温泉談義(2):秘湯たる温泉の条件

温泉好きは、親父ゆずりである。痔疾を患っていた父は、毎朝・毎晩お風呂に入る習慣があった。今で言うアトピー体質で、肌が弱かったのだと思う。硫黄泉がとくに好きだった。


「21082」(むとうはっぷ)という名前の”温泉の素”を数滴垂らすと、わが家の湯船は白濁して即席硫黄泉ができあがった。わたしは、独特の刺激臭が嫌いではなかった。ところが、家族の何人かは髪の毛を洗うのにふさわしくなかったのか、親父が入る前に透き通ったお湯に入浴したがった。
 父はマイペースでわがままだったので、一番風呂に入れないと機嫌が悪かった。母や妹は、そんな父の気持ちに障るのがいやで、わざわざ銭湯に出かけることすらあった。
 親父には、秋田(八幡平:ふけの湯)、岩手(花巻温泉)、青森(日景温泉)など、近県の温泉場に連れていってもらった。日帰りのこともあったし、家族で八幡平に登りながら泊まりということもあった。戦時中の八丈島で艦砲射撃を受けて生き延びてきた軍隊の毛布とリュックを背負って、子連れハイキングである。父は生まれがまずしく、吝嗇なところもあったので、ただ歩いて温泉に浸かって帰ってくるということはなかった。春はヒメタケ、わらび、ぜんまい、ミズ、タラの芽、フキなど、秋はハツタケ、いくじ、しめじ、なめこ、きんだけなど、さまざまなキノコ類を上手に採ることを教わった。ハタハタやサンマやさば、危ないことには、草ふぐなどは、返り血をあびながら、自分で出刃包丁でさばいていた。サバイバルのための生活の知恵である。

 そんな経験からか、温泉の好みは野趣にあふれた場所が好きになった。「日本の秘湯を守る会」(朝日旅行会)という団体がある。中年になってから始めたマラソンの帰りには、秘湯の会に属している、なるべく不便きわまりない宿に投宿することを趣味にしている。
 マラソンレースは日曜日の朝方である。そこで、4年間からは月曜日に授業を入れないことにした。休日の夜に温泉に泊まるためである。大学の教員をやっているので、スケジュールは何とでもなる。
 関東地方では、栃木、群馬、山梨、静岡、長野など、東北地方ならば、新潟、福島、宮城、岩手まで、日曜日の夜に「秘湯の会」に登録されている温泉宿に泊まって、月曜日の昼に向こうを立てば、夕方には東京に戻ってこられる。休日の夜、春先の連休や紅葉の季節でもない限り、たいていの宿はがら空きである。20室の宿に3~4人(組)などということもめずらしくない。ひっそりと静かな夜を楽しんでくる。
 「日本の秘湯を守る会」に加盟している温泉でも、種々の宿があることがわかってきた。自分の身勝手な理想を言わせてもらえば、「秘湯たる宿」にふさわしい是非守ってもらいたい要件がある。わたしは以前から、これを秘湯の3条件と呼んでいる。

(1)宿にたどり着く最終アプローチは、道が細くて車がすれ違えないこと。
  できれば、舗装などされておらず、穴ぼこだらけの砂利道が理想的である。
(2)携帯電話など通じてはいけない。たとえ通じたとしても、待ち受け画面で
  アンテナが1本立つか立たないかの微妙な感じがよい。
(3)部屋にトイレなどついていてはいけない。共同トイレはランプに
  照らされていて うすら寒いくらいがちょうどよい。

 この条件がすべて満たされている温泉をあげるとなると、結構大変になる。これまで泊まった秘湯を守る会の温泉のなかでも、「真性の秘湯」と言えるのはたった1軒である。森村誠一「野生の証明」の舞台にもなった「霧積温泉・金湯館」(群馬県)だけである。秘湯の会に属してはいないが、奥土湯の「不動湯温泉」(福島県)もこの条件を満たしていた。
 (1)~(3)の条件に近い特性を持っている温泉をいくつかあげてみる。
 「列石温泉・雲峰荘」(山梨県)、
 「日景温泉・日景」(秋田県)、
 「八幡平温泉・ふけの湯」(秋田県、ただし何年も前になるので・・・)、
 「下仁田温泉・清流荘」(群馬県)、
 「大沢山温泉・大沢館」(新潟県)、
 「法師温泉・法師温泉長寿館」(群馬県)。
 ご興味のある方は、日本の秘湯を守る会編「日本の秘湯」朝日旅行会をごらんいただきたい。わたしの推薦では、何の足しにもならない。ただし、わたしのように、3年以内に10回以上、秘湯の会の旅館に泊まれば、どこでも好きな宿に無料でもう一泊できる。
 そのときの待遇たるや、すばらしく感激ものである。その宿の最高の部屋に泊まらせていただき、最大級の食でもてなしを受ける。是非ともお試しあれ。