OMRとことんオーガニック シンポジウム2011 要旨
2011年6月10日 憲政記念館
第2部 14:00~15:30
オーガニックの新しい風
これから農業、普通にやればオーガニック
●パネルディスカッション1
「若者が作る新しい生産・流通・消費のカタチ
これから農業、普通にやればオーガニック」
パネラー:
西居 豊 氏 (合同会社五穀豊穣 代表)=ファシリテーター
西辻 一真 氏 (㈱マイファーム 代表取締役)
志野 佑介 氏 (千葉県東金市 あいよ農場 百笑)
村上 和人 氏(やかまし東京シェアハウス 住民代表)
水野 裕敬 氏(みずの ひろたか) (マルシェ・ジャポン全国事務局事務局長/㈱ぐるなび)
(西居=ファシリテーター)われわれは、いろいろな若者のグループのリーダーの集まりです。2年前、若者の就農がブームになった頃から、いろいろなグループができるようになりました。今日は自分たちの活動や、30年前からやってらっしゃる方の違い、震災復興とオーガニックの関わりなどについて触れたいと思います。
・パネラー紹介
<西居 豊 氏(合同会社五穀豊穣 代表)>
まず、ファシリテーターの私について、自己紹介させていただきます。五穀豊穣という地域活性化のコンサルティング会社を運営して、地産地消に関わっています。大学時代に、堀江さんが脚光を浴びていて、ベンチャーブームがあり、私もずっと起業に興味を持っていました。私は大阪出身ですが、東京に移って、イベントやプロモーションの事業をいろいろ手掛けました。その中で、農水省の事業で、全国で都会の若者のIターン、Uターンの紹介の仕事をし、そこで有機農業のすばらしさを知ったのを転機に、独立しました。
現在は、汐留にオフィスを構え、メンバーも5人に増えています。若い人を集めるのが得意です。「アシタバブログ」(http://astb.jugem.jp/)では、15人で活性化の発信をしています。僕は大阪の泉州出身ということもあって、お祭り好きです。お祭り関連で、いろいろなプロジェクトを起こしています。高円寺阿波踊りの手伝いなどもやっています。「間をつなぐ=祭り」だと思っているので、祭りを通じて、地域コミュニティを支えたいと思います。
都市のニーズを地方につなぎ、より売れる商品づくりをしようということで、マーケティング支援活動を手掛けています。お金になる仕事が4割、後は、いろいろなプロジェクトをしながら、週末はあきる野市で農業をしています。
東京の大学生を集めて、援農、産地訪問、販売手伝いなども行ってきました。ボランティアもいいですが、単に自己満足で終わらせたくない。2か月で450人と面接しました。きちんと利益を上げて、地域もつながり、農業も繁栄という仕組みづくりを考えるということに、みんなで取り組んでいます。
<西辻 一真 氏 (㈱マイファーム 代表取締役)>
われわれの仕事は、「耕作放棄地」を直す、ということです。全国の放棄地に貸農園を作り、都市の消費者をつないでいます。これまで、3,000人くらいの人が、畑に来て、土に触れたことがなかった人が触れる機会を持ちました。また、つぶれた農業生産法人の跡地を引き取り、有機農業地に変える事業も行っています。現在創業5年目の会社で、こういうふうに、こつこつと続けてきて、50haほどの農地を直してきました。
<志野 佑介 氏(千葉県東金市 あいよ農場 百笑)>
僕は、昭和58年生まれで、現在27歳です。海上自衛官の父を持ち、長崎で生まれた後、全国13か所に移り住みました。農業大学校を出て、千葉県で就農し、知り合った方と一緒に「あいよ農場」を始めました。九十九里浜から入ったところにあります。稲作、畑作3haなどで、年間50品目ほどを栽培しています。
販売先は、個人提携型宅配、直接卸、マルシェでの直販などです。就農当時から、「マイ農家」になりますと宣言してきて、宅配が半分を占めています。飲食店や八百屋など、畑に来て、理解してくださっている方への直接卸なども行っています。
「あいよ」という名前についてですが、「畑に来てもいいですか」と聞かれた時に、「あいよ」と答えられるように、という意味で名付けました。農場に来たい方には、来てもらっていて、年間700人くらいの方がいらっしゃいます。農作業して、その後、ご飯を必ず一緒に食べるようにしています。最初は2人で始めたんですが、いまは、農場研修を卒業した人なども含め、団粒構造的な農家のつながりによる営農形態をとっています。休日はできるだけ直販に出ています。
