本書の「はじめに」で、懐かしいエピソードを見つけた。著者の三宅宏さんの師匠で、わたしも若いころにお世話になった村田昭二先生の言葉である。「マーケティングとは何か?」という根源的な問いかけに対して、慶應義塾大学(当時)の村田先生(故人)の答えは、とてもユニークだった。「究極のマーケティングとは『愛』である。つまり、相手を幸せにすること『幸福学』である」(本書、5頁で紹介)。
「日本生産性本部」のアカデミー(週一回のビジネススクール)で、村田先生は長らくコーディネーターを務められていた。わが師匠筋に当たる大澤豊先生(元大阪大学教授)や田内幸一(元一橋大学教授)とともに、日本のマーケティング学会(当時は「マーケティング・サイエンス学会」や「日本商業学会」)を束ねる存在だった。
著者の三宅宏さんは、わたしが若い頃に、日本生産性本部のアカデミーでグループ指導をしていた頃の生徒さんのひとりである。村田先生の所属していらした慶応大学からは、嶋口充輝先生や池尾恭一先生が、わたしと一緒にグループ指導を担当していた。
そのおかげで、わたしたち若手の教員は、所属する大学や学風を超えて教育研修の場で仲良くなることができた。お互いが影響をしあい影響を受けることで、切磋琢磨する場所が日本生産性本部のアカデミーの場だった。
われわれ若手教員に対して、典型的な「OJTの場」を提供してくれたのは、村田先生や大澤先生たちの慧眼であり社会的な貢献だった。慶應大学以外の各大学(法政、青学、明治、早稲田などの都内の私立大学)にビジネススクールが誕生する、10年ほど前のことである。こうした経験が、わたしたちの世代が日本でビジネススクールを誕生させる踏み石になった。
冒頭でずんぶんと懐かしい話を書いたが、「キッコーマン」から社外研修で「生産性本部アカデミー」に派遣されてきたのが三宅さんだった。三宅さんが村田ゼミの出身であることは、法政大学の経営大学院で特別講義(商品開発の事例)をお願いしたころ、初めて知ったことだった。
三宅さんは、江戸時代から400年続く老舗メーカー(キッコーマン)で、マーケティング部門のトップを務められた。現在、会社の方は役員を引退されて、顧問の立場のようである。その一方で、若手社員のために「アントレプレナー塾」という私塾を三宅さんは開いているらしい。
この事実も、初めて知ったことだった。わたしが新刊本を三宅さんに贈呈した返礼に戻って来たのが、本書である。自著を贈呈しなかければ、本書の存在を知ることがなかったかもしれない。ラッキーである。
前置きが長くなったが、三宅さんのライティングスタイルは、師匠の村田昭二さんの語りを彷彿とさせるものがある。
マーケティングの枠組みや理論を、読者や聴衆に向けて偉そうに振りかざすことがないところなどがそうである。本書でも、ていねいに適切な事例を拾い上げて、実例でマーケティングの諸概念を説明するという書き方をしている。
本書のユニークなところは、フィリップ・コトラーのベーシックな教科書(例えば、コトラー、アームストロング、恩蔵『マーケティング原理』ダイヤモンド社など)の枠組みを踏襲しながらも、素人の社会人や学生にとって、日常的な感覚でわかる説明を試みていることだろう。コトラー流のマーケティングで最初に出てくる3つの分析軸(誰に、何を、どのように)は、「顧客の特定」(第1章)、「価値創造」(第2章)、「顧客満足の仕組み」(第3章)で置き換えてある。
中盤の2つの章は、「横串し」という概念で、マーケティングを実践するための原則として、2つの概念(第4章「ブランディング」と第5章「関係性構築」)で整理してある。ふたつの重要な概念(ブランドとリレーションシップ)は、経営学の中ではマーケティング固有のものである。この2つで、マーケティング・ミックスなど、その他の独自な操作概念が説明できる。
最後の 第6章「シンマーケティング」が、他書には見られない三宅さんに特異な枠組みである。コトラーの言葉を引用して、マーケティングは江戸時代の日本の商いにその源流を見ることができる。たしかにそうだろう。3方良し(買い手よし、売り手よし、世間よし)などは、その典型だろう。
本書では、三井越後屋の「正札販売」(近代的な価格政策の発見)や石田梅岩の「商売の思想」(心学)が、日本のマーケティングの歴史的な発展過程の中に位置づけられる。江戸時代に現れた「シン・マーケティング」の現代的な解釈については、本書、特に最終章を読まれることを強くお勧めしたい。
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