北国の秋田県生まれなので、子供のころから濃い味つけで育てられた。きりたんぽ鍋やハタハタのしょっつる汁など、いまになって思い返すと信じられないくらい塩辛かった。それでも、塩分過多の料理をふつうに食べられたのは、冬場の寒さと濃い味に舌が慣れてしまったからだろう。
一昨日、2家族で一週間早い「プレXmasパーティ」を開いた。お孫さんたちの授業参観(大学院1F@101号教室)の帰りに、息子に頼んで、青砥駅のKFCでパーティバーレルをピックアップしてもらった。大量のチキンとポテト、コールスローサラダなど8500円分。
帰宅してから、家族と久しぶりにケンタのチキンに舌鼓みを打った。ところが、食べ始めてわたしの第一声が、「このチキン、塩っ辛くない?」だった。家族に皆さんはそうは感じなかったようだったので、わが発言は全員にほぼスルーされた。
そうなのだ。20年ほど前に、かみさんが高血圧気味になり、わが家ではお醤油が減塩に切り替わった。最初は、慣れ親しんが味が恋しくて、お醤油を足したりしたのだが、いつしかわが舌は薄味が標準になった。いまでは、セブン-イレブンのお弁当は、塩分が濃いので食べられない。ナチュラルローソンの味が体に快適に感じるくらい、ライトな舌感覚に変わってしまった。
味覚で変わったのは、塩味だけではない。その昔は、大好きだった糖分にも敏感になった。具体的に言うと、大好物の虎屋の羊羹が、1本丸ごと食べられなくなった。その代わりに、砂糖控えめのケーキのほうに好みが代わった。55歳を過ぎたあたりからの現象である。
それとは逆に、かみさんは45歳を過ぎたあたりから、甘い和菓子に対する嗜好が向き始めた。わたしの「羊羹の1本食い」を呆れてみていたのに、いまや本人はタイ焼きやアンパンに目がなくなっている。
「日本人の女性は45歳(~50歳)を境に、洋菓子から和菓子に転向する」というのが小川仮説である。わが目の前で、「日本人女子の45歳転向仮説」が実証されている。これは、わが妻だけのことではないようだ。複数の観察データが存在している。
ところで、わたしはといえば、60歳半ばで「虎屋を卒業」してしまった。甘いものに目がないわたしのために、研究室を訪れるお客さんは、いつも虎屋か柳屋のタイ焼きを持参してくれた。いまはコロナで訪問者は皆無だが、そうしている間に、わたしの好みが変化してしまった。
わたしの現在の好みは、甘さ控えめの薄味の洋菓子である。できれば、甘ったるいチョコレートは大量に使わないでほしい。ティラミスなども、その昔は好んで食べていたが、本当に薄味に変わったものだ。不思議な気持ちになる。
甘さも塩分も、自然に控えめな食事に変わりつつある。そして、食べる量も控えめに変わった。マラソンを走るため、オーバーウエイトをコントロールしているうちに、いつしかボリュームを抑え気味の食事がふつうになった。
そう考えると、味に関しては、そのひとの生まれが味覚を形成するとする「出身地仮説」は、当てはまらないのではないか。そうではなくて、育った(育てられた)環境と加齢がその人の味覚を支配しているのではないだろうか。わたしのケースがそれに当てはまっている。
どなたかから、わたしが例外事例ではないことを証明する、サンプルを提供していただけないだろうか?
加齢とともに、故郷で獲得した形質(甘くて塩っ辛いものを好む)が消えてなくなりつつある。首都圏(東京と千葉)という育った場所が決め手なのか?それとも、単に加齢が影響しているのかわからないが、明らかに味覚は変化をしている。