「百笑」という肩書きは、本来、百姓は「百の仕事できるから百姓」なんですが、自分はまだ5年目のひよっ子で、そこまで言えません。それで、百笑っていただくため、百笑と言っています。
(西居)私は、農場に行くたび驚くんですが、いつも来訪者やメディアのアポでいっぱいで、いったいいつ農業をするのかと…。生産者さんにとっては、知識がない人が来ると、邪魔で、手間がかかるので、怒られたりすることもありますよね。でも、志野さんのところはどんどん受け入れていて、学生にも、志野さんのファンが多いです。
<水野 裕敬 氏 (マルシェ・ジャポン全国事務局事務局長、㈱ぐるなび)>
ぐるなびでマルシェ・ジャポンの担当をしています。マルシェは、都会で直接農産物販売する市場のことです。全国100都市で仮設市場を開いています。生産者と都市の消費者をつなぐというこの試みは、もともとは農水省のプロジェクトとして始まりました。作り手が、お客さんと、コミュニケーションとりながら、手渡しで販売するということで、生産者、消費者とも、お互いの学びの場を作ろうというのが趣旨です。先進国でマルシェがないところは、日本だけと言われておりますので、海外のマルシェの華やかなイメージを、日本にも都市に持ってこようとしています。
マルシェでは、消費者に作物の旬を伝えていきます。東京では、青山や六本木、恵比寿ガーデンプレースなどでやっていて、震災後も、17日から開催しました。大阪や福岡など他にも広がっています。今週末からは、小田原でも始まります。
マルシェの数は増えており、また、キッズマルシェや、作る楽しみを体験していただく会場内農園、架設のキッチンカーなども出店して、全国展開しています。復興に役に立とうとしているということで、仙台では、マルシェが河北新報の1面に出ました。
<村上 和人 氏(やかまし東京シェアハウス 住民代表)>
やかまし東京シェアハウスでは、男女8人が、大きな一軒家で生活しています。住民は普段は農業とは関係ない仕事をしていますが、月一回、農場で「やかましやイベント」というものを開いています。イベントに参加して、シェアハウスに住んでみたいと思った人が住んでいます。
やかまし村は、農業を体験するというより、農場を使って遊んでみようというテーマの活動を展開しています。農場を使って、全力で運動会をしたり、そういうイベントで、まず遊んでもらいます。チームに分かれて、大豆を速く植える競争をしたり、田んぼを使った綱引き、ビーチバレーなど、いろいろなことをしました。参加者は、だいたい20~30代の人が中心で、毎回20~30名集まります。そのうち、農業に興味がある人というのは1割くらいで、後は友達に勧められてきた人が多いです。そういう人たちと、イベントを開いてきました。やかましやレストランというイベントもあり、みんなでご飯を作って一緒に食べるということをしています。農場にはツリーハウスを作り、皆に集まってもらっています。
やかまし村農場は、茨城県の八郷農場でやっていますが、いままで1,000人弱が農場に来て参加してくれました。そうすると、野菜を今まで買ったことがなかった人が、買うようになったり、母の日に野菜を送る人も出たりしました。
・「豊かなライフスタイルを作りたい」という運動の中で、「オーガニック」
(西居)昔「たまごの会」があったところで、今はシェアハウスの会が開かれています。「たまごの会」は、提携で有名でした。
今日、シンポジウムの前に、ミーティングしたんですが、そこで初めて、今まで、オーガニックのことを、面と向かって話し合ったことがなかったことに気づきました。豊かなライフスタイルを作りたいという運動の中で、自然にオーガニック、という感じです。普段は興味ない人にも、来てもらって、一緒にご飯食べ、おいしい、とわかってもらう、その流れの中で、有機の話もします。そして、その人たちが東京で店を探したり、アクションを取ってくれたりします。
志野さんの農場に来られる人たちは、どういう動機でいらっしゃるんですか?
