わたしの手帖は、通称「生産性手帖」と呼ばれる薄型のものである。社会経済生産性本部が企画・創案したもので、20年ほど前から濃紺、手のひらサイズのものを使い続けている。
標準型のものは市販されているので、同じ種類の形の手帖を携帯している同僚も多い(IM研究科の藤村教授など)。
手帖を開くと、一ヶ月30日分の日程が両面見開きでひとめでわかる。今月何が起こっているのか、自分の活動が俯瞰できるので便利である。
5年ほど前から、スケジュールが過密になったので、毎週来る授業やレギュラーのイベント(定例会議など)は、丸い色別のシール(直径約1㎝)で貼るだけにしている。シールの色には意味がある。「黄色」は学部と大学院の授業、「青色」はドクター指導、研究プロジェクト(科研費など)、学会関係である。「赤色」は、花業界(JFMAの活動)と植物関連(有機野菜と食べ物)である。大学の管理業務は、法政カラーの「オレンジ色」である。企業コンサルティングや講演は「緑色」である。
最後にもっとも重要なのは、「ピンク色」のシールである。一緒に食事をするときに、「これなーに?」と新しい院生などには謎かけで聞くことにしている。日曜日にたくさんピンクシールが貼ってあるので、「なんかあやしー」と喜ぶ女子学生は多い。わたしは、彼女たちのそうした反応を喜んでいる。実は、ピンクは「趣味」のシールである。具体的には、中国語のレッスンとマラソンの出場を表している。「12月10日、青島太平洋マラソン(宮崎、フル)」などと書き添えられている。このマークを見たただでうれしくなる。単純なので・・・
もうひとつのピンクは、中国語のレッスンシールである。中島先生に個人授業を受けているが、ピンクの枚数がこのごろ増える傾向にある。はじめてから一年、ようやく中国語会話の感覚がわかるようになってきた。
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ピンクのシール以外では、かつて多かった青色シールが大幅に減ってきている。むかしは、自分の研究に使っていた時間の分である。それ以外の色(赤や黄色やオレンジ)がどんどん青色とピンク色を浸食している。
「50歳をすぎたら、世の中のために生きる」とかっこよく宣言したのでいまさら仕方がないと思う。10年間、わたしと一緒にしごとをしてきた青木恭子(リサーチ・アシスタント)が、来月、中南米を放浪するために一年間弱、研究室を離れる。彼女は、最近のわたしのスケジュールをみて、「先生、むかしはがんがん自分のためにお仕事をされていましたよね」。いまは、「他人のために時間と労力を使っているみたい」と彼女は言いたいらしい。最後のコメントがおもしろかった。
20年間で、約30冊の本とおよそ300本の論文やコラム記事を発表してきた。最初の10年間、書籍も論文も出版や発表が「最終目標」であった。いまは、本も論文もコラムも、すべてが「手段」になっている。もの書くや論文を発表することは、つぎに続く「実行」へのツールに過ぎない。現実を分析し夢を語ることでは満足できなくなった。現実を動かすことに意義とおもしろみを感じるようになって、書くことの意味が変質してしまった。
それをよしとしている。だから、わたしの仕事はもはや、自分ひとりのためではない。弟子たちや共同でしごとをする協力者や友人たちのためである。自分の時間はどんどん失われる。