9月発売の私小説のため、わたしが歩き回った場所(名所、旧跡)のイラストを大内さんに依頼していた。東京下町(江東、台東、葛飾)の広域地図と、柴又近辺と帝釈天参道の手書きマップである。わんちゃんの足跡(名刺で使用している肉球)が、店舗の所在地を表すマーキングに使用されていた。時間はかかったが、とても可愛らしいマップが完成している。
出版社の事情により、スケジュールの進行ををこれ以上詳しくブログに載せることはできない。確実なのは、当初の予定よりは1か月ほど遅れて出版になりそうだということである。残っているのは、各章の「扉」の部分だけになった。これが届くと、”つきもの”のパーツはすべて完成になる。
プロモーション用の宣伝文も、実はすでに確定している。残念ながら、現時点ではそれを公できない。最終ゲラが、7日夕方には上がってくる。わたしの買い手としての仕事は、そこまでですべて完了になる。
昨年10月7日に、「かつしか文学賞」に応募してから10か月。本格的に執筆を始めたからでは、ちょうど1年になった。暑くなったいまごろ、”10年発起して”、下町に引っ越してからの「わんすけの旅路」のことを面白おかしく書き始めた。それも、ずいぶんと昔のことのように思う。
さて、本日は、50年ぶりで「長岡の花火」を観覧することになっている。
午後の新幹線「とき321号」に乗って、上野から越後湯沢まで移動する。越後湯沢の駅で、木村君と塩原くんがわたしをピックアップしてくれることになっている。森田君は、別行動になるのだろうか?それとも、「4人が同乗する」という木村君の計画なのだろうか?行ってみないとわからない。
紅一点の松尾さんは、今回の長岡はパスしたようだ。それはそうだろう。残る「鮎旅チーム」の4人で、イオン長岡店の屋上から花火を観ることになった。塩原くんの強烈なメッセージ(「先生、長岡の花火のこと、忘れてませんからね、、、」)が、長岡まで花火を観に出かける強行軍を実現するトリガーになった。
ところが、想像していた通りで、長岡近辺では当日の宿泊先が確保できなかった。花火の観覧後は、やむなく群馬県の沼田まで移動して、温泉宿に泊まることになった。それでも、塩原くんは満足してくれるだろう。昨年度、小川だけがひとりで「大曲の花火」に出かけた負債は、今回のツアーでどうにか帳消しにできそうだ。
やれやれである。でも、50年ぶりの荘厳なスターマインと仕掛け花火を期待したい。