(志野)農場には、年に何百人も見えられるので、理由はいろいろですね。おいしいものを食べたい人、それから、東京農大時代に農業の豊かさ知ったけど、就職してからは機会がない、久々に農業に触れたいという人たち、またマルシェで野菜を買って食べてくださった人が、興味をもって来てくださる場合もあります。
「あいよ農場」のファンになって、もっと知りたい、食べたいという気分で来る人たちが多いですね。だから、有機が目的というより、僕たちに会うことが目的で来て、農業のこと、有機のことを学んでくださるという感じじゃないでしょうか。
(西辻)僕たちのところは、全国に、利用者が3,000人います。ほとんどの人が、畑は初めてで、土の触り方も分からない人たちで、有機をやりたいという人は、1割もいません。僕たちからのメッセージとしては、土を触ったことがない人に、作ることの喜びがより味わえるのは有機、という理由で、有機を選んでいると言っています。
(水野)マルシェのお客さんは、ライトなお客さんが多いです。渋谷の246の道路沿いなどでやったりしていまので、「あ、何かイベントなのかな」という感じで来る人が多いですね。「こんな都心でマルシェやっている」という驚きと、立ち寄ってみると青森からリンゴを売りに来ていたりして、作物を通じて、魅力を感じ、リピーターになったり、民泊に通うようになったりするという感じです。最初はライトだけれども、興味を持って、リピーターになっていく人たちがいます。
(西居)僕は、独立してしばらく、友人相手に代々木公園でお酒を売って暮らしていた時期があります。外資系コンサルの友人がその時来てくれて、飲みながら話していると、「明日、茨城の農業体験に行く」と言うんですね。彼は忙しくて、いつもコンビニ弁当の日々だったんですが、飲んだ後、翌朝ちゃんと農場に行きました。農場から帰ってきて、すごく農業の勉強をするようになって、今は、確か、シェアハウスに移って住んでいると思います。
こういうふうに、窓口、入口は特に興味ないところから入っていって、体験するうちに、もっと知りたい、と有機に興味を持つようになっていくことが多いです。
僕たちにしても、今日、お昼にこのメンバーみんなと話してみて、「そういえば、おれたちみんな有機でやっているよね」という感じの認識です。
(西辻)私は、有機というより、「自産自消」を進めたかったんですね。自産自消を考えると、有機がいいと考えたんです。有機は、耕作放棄地には適しています。高校時代から、減反で使われなくなった農地を見てきていて、それを何とか変えたいという思いで、ここまできました。
(志野)僕自身は、高校まで、農業は知りませんでした。国際農業開発の勉強のために、農大に入りました。それでインドネシアに行ったんですが、そこで、豊かさは何かと考えさせられたんです。帰ってきて、「緑の家」という農大のサークルに入りました。このサークルは農場と小屋を持っていました。それで、半農半学で、馬事公苑の馬糞をとってきては畑にまいて、作物を育て、引き売りに行くというような活動をしていました。小屋に住んで、農業して、豊かな生き方だったと思います。
有機農業をしたいというより、豊かさを感じたのが有機農業で、それで人とつながっていくので、始めました。いまは、有機農業で、週末は仲間が集まるという、僕らのような人を増やせるように活動しています。
(水野)ぐるなびは、社として、食生活を豊かにすることを目指していて、そのために、消費者とレストラン、お店をつなげていこうとしています。マルシェについては、我々だけではなく、森ビルや仙台放送局など民間企業が集まって、さまざまな場所、多様な形で全国で開いています。それぞれ消費者には違いがあるので、各マルシェは、それぞれ取り組み方が違うんです。日本独自のマルシェのスタイルを築いていきたいと思っています。
(村上)私の場合も、農業には興味なかったんですが、友達のブログがきっかけで、キャンプのような感覚で、農業体験に行ってみたんです。行く前は、スーパーの野菜を買って普通に食べていたんですが、畑で、ホウレンソウを取って、ちぎってその場で食べるという経験をして、それが衝撃的で、しかもすごくおいしかったんです。
やかまし村を始めたきっかけは、自給自足を始めた人からの誘いがきっかけでした。それを他の人にも広げたいということと、また農場があるのなら、イベントで広めていったらどうかと思ったので、始めました。
