過去のブログ記事が急に閲覧数が増えることがある。グーグルで検索すると、たいていは記事に関連して何かが起こっている。本日のアクセス解析データを見てみると、【映画評】 スタジオジブリ(宮崎駿監督)『風立ちぬ』「わたしが宮崎作品に感じた”戸惑い”の正体」(2013年8月26日)が閲覧数で昨夜、そして今朝でも上位に来ていた(https://kosuke-ogawa.com/?eid=2714)。
昨夜の金曜ロードSHOW!で、宮崎駿監督の最終作品「風立ちぬ」が、ノーカットで放映されていた。やはり、そうだったのだ。2013年8月23日のブログの書き出しは、つぎのように始まっていた(https://kosuke-ogawa.com/?eid=2714)。
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【映画評】 スタジオジブリ(宮崎駿監督)『風立ちぬ』「わたしが宮崎作品に感じた”戸惑い”の正体」(★★★★)
封切りから2か月、宮崎駿監督の『風立ちぬ』はいまだ観客動員数でトップを走り続けている。先月末、釧路マラソン(30K)を走る前の夜に、大森のテアトル系の映画館でジブリの新作を見た。映像の美しさに反して、大いなる違和感を感じてスクリーンを後にした。
「72歳の宮崎さんは、いったい何のためにこの作品を制作したのだろう?」
「乗り物好きの最後の作品が、ゼロ戦の開発物語を美しく映像で描くことだったのだろうか?」
羽田から最終のJAL便で釧路空港に飛んで、翌日2時間50分弱をかけて30KMのレースを完走しても、その謎が氷解することはなかった。
おもしろい映画を見たあとはいつも、即座にコメントをブログにアップする。しかし、今回はうまく気持ちを表現できないので、映画評の書きようがなかった。
『風立ちぬ』は、アニメ作品としては、もちろんかなりおもしろかった。それはまちがいないのだが、わたしは正体不明の違和感にひどく戸惑っていた。
封切りから2か月、宮崎駿監督の『風立ちぬ』はいまだ観客動員数でトップを走り続けている。先月末、釧路マラソン(30K)を走る前の夜に、大森のテアトル系の映画館でジブリの新作を見た。映像の美しさに反して、大いなる違和感を感じてスクリーンを後にした。
「72歳の宮崎さんは、いったい何のためにこの作品を制作したのだろう?」
「乗り物好きの最後の作品が、ゼロ戦の開発物語を美しく映像で描くことだったのだろうか?」
羽田から最終のJAL便で釧路空港に飛んで、翌日2時間50分弱をかけて30KMのレースを完走しても、その謎が氷解することはなかった。
おもしろい映画を見たあとはいつも、即座にコメントをブログにアップする。しかし、今回はうまく気持ちを表現できないので、映画評の書きようがなかった。
『風立ちぬ』は、アニメ作品としては、もちろんかなりおもしろかった。それはまちがいないのだが、わたしは正体不明の違和感にひどく戸惑っていた。
一か月後の昨日、その謎がようやく解けることになった。
”風立ちぬ”でキーワード検索をしていたときのことである。「『風立ちぬ』を見て驚いたこと」という映画評を発見した。
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”風立ちぬ”でキーワード検索をしていたときのことである。「『風立ちぬ』を見て驚いたこと」という映画評を発見した。
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このあと、ある短編小説家のブログでの映画解説を手掛かりに、戸惑いに関する謎解きがはじまる。宮崎作品への違和感の正体が、実は自分に向けられていたことで記事は終わっている。
戦争に絡んだアニメ映画の評論は、そのあとも、『君の名は。』や『この世界の片隅で。』で取り上げてきた。のちに公開された2つの作品に比べると、宮崎作品は、”しょうもない”テーマと内容に仕上がっている。もっとも、映像はすばらしいのだが。
5年半前のわたしの映画評を、昨夜と今朝、ネットから検索してくださった読者はどのように感じてくださったのだろうか? 5年ぶりに読み直しても、コメントは正鵠を得ているように思う。