日本のメディア、とくに活字メディアは、大震災と福島原発についてセンセーショナルな記事を掲載している。事態が深刻なことは当然だが、報道の仕方(表現と重点の置き方)には問題があるように思う。海外のメディアや識者は、どのように日本のいまを見ているのだろうか?
最近読んだ雑誌記事の中で、いちばん冷静に事態をとらえている海外のメディアは、「ニューズウイーク(日本語版)」ではないだろうか?4月6日号の特集は、「3.11大震災と日本の針路」というタイトルになっている。
「大震災の論点」が表紙の見出しである。内容はNWの記事を読んでいただくとして、記事の構成を紹介する。(括弧の中は小川のコメント)
特集: 3.11大震災の日本の針路
「豊かなニッポンに支援は不要か」
~ 自力で復活はできるだろうが、被害が広範囲であることと心のケアが大切
「日本を惑わす基準値パニック」
~ 放射能に対して明確なメッセージを出せない日本政府への批判、
過剰反応をやめて、現実的にリスクを許容する立場への転換を提案
(われわれが傾聴すべき論点をズバリ)
「子供たちの叫びを聞け」
~ 戦災孤児の実態や心の病のケアを訴えた記事
(東京大空襲で残された孤児もいた。わたしはその人たちの経験を考えることがある)
「震災復興の絶望と希望」
~ 日本の復興がバラまきの再来になることへの懸念
(これを機会に、きちんとした国家の再デザインができるだろうか?)
「そのとき、記者は、、、逃げた」
~ 海外ジャーナリストたちの浮足立った姿を冷静に喝破
フランス人はいちばん先に逃げた、有名米国人ジャーナリストも言行不一致
(人間は火事場で力を出すこともあるが、パニックになってしまうひともいる。
厳しい状況に置かれたときに、人間の本当の姿がわかるものだ)
以上、NW日本語版は、地に足がついた記事になっている。
『アエラ』(朝日新聞社)の表紙タイトル「放射能がくる」が大ブーイングを浴びて批判された。朝日新聞は即日に読者に謝罪をしたが、日本を代表する新聞社と編集部の報道姿勢を象徴する出来事だった。
それに対して、NW日本語版は冷静である。掲載されて記事は、真にこの国の現状と課題を観察し、冷静に私たち日本人の向かう方向を示している。
ぜひ、一読されたい。すべての記事を抑制ぎみに書いてあるところが、とても好感が持てる。