(西居)今日のパネラーみんなの共通点は、「つなげる」と「歩み寄り」ということだと思います。志野君は、食べる人を農場に招いているし、西辻さんは耕作放棄地で農業体験をしてもらう、水野さんは販売で生産者と消費者つなげています。
それぞれ、していることは別々であっても、みんな時代に敏感です。2年ほど前、ライブドアの堀江さんが捕まったりして、お金を儲けるだけの活動でいいのかということが問い直されるようになりました。それで、「つなげる」という活動にみんな動いたのではないかと考えています。
「歩み寄り」についてですが、たとえば、徳江さんは、年間通して、とれるものだけとれればよいという立場です。しかし一方で、流通の立場から考えると、常に商品が店頭になければいけません。どちらにも共鳴しますが、お互いに妥協点を見出すことも大事だと思います。僕たちがやろうとしているのは、その、「半歩の歩み寄り」の妥協点をつくって実現させよう、ということです。たとえば、生産者が、消費地まで行くのは大変だけれども、来てくれるのなら受け入れる、というような場合、そのための活動をします。うまく進まないところがあるというのは、歩み寄り方に、何か偏りがあるということではないでしょうか。
・震災復興への取り組み
(西居)ここで、皆さんに、被災地での取り組みについて、それぞれお話いただきたいと思います。震災の後、僕自身は、放射能の情報が行き渡っていない頃に、南相馬に物資を集めて持っていきました。その後も物資を運んだり、色紙を書いてもらったりして、3~4週間に1回、被災地を訪れました。
(水野)我々は、全国のマルシェの会場をつなげています。震災直後、3月13日頃からしばらく、仙台ではとにかく物資がありませんでした。全国から続々と送られてきてはいても、被災地まで届けるのが難しかった。それで、マルシェのメンバーが、トラックで仙台まで運びました。1週間ほど、仙台に物が不足していたので、各地からの食材を、日本海側経由で、船で送ったりしました。
その後、風評被害の問題が出てくると、自然発生的に産地支援の運動が生まれていきました。コメの農家を始め、いろいろな農家が、全国各地のマルシェに出ていきました。被災地の農家のブースは、全国で人が集まり、午前中に売り切れになることもありました。食の関心の高い方々が集まっていると思います。あの震災を通じて、地元愛をもってコミュニティ化する意識が生まれました。たとえば、いわきの作物でいわきナイト、というようなイベントが生まれて行きました。忙しい生活で気付かなかったけれども、震災をきっかけに、大事なことに気付かされたという感じです。
(西居)マルシェでは、「あの生産者を支援したい」というお客さんたちも出ていますよね。
(村上)僕たちは、シェアハウスに8人で住んでいます。同居人の友達は一人暮らしも多いので、余震が怖い人は、寄ってもらえるように、震災後、シェアハウスを開放していました。8名の両親からは、いろいろなものが送られてきて、温かい気持ちになりました。それで、地震の後、しばらく、シェアハウスには、一人で暮らす女の子が集まっていました。
(西辻)ぼくたちは、日本人のライフスタイルごとひっくり返したいと考えています。革命家で、リスクを負う人間になりたいんです。津波、煙害、放射能汚染の地域へは、僕たちがいちばん最初に出ていかなければいけません。それで、僕たちは、塩害の農地に出向いて、塩トマトの植え付けなど、いろいろな方法を試したり、農家にがんばってくださいという意味でお金を支払ったりして、農業が途絶えないように支援を続けています。
僕は、農学部出身で科学者なので、塩分濃度を下げる方法はあると思っています。有機の菌の世界は、まだまだ見えない部分がありますが、菌の働きを利用して塩分を下げることは、絶対可能なはずです。被災地で、農法を試してみていると、実際に育っているものもあります。ここは何とかリスクをとって、日本の農業を変えていきたいです。
(西居)志野さんには、買い手の方々の反応をお聞きたいんですが。
(志野)風評被害では、僕たちは千葉県で、中途半端な位置にありました。若干の風評被害はあったんですが、皆さんが想像されるほどのことではなかったです。今回、地震が起きて、いろいろ電話をいただきましたが、多いのは、「農場は大丈夫?みんなが買わなくなったとしても、私が応援するから」というような内容の電話でした。それで、震災後は、逆にお客さんが増えるほどの勢いだったんです。普段から、お客さんの信頼、親戚家族のような関係を築いてきたからだと思います。
