人は、この程度の時間間隔は気にも留めないのだろう。良い意味で、時間の経過に対する感覚が緩いのである。わたしなどは、この感覚についていけないのだが、宮崎や沖縄ではそれが当たり前のようだった。
とりあえず二日間、宮崎時間にイライラすることはなかった。郷に入れば郷に従えだ。少なくとも、今回の訪問では、宮崎時間のおかげで得をした気持ちになれた。