「グランドプリンスホテル」で、渥美先生を偲ぶ会が開かれる。ペガサスの「政策セミナー」を行ってきた宴会場で行われる。しおりに載せる追悼文を所望された。名誉なことである。これまで書いてきたものを編集して簡単な文章を用意した。なお、グランドプリンスホテルは、来年3月で閉館になる。
渥美先生と「うかい亭」での会食(@2008年6月16日) 法政大学 小川孔輔
渥美先生の『流通革命の真実』(ダイヤモンド社、2007)を書評したことがきっかけで、東京タワーのライトアップを眺めながら、うかい亭で先生と会食をすることになった。2年前のことである。ダイヤモンドフリードマン社の石川純一編集長が、個人HPに掲載した書評をJRCの事務所に転送してくださった。石川編集長の機転がなければ、渥美先生とも生涯、言葉を交わすことがなかったかもしれない。
夕方5時、ペガサスビルの5Fにある事務所にお伺いすることになった。はじめてお会いする先生は、躯体の大きな「検事さん」のように見えた。食事の前に、1時間ほど先生とお話をした。その夏から、わたしは『チェーンストアエイジ』に「小川町経営風土記」を連載することが決まっていた。島村恒俊オーナー(しまむら)と川野トモ元名誉会長(ヤオコー)が、創業期に渥美先生からどんな指導を受けていたのかを知りたかった。
しかし、わたしから先生に何かを尋ねるのはそこまでだった。話し始めて5分が経過した後は、法政大学図書館の「渥美文庫」(JRCからの寄贈資料)のことや、商業学会に対する渥美先生の素朴な疑問に対して、わたしが答えるという展開になった。だから、「検事から尋問されているみたい」と感じたわけである。
渥美先生の特質は、一瞬にして理解できた。尋問・詰問のスタイルは、知的な好奇心から発されているだけだった。25歳の年齢差は、父親とその息子ほどの間隔である。たしかにそんな感じだった。しかし、コンサルタントと研究者というキャリアの違いはあるが、「商人の血」(桜井多恵子さんの言葉)をわたしも持っている。基本的な思考法と行動パターンは、同型であることがすぐにわかった。先生もそのように感じられたはずである。だから、初対面の方が抱くかもしれないある種の恐怖心を、わたしはまったく感じることがなかった。
渥美先生は、わたしが商業学会理事に就任していないことを不思議がった。答えに窮したわたしは、大学の研究者たちの悪口を言わざるを得なくなった。まあ、本当のことだから良いだろう、と。流通業界にあれほどの影響力をもちながら、渥美先生は学会とは疎遠であった。元東大教授の林周二先生と学習院大学の田島義博先生とは、すこしだけ接点があったようだ。アカデミズムの世界で「チェーンストア理論」について基礎講座を持ちたい。そのような希望を先生は話された。できる範囲で仲介の労をとりたいと思った。
その翌年に、渥美先生には法政大学(経営大学院)の客員教授に就任していただいた。年一回か二回、学生向けに特別に講義していただくことが目的だった。院生たちの研究プロジェクトについても、コメントをお願いすることになっていた。結局は、お忙しくて、ビジネススクールの教壇に立っていただくことができなかった。大学院での「渥美俊一講座」が実現できなかったことが、いまとなっては少しだけ悔やまれる。