マイ農家の仕組みをとっていることは、お客さんのためにもよかったのではないかと感じています。震災後、ぼくたちがいることで、彼らに食料を届けることができたからです。原発の放射能でみんな不安だったのは、「知らないことの怖さ」だと思いました。
(西居)ぼくらは、アシタバブログで、震災の後、盛岡の方に来ていただき、被災地の現状や風評被害の現状について、話し合いました。震災後1か月ほど、福島の状況のため、動きたくても動けない期間がありましたが、その間、情報を得て、それを伝えていくことで、現地でなくても、続けていける支援があると思っていました。
南相馬でも、「いつもお付き合いしている方を支援したくて」というのが、自分が動いた動機です。その方との関係の中で、周りの人も一緒に支援する形になっていきました。普段からそういう人間と人間のつながりで働いているので、クライシスのとき、僕らがこう動いたのも、必然の行動だったと思っています。
・今後の展開への意気込み
(村上)思いの方が先に進んでおり、活動はなかなか追いつかないんですが、それでも、どんどん活動を進めて、もっと参加者を増やしていきたいです。
(水野)マルシェは、この秋でようやく2年を迎えるところです。われわれは、作り手と買い手の間のつなぎ手としてがんばってきました。5月16日に、組織が変わりました。もともとは農水の助成で始まったんですが、事業仕分けで助成が打ち切られてしまったんですね。でも、助成なしでもやってくることができました。われわれはこれを定着させたいと思っています。
マルシェは、作り手の方が会場に行って、消費者に直接買ってもらえる場です。消費者の信頼を裏切らないよう、場所を作るわれわれとしても、表示や、品質管理、衛生管理をしっかりして、生産者、消費者と一緒に、場をつくっていきたいと考えています。
(志野)僕は、本当の豊かさとは何かについて、途上国の子供たちに教えられました。いま、僕自身は、豊かな生き方ができていると感じています。有機的な人間関係を作っていくことが大事です。豊かな食べ物が豊かな食卓を、豊かな食卓が豊かな家庭を、豊かな家庭が豊かな地域を、豊かな地域が豊かな日本を作ると思っています。食と命は同じです。豊かな日本を築くための、最初のステップを作っていきたいです。
(西辻)僕は、日本の豊かさの過程に、有機農業があると思っています。しかし、抵抗勢力があって、なかなかすぐにはうまくいかないこともわかっています。それでも、有機農業には、何か、「お化け屋敷」的な魅力があると思うんです。お化け屋敷のように、独特の雰囲気、何が出てくるかわからないわくわく感がある。いままでの、「食糧を生産する」という観点からではなく、土を作っていくことのわくわく感とか、消費者が楽しいと感じるように、作っていけばいいのではないかという気がします。本当に豊かな暮らしとは何なのか、一人ひとりが考える方法で進んでいきたいと思います。
(西居)僕たちは、有機という特定のスペックではなくて、有機のある生活のメリットを示しているんじゃないかと思うんですね。僕らが、民泊で受け入れてもらって、有機農業を教えてもらったのは、有機農業の農家です。その礎は何かを考えながら、若者一同これからもがんばっていきますので、どうか、みなさんのご指導よろしくお願いします。
質疑
(群馬・今井氏)私は、農業を教えてもらいたい外国人技能実習生を、農家に紹介する仕事をしています。面接で、農業に対する思いを聞く機会がありました。出身国が豊かな国とはいえない状態でも、オーガニックで頑張りたいという生徒が何人もいます。でも、オーガニックは、ぜいたくな農業で、たとえばインドネシアのような国では難しいのではないかという人もいます。私はそういう意見には違和感があったのですが、みなさんのお考えを聞きたいです。
(西辻)私が有機農業で一番好きなのは、行ったことはないですが、キューバです。「経済的に豊かだから、有機農業をする」というわけではないんじゃないでしょうか。
(志野)僕は、何のために農業をするかだと思います。商売としては、買う人のことを考えます。お金持ちでないと買わないのではないかと彼らは悩むかもしれません。でも、結局は、生き方の問題です。有機は、知恵と工夫と、資源の循環でできます。彼らが持続的な方法で、ずっと豊かに生きていきたいと思えば、有機農業へのシフトを選ぶべきではないかと思います。日本でも、有機の生産者には、付加価値をつけるために有機農業をしている人と、百姓して持続的農業をしたい人と2通りあります。その違いを、教えてあげたらどうでしょうか。