地球の回転軸が太陽に向かって少しだけ傾いていることで、わたしたちは四季を持つことができる。転変地異によって地面が沈みこんだり、建物に亀裂がはいろうが、そんなことはおかまいなく、冬は去りやがて春がやってくる。自然は過酷ではあるが、人の気持に優しくもある。
花曇りの外は、やや肌寒い。帰り際に確認したら、昨夜、市ヶ谷の土手の桜がほころびかけていた。いつもならば、テレビや新聞で、桜の開花宣言がはじまるころだ。
明るい話題は不謹慎なのだろうか。桜前線の動きは、すっかりメディアからシャットアウトされている。だから、いま日本列島のどこまで春が進んで来ているのか、まったくわからない。
なにもそこまでと思うのだが、夜桜のライトアップを今年は自粛するらしい。国難のなかでむしろ必要なのは、明るい話題ではないのか。庶民は、こうした困難の中でも、密やかな楽しみをほしいと思っているのではないだろうか。
いつもより、照度を半分程度まで落としたらよい。自粛ばかりしていると、自粛馬鹿になってしまう。このままでは、経済がいつまでも浮揚しないだろう。結局は、小さな企業から倒産していく。わたしたちの仲間から雇用をうばってしまう。
先週から、個人的に、外食の自粛を解除することにした。その理由は、上記のとおりである。あまりに消費を抑制しすぎると、仲間と楽しい時間を過ごせなくなる。ストレスがたまって、最後は仕事の生産性が低くなる(笑)。
自宅でも仕事場でも、極力こまめに消灯はしている。なるべく暖房は使わず、節電に協力している。そのうえでのちょっとした贅沢は、許してほしいと思う。
何事にも、ほどよい「適当さ」はあるのではないのか。贅沢や華美な生活に走っているわけではない。放射能の危険と計画停電を避けて、関西のホテルに逃げ込んでいるわけではない。
それでも、この夏のクーラーの使用に関しては、最大限の協力をしたいと思っている。
考えてみれば、わたしが秋田から上京したころ(1970年)、大学には冷房が入っていなかった。7月から9月初旬までは、クーラーのない教室で汗をふきふき、眠たくなる授業を聴講していたものだ。蝉時雨を聞くようになって、そろそろ夏が終わるだなと思ったものだ。
今年などは、都内は室外機から放射熱を出さない代わりに、「打ち水」をして、都内の道路を冷やしてみたらどうだろうか。うまく風が吹くとさらによい。むかしは、ときどき涼しい風が町を吹き抜けていた。熱中症が心配な老人家庭を除いては、原則として、クーラーはつけないことにしてはどうだろう。
もっとも、わが研究室のように6F程度の高さで古い建物はよいが、高層ビルは窓を開放するわけにもいかないだろう。全部の建物の実施は、どだい無理なことなのかもしれない。せめて、自宅くらいはなどはと考えてみた。
印旛郡白井町(現在は白井市)に移住してきたころ(1985年)、ひと夏で冷房のスイッチをいれるのはほんの数回だった。もちろんクーラーはあったのだが、その必要はほとんどないくらいの環境だった。
現在住んでいる家の北側には、周囲1.2KMの調整池(白鳥池、そのころは白鳥は飛来して来なかった!)がある。夏場は、とくに夕方からは、北から南に風が抜けて行った。北側にまだ家が数件しかなかったこともあり、14畳のリビングでは、南北の窓を開け放して、夕涼みができた。
それができなくなったのは、家が立て込んできて、夏場になると皆さんがクーラーをつけるようになったからだ。空き巣が入るなど、セキュリティの問題もあり、近所でも窓を閉めるようになった。
それまでは、田舎の家のように、近所の仲良し数軒とは、子供たちがパジャマ姿で互いの家を出入りしていた。スイカや花火を持参で、文字どおりに垣根のない交流があった。だから、そんな生活に、クーラーは不要だった。
わたしたちは、これを機会に、30年前に戻ればよいのではないか。エネルギー多消費型の社会は、どうにか終わらせなければならない。そのために、もっと知恵が必要なように思う。ひとつは、昔の人たちの過ごし方に見習うことだろう。
フランス人のように、夏はバカンスで都市部から田舎に避暑するとか。夏場は、在宅勤務を増やすとか。本格的にサマータイムを導入して、はやめに会社から上がれば、大きなる節電効果もある。
とにかく、いままでの暮らし方、働き方は変えなくてはならないだろう。