大震災不況の潮目は変わった!

 自分で商売をやっているとしよう。明日は何人のお客さんが店にくるだろうか。ネットでビジネスをしていれば、明日の受注がどのくらいになるのか心配になる。しかし、不確かな未来を判断する手がかりは、事実だけである。希望的な観測は、なんの意味もない。


現実のデータをこまめに拾ってきて、実際のところを確かめてみよう。たとえば、東北地方の温泉街は、連休中は閑古鳥が鳴いているはずである。しかし、実際に予約を入れてみたらどうだろう。それなりのグレードの宿は、しっかり予約で埋まっているのではないだろうか。
 わたしは現実主義者である。皆がそう思っているという「想定情報」は信じない。実際に、旅館に電話を入れてみるとよいだろう。あるいは、インターネットで秘湯の宿を検索してみればよい。
 福島や山形など、東北の宿は本当にガラガラなのだろうか。真実を知りたければ、事実を確認してみればよいのだ。それが、正しく判断するための基準である。

 ふだんからよく宿泊している宿(東北地方)の数軒に、連休中の宿泊予約をたずねてみた。たしかに、5月1日と5日は多少空きがあるが、3~4日は満杯である。
 例年ならば、4月上旬になったとたん満室になる。それが、いまの時点では予約で部屋が埋まっていない。東北地方を襲った大震災の影響である。だが、すでに28日~30日は、予約がとりにくい状態なのである。空き部屋の残りはわずかである。
 投票率が戦後最低だった、統一地方選挙の後半戦が終わった。この数日間が谷底だった。明らかに人々の気持ちには変化が起こっている。東北新幹線の全線開通とともに、潮目は変わったのである。そう考えてよいだろう。
 
 昔のひとは、実に的確な格言を残している。「人の噂も49日(正しくは75日)」。どんなにつらいことが起ころうが、大切な肉親の死を体験した場合ではあっても、人の気持ちや記憶は、いま起こっている現実になんとか適応していこうとするものだ。
 喪失の思いが胸に突き刺さろうが、どんなに悲しい思いをしようが、49日もたてば、無意識のうちにひとは悲しく苦しいことを忘れようする。
 4月29日は、大震災から49日目である。それよりは一日早く、4月28日に、東北新幹線が東京から盛岡まで、全線開通になるはずである。

 人間の防御本能は、そのように出来上がっているようだ。世界は、いまを生きている人間がなんとか生き延びられるように設計されている。深い悲しみの中にあっても、その気持ちを抑えるように心は作用していく。長く生き延びてきた人間たちの、生き物としての知恵である。
 言いたいことは、だから、日本経済と生活者の生き方については、もう一区切りがつきかけているということである。消費者の態度は、先週から微妙に変わりつつある。
 「省エネもよいが、いつまでも消費を抑え込んでいれば、経済がますます悪くなる」は、ひとびとの言い訳である。本音は、そろそろ普通の生活で普通のお金の使い方をしたいのである。友人たちと、帰り際に一緒に飲みたい。
 東北地方の大震災や福島の原発問題は、根本的には問題が解決していないことはわかる。それはそうであったも、そろそろ、ふつうの毎日に戻りたいのである。

 昨日(4月25日)の東北新幹線の部分開通(東京~仙台)で、消費の流れは変わった。わたしはそのように思う。計画的な停電はあるだろう。架線事故も起こるだろう。しかし、この先、被災地の状況は、時々刻々と改善されていくはずである。
 農産物の作付けの様子について毎日、情報が更改されていく。ガイガーカウンターの放射能の計測結果は、しだいに改善の兆しを見せている。IM研究科教授の村上健一郎先生が、市ヶ谷近辺の放射能カウンターのデータを示してくれた。一昨日のことである。
 気が付いてみれば、福島県の中西部の地区では、作付がふつうになされつつある。放射能汚染は弱まりつつある。大騒ぎしていた禁漁措置も解除になり、近いうちに福島や茨城の海もしだいに漁が復活していくのではないだろうか。
 福島原発の被害に対しては、当面は補償金が支払われるらしい。そのことが確定的になれば、農民たちは夏の作付けに期待をつなぐ。いまをしのげることがわければ、明日に気持ちが向いていくものだ。それは決して悪いことではない。

 都会で暮らしているサラリーマンとはまたちがった原理で、東北の農民は行動している。東北人は、つらくて長い冬を耐えている。わたしも東北人なので、その状態はよくわかる。それはいつものことだ。最近まで、わたしたちの叔父や従兄弟たちは、東北の田舎から、農閑期には都会に出稼ぎに出ていた時代もあったのだ。
 よく言えば、したたかに辛抱強く。悪く言えば、状況に過適応するくらいに黙々と現状に服していく態度で。苦しいときも、いつも自分たちの行き場を探している。宮沢賢治の「雨にも負けず、、、」の精神世界に生きているのである。
 これほどの艱難辛苦を経験させられているのだから。たとえすべてを失ったとしても、明日に希望をつなごうとする子供たちが、目の前で遊んで笑っているのだから。
 いつまでも悲しんではいられない。前に向かって進まなくてはならないのだ。東北新幹線も、ふたたび北に向かって走り始めたことだし。