能代市山本郡医師会が主催した講演会に、約40人が聞きに来てくれた。加藤くん、森田くん、石岡くんなど、高校の同級生の数人。みなさんは退職している。現役は、医者の楊くんだけになった。演題は、得意ネタのCS女子力。
初めの20分は、高校時代の停学事件の話をした。もう時効だろうから。私たちの先輩たちが、能代高校恒例の10里競歩で、夜中にタバコを吸ったり酒を飲んだりで、私たちが入学した年から中止になった。
復帰を当時の高橋校長に交渉したが決裂。そのことに抗議して、白神山地にあった学校林の下草取り遠足をボイコットした。わたしたちは、五能線に乗って八森に釣りに行った。もう一チームは映画館に。
もちろん、この抗議行動が露見して、生徒会をやっていた10数人が一週間の停学になった。正当な理由を説明したので、親父には何にも言われなかった。今でも理解に感謝している。
午後遅くに講演会が終わってから、医師会主催で、わたしのために懇親会をやってくれた。医師会メンバーだけ6人。場所は、明治町の川岸にある飲み屋さん「べらぼう」。秋田の材木で建てた居酒屋だ。
そこから見える米代川の風景は美しい。目の前が中洲になっていて、川が緩やかに大きく蛇行している。そこは、河口から5km上流にあたる場所だ。
そのむかし、こんな美しい川のほとりを歩いていたのかと思うと感慨深い。そう思いたいのだが、実際には、この場所は、40年前は、ただの砂利の採取場だった。河川敷は、砂利を掘り出した跡で穴ボコだらけ。今のように緑の芝生が絨毯のように敷き詰められてはいなかった。
しかし、その後、20年で川岸の穴は完全に消滅。自然に上流から土砂が流れてきて、砂利採取の穴が完璧に塞がれてしまったのだ。こんな綺麗な風景が自然の力だけで蘇った。人間は介在していない。
蘇生した河原の芝生はきれいに手入れされていた。べらぼうの女将さんに聞いたら、川岸の芝の手入れは、国土交通省がやっているのだそうだ。そのむかし、国交省の役人は、砂利の違法採取には目をつぶっていた。
もっとも、こんな風な自然とはいえ、適当に手入れしないとこんなきれいな状態にはならない。これもまた皮肉な事実だ。自然はやはり全く手を入れないと、やはり荒れてしまう。
このメールを山形おきたま農協の渡部さんに送ったら、「農地も同じです」と返事が戻ってきた。たしかに、里山なども人が手を入れないと荒れてしまう。
難しいのは、荒れた河川敷が美しい自然に戻ったのは、地方が経済成長の恩恵から取り残されたからである。海外への製造業の移転が進み、秋田のような辺鄙な田舎には、工場が来なくなった。それどころか、少なからず点在していたアパレルの下請け工場さえ、中国やベトナム、ミャンマーに奪われてしまった。
ここが矛盾しているところだ。経済成長が中断すると、自然は復元する。しかし、街はシャッター通りだらけになる。そして、若い人は東京から戻ってこない。
宴席でこの話をしながら、能代の医師たちとあることを思いついて、議論を始めた。「ふるさと納税の恩恵は?ないよね」から始まったアイデアである。